→孤独死。




今、全国で100歳以上のお年寄りの所在不明者が次々に明らかになっているけど、


その人たちは、ホームレスとしてひっそりと暮らしているとか、行き倒れになってそのまま息絶えてしまっているとかいう可能性がある、って、NHKでやってた。




またつながった。最近の私の日記に。


自分が死ぬことで周りの人がどのくらい泣いてくれるかな、とか。


大切な人に先に逝かれるくらいなら、自分が先に逝ったほうが楽、とか。



それって、送る側と送られる側が、あっての「死」。


でも、誰にも知られずに死んで、死んだことさえ周知されない、"無縁死"という言葉に、衝撃を受けた。




・・・孤独死、無縁死は、生涯独身かもしれない、と思うと他人事ではない。



誰かが死ぬと、誰かが悲しむ。



当たり前のようなこの図式が、当たり前でなくなるなんて。



誰かの心の中でも、生きられないなんて。







前に、テレビで観た事がある。


孤独死として発見された、身寄りのないお年寄りの葬儀は、酷く質素。


葬儀場で、葬儀場の人2、3人だけが手を合わせる。



隣では、たくさんの弔問者が訪れる、告別式が行われている。



いのちの重さは皆同じなのに。



しばしば、葬儀の弔問者の数や豪華さが、故人の功績に置き換えられるし、それは間違いではないけど・・・・・・



言い方は悪いけど、人生の最期に、生き方の採点をされるような感じもしてしまう。



孤独死のお年寄りを迎える機会が少なくない、葬儀場の人の、やるせない思いが、印象に残っている。












あぁなんか、うまく言えない。