お昼休みが終わり、デスクに隠しておいたチョコレートの封を開けたところで、携帯電話が鳴った。
知らない番号からだった。
0186-77-・・・・
地元の電話?上小阿仁から?
もしもし?
私はこわごわと電話に出た。
小林凛子さんの携帯でよろしかったでしょうか。
はい・・・そうですが。
———くも膜下出血でお母様がお亡くなりになり・・・。
電話の内容はすぐにわかった。話は聞こえていた。
頭が真っ白になったというか、正月に帰った時、母親と激しく喧嘩した事を思い出していた。
35歳を超えたのに、嫁に行かねえのは、なんぼほんずねなと言われた事に切れたわけではなかった。
ただ、家に帰るとイライラが消えなかった。
せばへばな!と家を飛び出すように東京に戻った。
18歳まで実家で過ごしたが、大学で東京に出てからは数えるほどしか上小阿仁村には戻っていない。
本当に小さな村で、知り合いでない人を探す方が難しかった。
その当時つきあっていた武石君。彼とがいちばん長く1年ほどつきあっていた。その前は武石くんの友人の田中君と2ヶ月くらい。その前は山田君?いや、小玉君が先だったかな。
武石君は自衛隊にいくと言っていた。卒業式の日、同じ東京に進学する田中君から東京に行ったらやりなおして欲しいと告白された。その日、私は田中君と朝まで一緒にいた。
陰では男さらいなんて言われていたのは知っている。
ただ、刺激と安らぎを求めていた。
2つ上の近所のお兄さんと付き合ったのは中学生の頃だった。その事が村中に知られるとしばらくしてお兄さんは自殺した。
本当に小さな世界で、もう嫌だった。いつも誰かに干渉されていて逃げ出したかった。
唯一の親友だった真弓は高校一年生の時に橋から飛び降りた。
私は知っている。
真弓は中学の先生とできてた。真弓は妊娠していたと思う。
——どうされますか?
ずいぶん待っていてくれたのかもしれない。
すこし強めの声で聞かれた。
あ、はい。明日、いや明後日には、いえ、明日の夜には行きます。
いえ、戻ります。
ご遺体はヘブン会館に移送されます。
電話番号は0186-・・・。
電話を切ると部長に報告した。部下にも親が亡くなった事を伝え、早退する事にした。
オフォスビルを出ると小粒の雨が降っていた。
目の前のバス停まで走って、いつものバスにかけ乗った。
走っていて思ったけど、心と体が分離しているような、何かが違う感覚だった。
いつもは、バスに乗ると携帯電話を取り出しニュースをチェックするけれど、そんな気にはなれなかった。
窓の外を流れる街並みを見た。
まだ2時だというのに雨が降っているせいか窓の外の世界がとても暗く感じられた。
そういえば、武石君は結婚したかな。
田中君とは東京に出てきてから連絡をとっていない。確か彼は豊島区に引っ越したはず。
あぁ、そういえば一度だけ電話がかかってきた。東京に出てきてすぐ、新歓コンパで飲んでいる時だったと思う。
何を話したか思い出せないけれど、きっと冷たくあしらった気がする。
それで、あの日は初めて会ったサークルの先輩と朝まで一緒だった。彼の名前は・・・なんだっけ。
なぜか昔の男たちのことを思い出し続けた。
本当は泣きたいと思う。
でもまだ壊れない。壊れたくない。きっと泣きだすと止まらない。
母が言った言葉が頭の中で繰りかえす。
嫁にいかねえのか。
そういえば、私は何人とつきあった?
あなたは何人の男と寝たの?
これまでの私はどんな人生だった?
思い出そうとしても何人と付き合ったのか数えられないし思い出せない。
50、いえ、60、もっとかもしれない。
仕事は順調だった。出世もした。人より稼いでいると思う。LDKのマンションもローンで買った。
男はいつもただの刺激で、それが無くなると私を捨てさせるように仕向けた。
もう本当に幸せ。この瞬間がずっと続けば良いのに。
そう思った瞬間に何かが壊れる音がする気がする。
もらった指輪もネックレスも何もかもゴミ箱に入れて
写メもメールも全部消していく自分に驚くことがあった。
あれ?なんでこんな事を考えてるんだろう、わたし。
おかあちゃんの事を考えないと。
でも、何を?
おかあちゃんとの記憶?思い出?何を思い出せば良いのだろう。
そう思うと、壊れた。
う、うえーん。
声をあげて泣いた。
同じバスのお客さんたちの目があるのは分かってた。
でも、もう。
家の前のバス停につくと、運転手さんに軽く会釈した。
ごめんなさい。
バスを降りると雨は止んでいた。
家に向けて早足で歩き始めた。
不思議と頭は切り替わった。
家に帰って喪服を出して、親戚に電話して、新幹線は何時発に乗れば良いか。葬儀の相場はいくらか、ネットで調べた。実家で私が使う布団はどこにあったか。お仏壇は?お位牌はお父さんのと別にするのか?戒名の相場は?うちのお寺さんはどこだったか。何日間かかるのか。いろいろ考えた。
家の鍵を開け玄関に入ると男物の靴があった。
あら、この靴は?誰の?
脱ぎ捨てられた靴をきちんと並べ直して、静かに寝室のドアを開けると
合コンで出会って最近付き合い始めたツカサだった。
もう、私って。
合鍵を渡す癖を辞めないと。
ツカサの頭の下の枕を勢いよく引き抜くと、彼はすぐに起きた。
目をこすりながら嬉しそうに近寄ってきて、抱きつこうとしてくる。
凛ちゃんおかえり!夜勤明けで遊びにきたよ!
もう、私って。
ごめん、鍵を置いて出て行って
もう本当に嫌なの。幸せになりたい・・・。
幸せにならなきゃ・・・。
終わり
※このお話も事実を元にしたフィクションです。
※このお話では女性が主人公ですが、男性の場合も似た例が多くあります。
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人の幸せの価値観は人によってもちろん違う。
でも、その妄想、その感情は本当に自分のものだろうか。
霊媒体質の人にとって、見えない世界の影響に抗う事はなかなか難しい。
シックスセンス管理人