無題 | 月のベンチ

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両親の闘病記


どうしても提出しなければならない書類や、行かなければならない用事がたまってしまい、二~三時間でいいから、兄に私が行くまで病院に来て母のケアをして欲しいと頼んでみた。

父親はまったく役に立たないため(これは兄も同意見)、隣の県に住む兄に頼むしかなかった。

兄は同意したけれど、やはりヘラッとした感じでこう付け加えた。
『別に誰も来なくてもいいんじゃね?』
そして、こうして欲しいという私の要望を聞きながら、こうも言った。
『そこまで職員さんに要求するのは無謀ってもの』

要求してません。
だから毎日病院に通って自分でやってるんです!

そう言いたかった。


兄も父親も、ずっと私任せにして何も考えていないから、そういう言葉がスルスルと出てくるのだろう。
私任せも病院任せも、二人の頭の中では同じなのだ。

私だって母を在宅にしていない。
だからえらそうなことは言えない。

でも、ことあるごとの二人の暴言は正直腹が立つ。
そもそも二人は暴言だとは思っていない。

一年以上前の状態の母なら、私も頼んだりしない。
あの頃とは咽せ方や回数も雲泥の差だ。
緊張による硬直や屈曲で常にポジショニングも変えなければならない。
とくに緊張が高いと、屈曲している腕は胃のあたりに強く押し付けられることがあり、これもポジショニングで緩和する必要がある。

緊張は強弱の波があり、ポジショニングもそのたび変える。
スタッフさんにそこまではお願いできない。

兄が言うのは、24時間やっていないなら、やらない日があっても何ら変わりはないのではないか?
そういうことなのだろう。
でも、私は自分のしてきたことが、やらなくても「そうそう変わらない」とは思わない。
毎日やり続けていたことが、みんなの目には成果が何も見えなくても、母には絶対伝わっているはず。
そう思って続けているのだ。

そうでなければ、たとえ私でさえ、母が聞こえているのかどうか、見えているのかどうか、信じきれないくらいの反応のなさに、挫けそうになる。

筋緊張による苦痛の表情と、吸引時や咽せたときの苦しがりようしか、ほとんど反応がないのだから‥

そんな状態の母と対峙していくには、時々人から「話しかけづらい」と思われるような精神状態でないと、やっていけなくなるのだ。

だから私のブログは波があって、重いし暗いし、楽しくない。

でも、それでいい。
それでずっとやってきたし、これからもその形を変える気はない。