発達 1歳~2歳 | 小児脳梗塞 育児日記

小児脳梗塞 育児日記

長男が生後6カ月の時に
脳梗塞という診断を受けました。
小児で発症するのは稀なことで、尚且つ原因不明。
色々な思いと格闘しながら
なによりも愛おしい息子の為に
親として出来る限りの事をしていきたいです。

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前回の発達を記録した記事
が未だにたくさんのアクセスがありますびっくり


少しでも参考になっていればこれ幸い(^-^)


今日は1歳から2歳までの発達を書こうと思います。
でもこの時期はもう本当に壮絶で、育児日記も書くのをやめてしまっていたので、私の記憶とブログの過去記事を見ながらまとめていきます(^-^)



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~1歳~
相変わらず離乳食は食べない。
あの手この手で試してみるも惨敗。
私もストレスを感じてきたので、もう離乳食は完全放棄(ノ゚ο゚)ノ 
たまーに大人が食べている物を口にあててみるくらいのことはしていたけど、必要以上に頑張らない事にした。


運動発達面では、うつ伏せからお座りが出来るようになった。移動は背這い。

好きなオモチャは音楽や音が流れる物。
視神経にも脳梗塞の後遺症があって視力が悪いので、玉入れや積み木など視覚で楽しむようなオモチャには全く興味を示さない。
完全に聴覚優位。耳はすこぶる良い(σ・ω・)σ


1歳になってようやく自我がめばえたのか、癇癪と夜驚がとにかく酷くてコミュニケーションが全く取れなかった。

常にキーキー超音波の奇声をあげているし、そうじゃない時は泣き叫んでいた。寝てる時以外は叫んでるか泣いてるかのどっちか。
睡眠も浅いから1時間で起きる。


私は人間ではない何か別の生き物を産んでしまったんだと本気で思っていた(´・_・`)






~1歳3ヶ月~
お味噌汁や茶碗蒸しなど、詰まらないものを口へ運ぶと口を開けるようになってきた。
久しぶりに離乳食に挑戦。
うどんなど食べやすい物を与えてみたけどすぐに吐き出してしまう。

作るのが面倒くさくなったのでアンパンマンカレーをかけて食べさせてみたらパクパク食べたΣ(゚ω゚ノ)ノ

最初は離乳食後期の固さからスタートさせて3ヶ月後には普通食の刻み食に移行。
同時にミルクもあっさり卒業。

ただ、離乳食時期に噛む練習や掴み食べの練習もせずいきなりの食事スタートだったから、未だに嚥下は下手だし手の過敏があってひとりでは食べません↓↓↓


1歳3ヶ月でようやくハイハイ。
ずり這いの2週間後にハイハイしました♪
体幹が弱くて低緊張なので、よくいう「高速ハイハイ」はなかったけどw
ずっと寝てばかりの長男が、家中あちこち移動している姿が本当に嬉しかった(^-^)


自傷が始まったのもこの時期。
頭を床に強く打ち付ける。自分の指を噛む。
奇声も激しくて、まともに買い物にも行けなかった。スーパーに言っても常にキーキー超音波の奇声をあげるので、舌打ちされたり耳を塞ぎながら睨まれたりなんてしょっちゅう。

白目もよくむいていたし、長男を人に見られたくなくてベビーカーのサンシェードを限界まで下げて隠したりしていた。

"私だって普通に育児したかった。障害児なんて産みたくなかった"

暗い気持ちでいっぱいだった。
健常児を連れて楽しそうに遊んでるお母さん達が物凄く羨ましかった。


毎日四六時中癇癪の長男と一緒に大声で泣いたり、一緒になって叫んだりしてた。(近所迷惑すぎるwww)

うちは戸建てじゃなくてマンションなので、ご近所さんには事情を説明して菓子折り持参でよくお詫びに行っていた。

みなさんとても親戚で、絶対うるさいはずなのに「全然大丈夫!何も聞こえないから気にしないで~!」と言ってくれる。
それが本当に本当にありがたかった。
あの辛い毎日の中で、ご近所さんからの苦情もあったら私は確実に精神崩壊していただろう。

長男に会った時も普通に接してくれる。本当にありがたいし今でも感謝しかない。






~1歳6ヶ月~
母子通園に通えることになった。
週に一回だけど、"通園に通ってから物凄く成長しました!"という口コミをネットで何件か発見していたので、「これで息子もやっと落ち着くかもしれない♡」と淡い期待を胸に満を持して入園。

初日からパニックで活動どころじゃない。
まあ、初日だから~と思い長い目で見ていたけど結局1年間まともに教室に居られずに終わるw

唯一泣き止むのは給食の時間(σ・ω・)σ
給食は大好き。


1歳6ヶ月でつかまり立ちを始める。
PTでは療法士さんと私の相性が悪くてよく揉めていた←
いつまで経っても四つ這いの練習しかしてくれないから、毎回毎回「もうハイハイできます!」「もうつかまり立ちもできます!」って言っているのに。

しまいには「ここで出来なきゃ意味無いから!」って言われる。

リハビリに行ってもパニックで私のそばから離れずにずっと抱っこな息子。

だからって、その場で全くしなかったわけじゃないのに。
ただ単にこの人は興味がないだけ、やる気がないだけなんだと思った。

その人が退職する1年間だけだったけど、本当に無意味な時間だったと今でも思う。





~1歳9ヶ月~
ひとりで立っちができるようになる。
立ってる時は集中しているせいか、ひょっとこみたいな顔になるのが面白かったヽ(*゚∀゚*)ノw

「ママ」が言えるようになる。

癇癪でコミュニケーションが取れないけど、初めて喋った言葉が「ママ」だったのが物凄く嬉しかった。

この頃から後追いが始まる。
私がトイレに行くだけで泣き叫びながらついてくるw
ちなみに後追いは3歳になった今も続いてますw


過敏が目立つようになる。
声掛けのタイミングが合わないとそれだけで癇癪に繋がったりもした。
生まれてから毎日対応している私は、幸い言葉なくとも長男の要求がわかるようになっていた。

大変なのはパパがいる休日。
いつもと違う状況にただでさえ敏感になっている。そして旦那は残念なことに声がでかい。
それだけで長男の神経を逆撫でする。
声掛けのタイミングも合わず、休日は癇癪が増すから憂鬱だった。





~2歳~
次男を妊娠する。
それと同時に長男も情緒不安定に。
もともと赤ちゃんみたいだったから、赤ちゃん返りかどうかはわからないけど、物凄く甘えん坊のママっ子になった。

今まで癇癪でまともにコミュニケーションが取れていなかったから、私を求めて甘えてくれることが本当に嬉しかった。
久しぶりに心の底から可愛いと思えた。

虐待のニュースが流れる度に"明日は我が身だ"と思うくらい、毎日ギリギリの理性を保ちながら育児をしていたから、長男を可愛いなんて思う余裕がなかった。


この頃からリスパダールの服用を始める。
強い薬だからかなり悩んだ。
2歳の子に精神薬なんて飲ませたい親なんていないだろう。

でも、1年以上続く癇癪と夜驚に私の精神は限界だった。寝不足は人をダメにする。
リスパダールを飲んでからは癇癪も夜驚も目に見えてわかるくらいに減った。

久しぶりに3時間以上眠ることが出来た。
久しぶりに長男を可愛いと思えた。
母と子で笑い合える、そんな普通のことがようやく出来るようになった。


妊娠中は、赤ちゃんが心配で胎児ドッグを受けたり遺伝子検査をしたり色々していた。

生まれてからじゃないとわからない障害の方が多いのはわかっていた。
事実、長男の障害だって出生前診断じゃわからないものだし。
でも何もせずにはいられなかった。
どんなに色々調べても結局は生まれるまでずっと不安だったけどね(´・_・`)




そしてついに長男が歩いたワァ───ヽ(*゚∀゚*)ノ───イ

なかなか歩く距離が伸びなかったけど、それでも物凄く物凄く嬉しかった!!


今でも歩くのは下手くそだけど、毎日頑張ってお散歩して鍛えてます(^-^)

だんだん歩く距離も伸びてきているし、バランスも少しずつ良くなっています。





2歳~3歳の発達は、また今度書きます(ノ゚ο゚)ノ











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