哀しいかな、誰とも信頼関係を結べずに居る人がいます。



かつての私が


そうだったのかもしれません。


今は、以前と比べれば未だましなので申し上げますが、


毎日顔を合わせる若い人のブログを


偶然見つけてしまった時の話です。


そこには、まるで私が見たことのない“その人”が居たのでした。



年齢世代の違いはあれど、


あそこまで“顔”を制御されていたとは!


しかし、ふと我に返ると、


私も


複数のブログ、ツイッター、SNS..などで


まるで違うキャラを使い分けていたことに思い当たりました。


つまり、対応する世界に応じて、


5や10のキャラクターは


使い分けているものだと


自らが思い当たったのです。



キャラクターの多様性が問題なのではなく、


だれからも、本当の信頼関係を結んでもらえないことにこそ


問題があります。



私は、このことにこそ問題意識をもって


対処していこうと、今は思っています。



たとえ、秘密保護法のような強制力をもってしても、


蚊帳の外に居ると、


ずっと蚊帳の外で、真実は見えません。



人としての無力感の最たるものは、人望の欠如です。


せめて、自分以外の誰かと


喜びくらいは共有できる程の人望は欲しいと思います。



哀しく呆れた人には、


体よくあしらわれる程度の気分しか回ってきません。


せっかく生まれて生きていても、


死ぬまでジャンクフードを食べ続けねばならないなんて、


ほんとうにお気の毒な人生になってしまうのです。



けっきょく不憫だね。