『医療者』の限界② | 月のベンチ

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両親の闘病記

①の患者を毎日家族がマッサージと関節の可動域訓練をしている。
①の出来事より以前、足指のマッサージから始めようとしたところ、踵から下を触るといつもと違う反応をすることに気づく。
傷など、痛みでもあるのかと思い観察するが腫れなどもない。
が、踵から下を触るとやはり脚全体を跳ね上げるような反応をする。
家族は療法士、看護師、最終的に医師にも相談するが、医師は単なる『反射』と診断。

二三日後、足の甲に
アザがあらわれる。
やはりそれは単なる『反射』ではなく、痛みによるものだったと分かる。
ところが、アザの出現と痛みによる反応の関連づけを、医療者側はほとんどしていないことが後に判明するのである。

これは①の『痛みも痒みも感じてない』という言葉に続く。
家族はその言葉を聞いたとき、この足の甲のアザと、いつもと違った反応をしていたことを持ち出して反論した。

『痛みは感じています』



どんなに優れた医療者でも、どんなに親身に考えようと努力する医療者でも、限界がある。
医療者は、常に患者を心配し見守る家族の目線にはなれないということ。

それは仕方がないことではあるが、残念なことでもある。