深度4「キムチは洗って」の巻
私には在日の友人が多い。親戚にもいてるし、結構一緒にマッコリ飲んだりする。
そこでのエピソード・・・
子供の頃キムチ洗って食べたよね!そうそう、テーブルにキムチ洗うようの水が入った器が置いてあって。
は?キムチって洗って食うの?問うてみる。
みんなして当たり前!って顔で頷いてる。
小さい頃からキムチを慣れさすために、水で辛味を緩和して食べさすんだってさ!
民団も総連も関係なく。在日の常識だそうです。
マッコリのビール割り(マ③:ビ⑦)を頂きながら、どんどんアイデンティティの話に及んでいく。
ふと、今の日本の若者たちって可愛そうに思う。自分が立っている場所が分からずに、ふわふわしている感じ。
対して在日の友人たちは、自分のアイデンティティをいつも不確かに感じている。だからこそ、足元を掘るような、血と対峙するような作業を心のどこかで行っている。
それって、ある意味、人として真っ当なプロセスではないか。
日本人でも文化はアメリカっぽくて、自分の家の宗派も知らなくって、なんだかいずれはビッグになるって根拠無く考えてて、娯楽と堕落の世界をさまよう亡霊のごとし。
日本人がマネしてキムチは洗えても、キモチまでは洗えないだろう