転院三年目① | 月のベンチ

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両親の闘病記


療養病院転院顛末は以前も書いたことがあるので、知っている方はスルーお願いしますね。

急性期病院での5ヶ月を経て移った最初の療養病院はさんざんだった。
こうしたいと希望やお願いをしてもケンカ腰の相談員。
申し送りや処置が全然できない看護師たち。
極めつけは、面談での病状説明時、家族側が質問をするとキレ気味に吐き捨てるように喋る主治医。

急性期から直接来た患者さんはまだ不安定で、ちょっとしたことで体調を大きく崩すことがよくある。
母はそこに4ヶ月しか居なかったが、起きたことはてんこ盛り。
せっかく酸素がとれて転院したのに、吸引が下手くそだったためにわずか1ヶ月で酸素投与に逆戻り。
口腔ケアは歯の表面しかやらない、口の中を泡アワ状態にしたまま吸引せず放置。
だから頼みの綱は週一の親切な訪問歯科医だった。
その頃の私は今よりもっと大人しかったので、言いたいことの半分も言えなかった。

そうしている間に、母は疥癬に院内感染し、毎日言っても申し送りもされずちゃんとした治療もされなかった陥入爪は赤黒く腫れて膿みを持ち、そこから感染症、肺炎、心不全と立て続けだった。

そんな状態で文句を言わない家族はいないと思う。
でも、相談員に相談しようものなら主治医に「転院か在宅をしろ」と言われ、母が点滴治療の真最中、次の療養病院を探し回った。
もともと今の病院に入るための待機病院として選んだ病院。
良かったのは、この病院に入院したことで、医療者に任せれば安心と言う神話を完全に払拭できたことと、言わなければと思ったことは、たとえ「出ていって」と言われるリスクを負っても言ってしまえるようになったこと。


今日の洗濯物に、便のついた違う人の洗濯物が混じっていた…
今、母の物を除菌中。

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