2年ぶりの遼寧省(前編) | 見えない世界の真実が此処に®

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「もはや日本は先進国ではない。」

 

こんな事を言えば、日本人の多くは、いや、そんな事はないと言うだろう。

私も以前はそう思っていた。ここ数年、上海や済南や大連を訪れて思うのは、中国という社会主義国家ならではなのだろうか、その発展の異常さだ。

 

バイクはトヨタのプリウスと同じように、いや、プリウス以上かもしれない。数年に一度バッテリーを交換する必要はあるだろうが、もう燃料がいらないそう。充電した電気エネルギーで走り、アクセルを吹かさなければバッテリーは充電されていくらしい。

「清流風」

バイクの後輪の上に垂れ下がるゴム板にはそう書かれていた。

その名前の通り、あまりにも静かに走っていくバイクの姿に、私は興味津々で、試し乗りをさせてもらった。バイクのメーターはもちろん中国語表記だけれども、走行可能距離は50キロ。私が試し乗りをさせてもらったバイクは、もう1年以上充電していないそうで、試し乗り中も、そのバイクの充電メーターはアクセルを吹かすと、1メモリ減り、アクセルを緩めると、また1メモリ増えた。

 

私は自動車の国際免許は持っているけれども中国はジュネーブ条約非加盟で有効ではない。「大丈夫?」と中国語で聞くけれども、「問題ないよ!」「免許要らないよ!」と言われるが、半信半疑で、ネット検索して調べてみた。

中国に行く前にsafariの検索エンジンをgoogleからDuckDuckGoに変えていた。ネットで調べてみると、中国では電動バイクが自転車と同等と見なされていて、運転免許の取得は必要無く、道交法の教習も必要ないと。なるほど、それならば乗れると安心して乗った。

(ご存知の通り、中国はGAFAを排除していますので、これらは、繋がる時とそうでない時があります。DuckDuckGoは検索履歴を集めず人物分析もしない検索エンジンですね。

 

かなり田舎の、公道では無い、舗装もされていないガタガタ道や粗いコンクリートがほころびているガタガタ道を、私はひたすら走ってみた。アクセルを吹かすと電気を消費しているという目安であろうか、赤いランプが点滅し、アクセルを緩めると緑のランプが充電されている事を知らせている。遠くに見える雲はどこまで走っても同じように見え続け、道路の両脇にはどこまでも高さ2メートル以上のトウモロコシ畑が続いている。30分ほど走り終えても、やっぱりバッテリーは満のままだった。

 

ほとんどの日本人には想像できないかもしれないが、中国はアメリカと同じくらい広大で、正確にはアメリカよりも大きい。世界第三位の国土面積を持つ。日本の北海道もどこまでも道が続いていると思うが、中国ではそういう地域が多いのだ。

 

去年、上海に仕事で行った時も驚いた。上海もバイクは全て電気バイクに変わっていた。以前はどのバイクも排気ガスを振りまいていたのに、今は燃料のいらないバイクが走っているのだ。

 

私が知り得る限り、日本の昭和50年代からの発展、平成までの発展をわずか数年で終え、未発展の部分と日本の文明を超えている部分が混在しているのが現在の中国である。

 

今回、約2年ぶりに中国遼寧省を訪れた。大連周水子空港から高速道路で3時間弱。北朝鮮との国境の街、丹東市と大連市のおおよそ中間にある荘河市、さらに市街地から車で1時間弱ほど走った地区に行ってきたのだ。緯度でいけば、おおよそ秋田市と同じ。ちょうど訪れた時は8月の中旬であったが、最高気温は27度ほどで最低気温は17度ほどで夜は薄手の布団を被って寝る。

 

ここは、かなり田舎で本当に何も無いと言いたくなる。が、そうでは無い。

何も無いという、「何も」を、はっきりした主語にするとすれば、娯楽だろうか。便利さだろうか。自分があるのが当然だと思っているコンビニだろうか。

そんなものは何も無いのだけれど、何も無いのが、良かった。

 

この地区も変わった事が多かったと思う。たとえば、トイレがさらに改善されていた。トイレがさらに改善?というと意味が分からない人もいるだろう。良く聞く話であると思うが、以前の中国のトイレには扉が無かった。扉が無いというのにも驚くでしょうが、さらには、隣の人が用を足すと、それは同じ溝を流れていくので、かなりの確率で、便が、自分の下を流れていた。いや、この話はまだ良い方で、かつての発展途上の時の都会での話であって、ここ田舎では、日本のぽっとん便所と同じようだった。2メートルほど掘られた大きな溝の上に、板が数本通されており、その上で、落ちないように、以前は用を足している家が多かったのだ。そして、その大きな溝の中には豚が数頭いた。現在、全ての家で改善されたかどうかは、その家を覗かないと分からないので確かではないけれども、散歩をしている時に、見える範囲で家々を除くと、その空気を吸うと病気になるのではないかと思うほど臭かったあの溝は無くなっていた。豚も地上に上がっており、どういう仕組みになっているのかは定かではないが、家々の軒先には、肥溜めの小さな池が出来ており、怪しげな空気の泡がブトン、ブトン、ポツポツと出ていた。

 

4日間、私はここには滞在していた。本当に何も無いので、日が暮れると53度の白酒をコップ一杯飲み、水代わりにアルコール度数4、5度のビールを飲む。このビールは昼ご飯でも出てくる。もちろん他の飲み物もあり、お茶もある。ただ、お茶は甘い。ジュースもある。ただ、コーラかスプライトという選択肢なので、一番カロリーが低そうなのはビールなのです。以前、大丈夫だと言われて水道の蛇口から出てくる水を飲み、お腹を壊した記憶もあり、水は怖い。

 

空気は確かに綺麗になった気がした。まだ九州の福岡の方が空気が濁っている気がする。その空気も上海や深センや中国大陸から流れてくる黄砂と大気汚染ではあるが、中国の未来化にともない綺麗になっていくのかもしれない。

 

 

空はより鮮やかになった気がした。何もないから、早ければ夜9時にはウツロウツロとする。寝る前に外で一服していると、地平線に上がったばかりの月は見たことが無いほど鮮やかな色をしていた。朝5時には起きる。どの家にも飼われている大きな鶏が、コケコッコ〜と朝を告げ、目覚ましのアラームは要らない。半野良猫がお腹が空いたとミャーミャーと鳴いている。顔を洗い、外に出て空を見渡すと、地平線には沈みかけの薄い月があった。ビルなど無い、とても大きな空に浮かぶ雲は、言葉も出ない、息を飲むほど、いつまでも見続けられるほど美しかった。どんなに感動する映画も、どんなに美しく綴られた言葉も、音楽さえも、その景色にはかなわないのではないかと思った。

 

飽きるほど空に浮かぶ雲を見ると、裏庭の畑から野菜を抜く。ネギやナスや大きなキュウリ。大きなキュウリというと、美味しくないのではないかと思われるでしょう。いえ、それは採れたてだからなのか、瑞々しい。

 

裏庭には畑が広がっている。

 

10軒ほど連なる長屋がいくつもあり、裏庭の先に見える遠くの長屋を見ると、早朝なのに、どの家からも黒煙が上がっている。皆、朝ごはんを作っているのだろう。

私がお世話になった家でも、大人の頭の大きさほどの小麦粉の塊を、お世話になっている媽媽(マーマ)がまな板に叩きつけ続け、30分ほどで、その塊は麺や饅頭や餃子になっていく。そのどれもがかなり美味しくて、私は何より刀削麺のような平打ち麺が大好物です。気温や湿度により微妙に仕上がりを変えているという話ですが、測りのようなものは当然無く、そこは勘なのでしょう。

 

ああ、そういえば、どこ家庭にも土間があり、竈門があります。トウモロコシの実はもちろん人も食べますが、その多くが家畜のエサになり、残った芯は、竈門に投入され、石炭と共に燃やされるのです。近くには、石炭を売っているお店があるのです。売っているといっても、屋根のない更地に山積みにされており、それを三輪自動車や例の電気バイクで買いに行くのです。環境の為にと、バイクは電気になったけれども、田舎でも都会でも一軒家だと、まだまだ石炭を燃やしている。もちろん空気を浄化するような設備など無さそうです。未発展と日本を超えた発展とが混沌としているのです。

 

この地区は冬になると、夜はマイナス15度から25度くらいで、竈門を燃した熱は床下に通した管を伝わり家の床は暖かくなるのですが、驚いた事に、切り替えが壊れているのか、夏場でも微熱が床を暖かくしていき、竈門が使われている間は外の方が涼しく感じられました。

 

空は相変わらずいつ見ても綺麗で、でも、ここ数年気候は変動してしまったそうで、ゲリラ豪雨のようなスコールが日に2、3度あるのです。遠くで雷が鳴り響いてきて、雨の境界線が不思議なほどはっきりと見える。こんな雨の境界線は日本でも見たことがある。けれども、それがいつだったか思い出せない。それほど、そこの雨の境界線は美しかった。

 

まだまだ中国の田舎での出来事や紹介したい話はありますが、1件の仕事を無事に終え、4日間の田舎暮らしを終え、人口600万人の大連市に移動したのです。

 

川で洗濯をしている人たち。

 

 

 

シックスセンス管理人