平成25年11月24日(日曜日)

講習会の最終日だったため初学の形の総復習が行われましたが、一部の参加者グループで気になったのは足の運びです。

腰切棒術の最初の段階で習う『初学の形』における足運びはただ単純に出るか、下がるか、一部その場での踏み替え足もありますが決して複雑なものではありません。

それを形の中で、仕棒が足を出す、又は下げるところを、その場で二の足を踏んでから左右を入れ替えて本来の間合よりも近い間合にわざわざ自分から調整するような動きをしているのを一部の参加者グループに共通して見受けられました。

基本的に間合の調整は打太刀の役割ですので仕棒が形を変えてまで調整する必要はありません。

特にこの『初学の形』では、仕棒は何も難しい事を考えずともただ形通りに足を出す、引く、踏み変えるをやれば、自然と間合や目付等が身に付くように構成されています。

もちろん、実戦では形通りの足運びにならない、どんな攻撃でも対処できなければならない等という考え方もわかりますが、初学の形は書道で例えるなら楷書と言えるでしょう。

一画一画正確に行わなければ楷書にならないように、一動作一動作を正確にやらなければ、足運びを勝手に変えてしまっては、円空流の基本にはなりません。

形には実戦の形だけでなく鍛練のための方便の形というのもあります。
何でもかんでも実戦だとの考えを持ち込んでしまっては本来の形稽古から得られるものも得られません。

また、初学の形では太刀の使い方を覚えるために仕棒を覚えたら打太刀も行います。

そこでも一部の参加者グループは打太刀が、本来は前足を引き寄せて突き、次は後ろ足を寄せて突き……とやるべき動作を、全て送り足で前に出て突き、前に出て突き……というような形に変えてしまっていましたが、これでは間が詰まり過ぎてしまいます。

打太刀が有り得ない間合いでどんどん詰めてくるような稽古をしていては、仕の形が崩れて初学の稽古になりません。

その結果、本来の腰切棒術の間合が狂ってしまい、仕棒が間合を調整して本来の足運びと違う形になってしまったのだと思われました。

打太刀はただ真向に切ったり突いたりすればいいのではない。
仕棒が上達できるように導くのが打太刀の役割です。

一眼、二足、三胆、四力

と昔から言うように

初学の形の段階で、近間でガチャガチャと形をやっていると目付けどころではなくなってしまい、足もバラバラになり、氣も体も浮いてしまい、小手先だけの小さな動きになってしまいます。

他にも気になったのが、初学のある形で上太刀を棒で抑えられるのを持ち上げて抜き、上段に構えて相手を切る動作が出てきますが、この理合も足がちゃんとできてなければ持ち上がるはずがありません。
もちろん体格差があれば単純な筋力でも上がりますがそれでは武「術」ではありません。

同等もしくは自分以上の相手に勝てる理合があってこそ武術の「術」たる所以です。

また、もしこの形で、同等もしくは自分以上の相手に対して足が間違ってるのに太刀を持ち上げる事ができたとしたら、それは円空流の理合による技とは言えません。他流他武道の技です。

繰り返しますが、初学の形は円空流の基本を身につけるための形となりますので、現段階で理合がわからなくても、先ずはしっかり形にはまり、形通りの足運びを正確に覚えて下さい。

そして指導者は打太刀を正確に行って下さい。

基本と極意は他流他武道どこも同じでその間の方法論が違うから流派として分かれる、という考えがあるようですが、

決して他流他武道を基本にして、別の流派の基本を疎かにただ形を上乗せする、そのような意味ではありません。

そのような習い方をしていたら、自分の理解の範疇だけでしか物事を見れないので、それ以上の成長は見込めないでしょう。

円空流の教えでもそのような人間を「一知半解」と戒めていますので、円空流の基本を大事に、習った事を習ったとおりに稽古して頂ければと思います。