1は10になり得る。
1つの事象に対して、「見方」は人の数通りある。
本人にとって「当たり前にこなす仕事」をしただけでも
それは他人目で見たときに「気の利いた事」と感謝され得ることかもしれない。
逆に「気を利かせてしたこと」が自分本位だと、
相手にとって「ただのお節介」になっていることもあるかもしれない。
大切なのは「相手の立場に立って物事を捉える」事だと思う。
「相手に合わせる」ことは自分の意志をもっていなくてもできる事だと捉える人もいるかもしれないが、
本当の意味での「人に合わせる」というのは、他人に流されることでも、容易にできることでもない。
相手が求めている事を読み取って、言ってあげるのは誰にでもできること。
ただしそれも努力すれば。
そして、それをすれば誰にでも喜ばれるだろう。
それ以上に、相手のためになることを求める事は容易ではないだろう。
表面だけで取り繕った「コトバ」を言ってくれた人よりも、
後々思い出すのは、本当の意味で自分の成長の糧になった人だと思う。
「相手のためになること」は時によって相手が不快になるところを刺す事になり得る。
それを理解してもらうフェーズまでいくのは、労力も、時間も、
とてもパワーがかかること。
だから一見無駄にもみえるそんな時間を、相手にどれだけ割けるのか。
それは“愛”だと思う。
そして私は、そうやって思い出される事のある人になりたい。