叭紅。 | 誰が為に弦ハ鳴ル。

誰が為に弦ハ鳴ル。

歌唄い叭紅のキヲク。

 

あとがき。

 

最後になります。

 

 

 

 

ここ最近は過去を確かめる様に8月9日の映像を見返してます。

 

 

そう、もう過去になった事を再確認するように。

 

 

 

 

 

"過去"ってのは曖ノ音が産まれた理由にもあるし、

現在を作り上げた原因の一つでもあるし、

 

大事なこと。

 

だけど縛られすぎると殺される。

 

 

 

 

MCでも話した事。

 

過去ノ音を形にできなかった。

過去ノ音を弔う事が出来なかった

 

だから曖ノ音という場所を作った。

 

 

サリィ。と貉と、

 

バンドだったり期間的なモノだったり

常に発信元は自分だった。

 

だからこそ納得いってない箇所も沢山あって、

 

けどそれは個人でどうにかするには時間も、費用も、精神力も必要で、

バンドだから、自分1人で進めるのはって葛藤もあったけど

 

独りででも進めなきゃ滅ぶ。

そう確信して突き進んだ結果は破滅だったけど。

 

 

終わりを見る度に思うのは、

俺が居るからダメなんだろうかって感覚。

自分の曲なのに。

 

 

 

もう一個話した事。

 

 

音楽は独りでもできでしまう。

嫌でもね。

 

独りになったって続けるって意地が

いつの間にか誰かとやるって環境から逃げていた気がして、

 

この先、音楽を続けて

歌を唄って意味があるんだろうかって

何度も考えました正直。

 

哀しい事に独りでも成り立ってしまう音楽、

けど独りである事実は変わらず、

 

叭紅としての時間。

そうでない時の時間。

 

こういうのってバランス取るの本当に難しくて、

特に私はバランス取るのが本当にヘタクソで、

 

 

片方に傾けばもう片方は当たり前に置き去りになる。

そうして傷付けてしまったり迷惑をかけたりしてしまう自分が嫌になって、

 

 

今回の叭紅ノ日、自身の名前を題にできたし、

これで最後にしてもいいのかなって。

 

よぎっては消し、

よぎっては振り払い、

よぎるたびに足は止まって、

 

ずーっとそんな繰り返し。

ロウソクが溶けて灯火が小さくなる様に。

 

 

 

 

 

 

けどまぁ案の定辞められませんわな笑。

 

 

幽体離脱してた身体に魂が戻った。

そんな感覚。

 

幽体離脱した事無いけど、

確実に見えない灯火の火はまた燃え上がったよ。

 

 

 

 

きっとこれからも足取りは遅く

長い旅路になります。

 

けれど

誰よりも長く

誰よりも自由に

これからも一人の歌唄いとして生きてゆきます。

 

独りってそんなもん。

 

 

嬉しいも哀しいも紙一重。

割合は哀が濃いめのロックな私です。

 

これからも曖ノ音を叭紅をよろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

長々倩書きましたがこれで思い出巡りはおしまい。

 

 

改めて2019年8月9日

新宿Live Freak

曖ノ音主催公演 "叭紅ノ日"

 

この日を共に過ごしてくれた皆様。

ありがとう。

 

またいつかの季節に逢いましょう。

 

 

 

 

 

曖ノ音

 

叭紅