人生の脚本 | FtMの彼氏と一緒に

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悩みやのろけや日常をつづる日記です。

今日はお勉強のお話しです。


心理のお勉強でよく「人生脚本」
という言葉がでてきます。

まさに人生における脚本です。

私たちは小さな子どものうちに
この「脚本」を作り上げます。

もちろん無意識です。

両親や大人達を見本に
自分なりの解釈で作られた脚本ですが
小さな子どもが生きていくために
自分を守るために選んだ選択なのです。

その脚本は実は大きくなっても使われます。
むしろ、大人になるにつれて
脚本通りの人生になるように
自分が作った脚本が間違ってないか
確認作業をするかのような人生を送ります。

例えば、小さな頃虐待をされていた子が
「私が殴られ、蔑まれる人間だから仕方ない」と
自分が殴られる理由を自分なりに見つけたとします。
(人によって違うので必ずしも同じにはなりません)

これは小さな頃は、親に愛されたいけど愛してもらえないのは
自分が悪いのだと思う事で受け入れるような感じです。

実際は、子どもが悪いことなんて1つもありません。
絶対に絶対にありません。

ただこの時、人生の脚本をこう考えたとします。
「殴られ、蔑まれるのが人生だ」と。

そうすると、この子は大人になって
パートナーを選ぶときに
自分を殴ったり蔑んだりする人を選びます。
何人と付き合ってもそうです。
もちろん自分では「優しい人」を選んでいるつもりです。
でも人生脚本をしっかりなぞるように
同じ様な人ばかり選び、そうして
「ほら、私はやっぱり殴られ、蔑まれるのが人生なんだ」と
脚本を強化し、その通りの人生を選んでいるのです。

そう、無意識で。

あとよく話にあがるのは、
地位も名誉も勝ち取った人が痴漢などの犯罪で
あっと言う間に信頼をなくしてしまうなどです。

そうゆう人に考えられるのは「私は重要な人間ではない」という脚本。

でもそれに反抗するかのように
「重要」な人間になるために頑張ります。

一生懸命がんばってがんばって
地位や名誉を勝ち取り「重要」な人物なるのです。
ところが「魔が差して」取り返しの付かない失態で
あっと言う間に全てを失います。

「やっぱり自分は重要な人間にはなれないのだ」と
最後は人生脚本通りにしめくくろうとするのです。

もちろん、人生脚本は意識しても分かるものではありません。
どんな生育歴があっても、悲惨な脚本を選ばない人もいるし
逆にどんなに恵まれていても、悲惨な脚本を選ぶ人もいます。

自分自身がどう思うか、どう感じているか、がとても大切です。
それは全て自分で選び取っている思考や感情なのです。
誰かに与えられた思考や感情ではないのです。
参考にしてるかもしれませんが、それを参考にすることを
選んだのさえも自分自身なのです。

誰が好きこのんでこんな人生を?っと思うかもしれませんが
小さな小さな子どもにとって
その時はその選択が自分を守るためにベストだったんです。
精一杯考えた賢い選択だったんです。

自分は悪くないのに殴られる、と知ってしまうと
小さな心や身体は耐えられるでしょうか?
親がいなければ幼い子どもは生きられません。

きっと私が悪いから殴られるんだ、ごめんなさいと思った方が
親に見捨てられずに生きながらえるし、心もまだ納得できる。

防衛機能のうようなものです。
ただ、その時ベストであっても
大人になると不都合がでてくるかもしれないですね。
それが「生き辛さ」につながっていると思います。

私はその「生き辛さ」を解消するために
心理のお勉強で学んだこととカウンセリングを
利用できたらいいな、と思っています。