深度29幸せ「続・うだうだ人生日記」の巻き


「地元で就職しろ」

親父の言葉が重くのしかかる。そう、おいらがかけた迷惑は、この上ないもの。しかし、何もする気が起こらない。「おれは一体何をすればいい?」

就職活動もそこそこで、近所の喫茶店でうだうだする毎日。喫茶のママさんがある日言った。

「映像を学んだのでしょ?私がお世話になった人がそういう仕事をしていたから、一度会ってみたら?」

はいー・・・・気も乗らぬままとあるテレビ局へ連れて行かれた。そしてそのまま今の会社に。

配属されたのはスポーツ社会教養部。スポーツニュースの原稿を書いたり、番組を作ったり。でも、乗らない。先輩に仕事を見てもらい、ダメだしされる。「先輩、あなたの物差しでおいらを計るのはやめてください。」言わなくてもいいことを口にする。怒りを買ってほだされる。違う部に異動。またもや異動。先輩が言う「お前なんか眼中にない。」会社の中で、ちゃんと話せるのは一握り。99%がおれをよくは思っていない。本部長曰く「お前なんかとるんじゃなかった。」

なんで辞めなかったんだろう。意地だろうか。エリートコースをまっしぐらに歩んでいた兄への意地なのか。


就職して8年が経っていた。

うだつがあがらない俺は、ついに退職願いを出した。

「辞めさせてほしい。」会社の近所のラーメン屋で頭を垂れて頼んだ。「これ以上いたら、おれの頭が、人生が腐ってしまう。」部長は焦った顔で「早まるな、編成広報に小さな番組がある。それをお前に任せるからやってみろ。」   気持ちの波が静間に消えるのを感じた。


そこからは必死になって仕事をした。自分の世界をたった2分の番組に叩き込んだ。溜まったマグマは止め処なく噴出す。外部に出ていた仕事も手をあげ全部食らった。「全部オレガヤル!!」仕事はみるみるふくらみ、テレビの仕事が物足りなくなっていった。そこへ某通信会社のCMの話が、迷いネコのようにやってきた。15秒の中に魂を注ぎ込む。そして某銀行の、某カーショップの、どんどん仕事が舞い込んでくる。失敗は許されない。苦しい楽しい、どれだけ俺はやれるのだろう。どこまでいけるのだろう。

気がつくと・・・・

部内でも屈指の売り上げを上げていた。新しい仕事を開拓していた。俺を無視していた連中が、話しかけてくるようになった。そして賞・賞・賞、年平均4つはなんだかの映像賞を獲得していた。


いつの間にか、自分のスキルが自分を楽にしていた。

見える見える。何が大切で、何が不必要か。正論が邪魔をしていた本質が、はっきりと見えてきた。


そんな中、兄がリストラをされた。精神的に潰れてしまった。脳に障害を持つ息子と仕事の重圧にひしゃげてしまった。親父とおふくろの落胆は計り知れないものだった。俺ががんばらなければ!俺が親の心の支柱にならなければ。「また、賞をとったよ。」「出世したよ。」「海外で俺のCMが流れることになったんだよ。」親父、安心してくれ、あなたの息子はまだまだ頑張れる!あなたたちに迷惑をかけた馬鹿息子は今、先頭を走っている!もっともっとやれる!そう、まだまだまだまだ・・・・・・・・・・・・・


「まだまだと思っている君は、これ以上は上に行けない。そう、君は部下にもまだまだといい続け、二流の上司になるしかなくなる。もういいから、これ以降は自分をちゃんと認めてあげなさい。毎回合格点を自分に出してあげなさい。でないとあなたは今のまま。まだまだのまま。」


そう、とある人に言われて心のブレーキがかかった。


あぁ、走り続けてきた道を整理するときが来たのかもしれないのかな。


これからの自分は何が出来る。何が出来る・・・・・


来春から、ある大学で講師をする。たまにだが、人に培ったスキルを伝える。次世代を担うものたちへ伝えることが今ある。誰でもいい。伝えたい言葉がある。演出の本質を。人生の仕事を。つまらないことへの感動を。なんだか寂しい場所に来てしまったのかな。でも、ここはとても風が気持ちがいい。冷たい風が、とても心地がいい幸せ幸せ幸せ幸せ