あ・うん日記 -434ページ目

出産レポ~長編~

おはようございま……(*´∀`;)ノまた更新の感覚が恐ろしく空いてしまいましたが、前回の記事に沢山のお祝いコメントありがとうございます!コメレスも含め、お友達のブログへの訪問も随分とご無沙汰しています…汗慣れない育児にてんてこ舞いなのと、実家ということもあり産後はあまりパソコンを触る時間が無いのが要因ですドクロもう少し時間と心に余裕が出てきたら、必ず遊びに行かせてもらいますんで、今後ともよしなにラブラブ


色々あった里帰り生活も、4月24日までとなりましたチョキまた大阪に戻ったら今よりも更新頻度を上げながら、育児から日々の生活の事などを記事にしていきたいと思いまひらめき電球まずは、忘れてしまわないうちに出産レポを書き上げてしまおうかと思う(´ー`)


前々回の記事、出産前最後の更新で書いたが「おしるし」があったのが3月17日の朝ひらめき電球18日の午前9時には、誘発分娩で入院の予定となっていたのでこのまま陣痛が来るかな?と一日過ごしたものの、結局何の音沙汰なく一日が終わるダウンそして日付けが変わった18日の未明、午前4時46分に最初の陣痛が来た。いつもの前駆陣痛かな?という思いも多少あったけど、何となく「違う」という直感から次の陣痛を待っていると定期的な子宮収縮の波が始まったあせる


3回ほど陣痛が来た時点で、これは今日出産になると確信したため既に準備してあった入院グッズと身の回りの用意をしてスタンバイ病院父が「お母さん、起こそうか?」とオロオロしだしたが、当の本人は意外と冷静なもので「もう少ししたら、普段起きる時間になるから起こさなくいいよパー」と言ったのを覚えている。しばらくしてママンが起きてきて、「自分で用意したのはてなマーク」と驚いていたけど、今振り返れば陣痛のしょっぱなの痛みなんて屁みたいなモンである┐(´ー`)┌家で待機している間に、おしるしの量が増え、結構な量の出血があったドクロ


午前9時に入院予定だったが、頻繁に陣痛が来るので念のため病院に電話携帯電話に出た助産師さんは、のんびりした口調で「陣痛と陣痛の間隔が5分になるまで家に居てくださいね~音譜」と…内心、家に居ても不安が募るだけなので前倒しで入院したいと思っていたからガッカリダウンそうこう言っているうちに、午前7時過ぎには陣痛の間隔が一気に5分間隔に縮まったため、再度病院に電話携帯さっきの助産師が「じゃぁ、入院の準備をして病院にいらしてください。」と言うので、待ってましたと言わんばかりに早々に病院へと向かう車午前7時半に病院着-入院病院早速、NSTを付けてお腹の張りと赤ちゃんの心拍を診てもらったが、陣痛は5分間隔で来ているが、まだ張りが弱いため少し様子を見ることに。この時点で促進剤を使う話しが出た。「もし、促進剤を使えば張りが一気に強くなるから、上手くいけば午前中に…遅くても夕方までには出産できると思います。」と言われたものの、ママンが「せっかく自然に陣痛が来たのだから、少し頑張ってみなさい。」といわれ、既に痛みに翻弄されていた私は「そうかも。」と思い、陣痛に耐えることにしたグー後で考えれば、この時に促進剤を使えばもう少し楽なお産になっていたのかもしれないのだが…これも私の人生の中で経験すべき事だったのかもしれない。と、今は思えるひらめき電球


そこから2時間置きぐらいにNST装着・内診を繰り返すのだが、その2時間を待つ間にもずーーっと5分間隔で耐え難い陣痛の波が襲ってくるドクロ私の陣痛はお腹に来るのではなく腰に痛みが走る陣痛で、助産師さん曰く「腰に来る陣痛は、一番つらいお産になるよ。腰が砕けそうでしょ?少し腰を押してあげるね。」と言って腰を強く押してくれるのだが、陣痛の時間が長引くにつれ、押してもらっても何をしてもらっても痛いだけで、とにかくこの苦しみから一刻も早く抜け出したい一心に駆られるダウン


私が病院に入院した時点で、旦那には姉からメールを送ってもらっていた手紙本当は9時に入院予定だったため、旦那は8時半に大阪を出る予定だったが急遽1時間繰り上げて大阪を発ってくれた様子車旦那の目論見では、昼ぐらいに実家に着いてその頃には既に分娩台の上でお産が始まっている…と、思っていたらしいが…旦那が立ち会う羽目になった経緯はまた後述するメモ


入院しているため、ご丁寧に昼御飯が配膳されたりするのだが、正直言って「5分間隔で痛みが襲ってきてるって言うのに、悠長にメシなんか食ってられっか!!パンチ!」と、痛みが怒りに変わりそうになったむかっんでも、何か食べないと陣痛が強くならない、体力が持たないと脅されて漬物だけほんの少しかじった記憶がある。というか、あの日一日とってもとっても長い時間だったのに、おぼろげな記憶しか残っていないのは、余りにも想像を絶する痛みだったからか…それとも、次の出産を躊躇しないようにと、女性の体は痛みを簡単に忘れるように出来ているのか…それは不明だが、とにかくあまり鮮明な記憶ではない(´・ω・`)


昼過ぎ頃になって、旦那が到着(;´∀`)…苦しむ私を見て、その時点で旦那はしんどそうだったが、まだ余裕があったので腰をマッサージしてくれたり、お茶を飲ませてくれたグッド!正直、旦那が側に居るとうっとうしいという人も居るが、私は旦那が居てくれる事で気持ちを強く持てた気がするグーNST、内診の繰り返しで気付いたら夕方になっていた夜の街その頃には、内診するたびに激痛が走り出血量も多くなっため内診恐怖症になっていてNSTと内診で呼ばれることと、陣痛を耐える事が同じぐらいの苦痛になってしまっていた。


夜になって今度は急遽、骨盤のレントゲンを撮る事に汗内診で、赤ちゃんの頭が上手く骨盤の中に入らないということで、もしかして骨盤の大きさと赤ちゃんの頭の大きさが合わないのかもしれないという疑いが出てきたためであるドクロもちろん、陣痛で動けない程の痛みに襲われていたので、車椅子を使ってレントゲン室に運ばれ、そこでも体を動かすなといわれるが、陣痛が来るたびに体が捩れるので5分間隔の陣痛と陣痛の合間を縫って30分ほどかけてレントゲンを撮った。結果、骨盤の広さと赤ちゃんの頭の大きさは問題なく、出産に支障は無い。問題になったのは「旋回異常」で赤ちゃんが上手く回りながら骨盤の中に頭を入れることが出来ない状態になっているという事ドクロ旋回異常だと、陣痛が来るたびに赤ちゃんの頭が底骨に当たるため、激痛が走る。その上、私の場合陣痛が来てもお腹ではなく腰に逃げてしまうため、お腹が張らないのでお産が進まないだけでなく腰が砕けそうな痛みが襲ってくる。・゚・(ノД`)・゚・。


そして、陣痛が来るたびにNSTで赤ちゃんの心拍数が半分ぐらいに一気に減るのであるダウンその原因は、へその緒が赤ちゃんの首に巻いていたためである。・゚・(ノД`)・゚・。そのため、陣痛が来るたびに赤ちゃんの心拍は落ち、私は激痛の悶絶発狂し体力が消耗されていくドクロ午後7時ごろから分娩台に上がったまま、5分間隔で来る想像を絶する痛みに耐えていたが体力はもう残り僅かで、全身バケツの水を被ったかのような大量の汗あせる午後8時50分になってようやく破水したため助産師から「そろそろ痛みに耐えられなかったら軽くイキんでもいいよ。」と言われるが、イキみ方が分からないむかっしかも、本気でイキむなとか言われてもイキみ方が分からないのに、手加減してイキむなんてできっこないドクロ痛みで怒りも増幅され、自分でも理不尽だと思いながらも助産師に向かって「あとどのくらいで産ませてもらえるの?何時ぐらい?むかっ」と何度も質問したのを覚えている絵文字6なんて患者だ…今になれば恥ずかしい話である顔6


なんだか全てが悪循環なお産で、張りが弱いため子宮口が広がらず、病院側としてもお産の手助けを行うこともできない。破水の直前まで、旦那は分娩室に入っていたのだが、このままお産になると直感で感じたため、搾り出すような声で旦那に「もう部屋に戻って!」とお願いしたガクリ以前、記事にも書いたが夫婦で以前から話し合って「立会い出産はしない」と決めていたし、私自身も出産で苦しんでいる姿を旦那に見せたくはなかった。旦那が立会い出産を躊躇する気持ちは痛いほど分かっているひらめき電球以前から、ブログを読んでくれているお友達なら、何となく分かってくれるかもしれないが、旦那は何よりも私が苦しんだり辛い思いをするのが耐えられない人なのである。それを分かっていただけに、私も以前から立会い出産は望んでおらず、1人でお産に向かう心積もりも十分に出来ていた…だから旦那に「部屋に戻って」とお願いした。旦那も私の気持ちを汲んで…というか、心なしか「待ってましたドクロ」と言わんばかりに部屋に戻っていった。多分、その時点で結構に暴れる私の姿を見て肝が縮んでいたのだろう絵文字6


午後9時から、頑張ってイキんでお産を進めようとするが、なんせ痛みが回を増すごとに強くなるため意識がブッ飛ぶガックリ午後11時になって、部屋の空気が変わるDASH!私がお産した病院で、難産の時にしか登場しないと言われている女医が現れたのである。とっても怖い先生で、助産師も看護師もみんな緊張しているのがピリピリとした空気を通して伝わって来るドクロ大先生だけでは手に負えないってこと?と、途切れ途切れの意識の中で思いながら「とにかく無事に、一刻も早く産みたい。」と願った(´・ω;`)痛みで暴れてのた打ち回るたびに、女医に一喝される事の繰り返し(´・ω;`)赤ちゃんの心拍が落ちるため、酸素吸引させられるが痛みでマスクをはずしてしまう顔6


「あなたも苦しいかもしれないけど、赤ちゃんはもっと苦しいのよ!出たくても出られないんだから!我慢したら、直ぐに楽になるんだからむかっあなたが暴れたら私たちも御産の手伝いが出来ないじゃない!!」と…。んでも、私はとにかく痛くて痛くて、女医に向かって「痛いもんは痛いし、イキめって言われてもどうやってイキんだらいいんか分からん!むかっもう無理、切って!!ゴルァ!」とたてつく始末(*'ω')それを聞いて、更に女医が逆上。「あなたね、切るって簡単に言うけど、後がどれだけ大変か分かってるの!?下から自力で産みなさい!!あなたが頑張れば、私たちも手伝えるんだからむかっ本当に必要なら、患者が嫌って言っても私は切るわよ!でもあなたには必要ないの!ごちゃごちゃ言えるって事は、まだまだ力が残ってるんだから、お産に力を使いなさい!むかっむかっむかっ」と怒られる(´;ω;`)ウッ…


そこからイキみが始まったのだが、首にへその緒が巻いている事と張りが少ない事、子宮口が開かない事が重なって、上手く赤ちゃんが出てこれない(´;ω;`)ただ、痛みだけが体を突き抜ける。私の体力も残り僅かになってきたため、助産師が私のお腹の上にのって、お腹を両手で強く押さえて中から赤ちゃんを押し出すグーそれに合わせて、吸引カップを使って赤ちゃんの頭を吸いだす吸引分娩を行うのだが上手く吸引されない。吸引カップを使った分娩のあまりの痛みに、股を閉じてしまうドクロなぜ、あの時足を閉じてしまったのが自分でも分からないのだが、とにかく痛くてジッとして居られないのだハートブレイクその間も、医師二人と助産師と看護師から散々怒鳴られる。「足を閉じたら産めないでしょ!顔9産む気が無いの!?こんな患者見た事ないわよ!!むかっ」と女医の金切り声…いや、本当に今振り返れば申し訳ないの一言だが、私だって命がけだった(´;ω;`)ウッ…


陣痛のたびに私があまりにも暴れるので、サドルブロックという局所麻酔を腰椎に打つことになった注射これがまた、苦しくて苦しくて…。座位の姿勢で、おへそを見るように丸く背中をかがめて、腰椎に注射を打たれるのだが打つ時はもちろん、注射の後も15分間動いてはいけないドクロ15分…何事もなければジッとして居る事なんて大したことじゃない。でも、5分間隔で悶え苦しむ陣痛が襲ってくる中での15分は地獄だったドクロ陣痛のたびに、助産師の腕を掴んで発狂しながら耐えた。サドルブロックが効いてくると、下半身の力が入らなくなるので足を閉じることなくお産が進むはず…だったのだが、それでも痛みの方が余裕で上回ってくれたのか、陣痛のたびに暴れる状況は変わらず・・・・1女医が「ちょっと!!旦那さん呼んできて!もう、こうなったら旦那さんに入ってもらって一喝してもらわなアカン。」と叫んだ。…朦朧としながらも「分娩室に入るの、ちゃんと断ってくれるかな。」と思ったのを覚えている顔6


が、私の心配など他所に旦那が血相を変えて分娩室に入ってきたドクロていうか、立会い分娩になっちゃうんですけど…と、思う余裕なんかはもう皆無で、汗だくで痛みに発狂する私を見て旦那の第一声ひらめき電球「aun!!aunは良く頑張ってる!!えらいぞ!アップ」…一喝してもらうために呼んだ旦那が私を褒めるのを聞いて、女医…「こんなの頑張ってるうちに入らないわよ!!」と、今度は旦那を叱るドクロ


なんかコントのようだが、本当にその時は修羅場だった(´・ω;`)結局旦那も私の足を押さえつけて、再び大きな陣痛の波にあわせてイキみを開始。私がイキむ度にもの凄い声を出すものだから、旦那は足を押さえながらお腹に向かって「お願い!!(;゚д゚)早く出てきて!!(;゚д゚)」と叫んでいた。何度かイキんでみたが、やはり産まれず…もうダメと思ったが最後の最後、もう一回だけ頑張って死ぬ気でイキんでみようと思い、陣痛の波に合わせて医師2人、助産師、看護師、旦那、私の6人が力を合わせた瞬間、不思議なぐらいに一気に痛みの波が引いていったきらきらそれと同時に女医が「ほら、産まれたわよ!旦那さん見て!臍の緒が首に巻いてるでしょビックリマーク」と言っている声が聞こえて、その次に少し間を置いて赤ちゃんの鳴き声が聞こえてきたbaby2無事に産まれてくれた安心感とさっきまで5分置きに襲ってきていた耐え難い苦痛から開放された安堵からか、出産直後の方があまり記憶が曖昧である。ただ、無事に産まれてはじめて発した言葉は「女の子ですか?」だった(;゚д゚)今考えてもなぜそんなことを聞いたのかわけが分からないのだが…汗多分、旦那が女の子を切望していたから、本当に女の子だったのか気になって仕方がなかったのだろう。


イキみの最中に何度かうわごとのように「今日中に産みたい」と言ったのを覚えているが(祖父の命日に産みたいという気持ちがあった)、それは叶わず、日付けが変わった3月19日-午前0時43分に第一子となる女児を無事に出産した祝体重は、思っていたよりも小さく2610gと小粒だったが、あの苦しいお産にも耐えてくれたあたり、十分健康な証だと思っている(´∀`)

出産の後、胎盤やへその緒の処理、会陰の縫合などがあったのだが、その間旦那は隣の部屋で女医や助産師から出産の経緯などの説明を受けているのが聞こえてきた。旦那が「あんな凄い声出しているのを見たのは初めてで、立ち会ってよかった部分もあるけど本当に可哀想で可哀想で….・゚・+゚・(つд`)・゚+・゚・.」と言い、また女医に「あんなの苦しんだうちに入らないわよ!顔9」と怒られているのが聞こえてきた。


40分ほど分娩台の上で休みながら縫合を受けたが、結構切れたみたいで縫合に思った以上に時間がかかる。しかも痛い。縫合されている間、看護師さんに「まだかかるん?むかっ」と、5回ぐらい聞いたと思う。相変わらず面倒な患者だと思うドクロストレッチャーに乗せられて部屋に戻ったのが1時半頃だったか…そこから2時間は仰向けのまま動いてはいけないと言われたので痛みに耐えておとなしくしている。前の夜から続いていた陣痛で全く眠っていないにも関わらず、出産の興奮からか眠ることができない。明け方近くまで、興奮冷めやらないまま旦那と話した時間が忘れられないよっこの日と翌日は旦那も病室に泊まり込んで身の回りの世話をしてくれたので非常に助かった合格産後、8時間はトイレ意外は立ち上がってはいけないと言う事だったが、言われなくても立つ上がるのが精一杯で新生児室まで見に行く体力すら残っていない。一歩進むのも牛歩の如く、体力の無さと寄る年波、産後のホルモンバランスの変化もあってか、あまりの情けなさに旦那にも迷惑を掛けるぐらい、さめざめと泣いた。・゚・(ノД`)・゚・。


こうやってザッと書いてみたものの、もう随分前の出来事のように思えるドクロ難産の末に生まれてきた娘は、旦那にも私にも全く似てなくて2人のDNAはいずこへ?「この子、本当に私が産んだの?私の子なの?」という思いが湧いて来て仕方なかったのだが、退院して毎日てんてこまいでお世話するうちに、少しずつではあるが母親としての実感が芽生えてきているように思える(´∀`o)たとえ自分に似て無くても、どんな顔立であれ、どんなに手がかかる子であれ、泣いてばかりいたって、わが子はやっぱり可愛いものなのであるぽけ~そうでなければ、子育てなんて出来っこないパー人間て本当に上手く出来ているひらめき電球そして、あんな辛い思いをしたのにやっぱり二人目が欲しいと思える女って、パワフルで強いもんだと自分でも少し呆れるぐらいであるグー旦那は?というと、あんなに「3人は欲しい!」なんて、自分が産むわけじゃないから無責任な事を言っていた時期もあったのに、「もう二人目欲しいなんてとてもじゃないけど言えない。あんなaunの姿二度と見たくないし、今でも思い出すとaunが可哀想で仕方が無くなる顔6」…と。心に相当なトラウマを背負い込んだ様子である。ある意味、難産で苦しんだ私よりもずっと気の毒である…チーン( -ノ-)


そういえば、例の女医さん。私は、個人的に非常に好きなタイプの人間であるひらめき電球退院するまでにも何度か部屋に来てくれて「私に怒られながら出産したって言ってるそうじゃない。」なんていいながらも、子育てについて色々な話を聞かせてくれた。授乳の時間にも長時間拘束されて、色んな話しを聞かされたがそれもありがたい事である。退院の日も、普段はお見送りなんてしない人だがしっかりとお見送りしてくれて、この病院で産めて、怒られながらでも女医さんに取り上げて貰えてよかったと思っているきらきら


今週末は、1泊2日で旦那がこっちに来てくれるラブラブ慣れない育児に寝不足の日々が続いていて、今は旦那と会う事で気分転換できる週末が待ち遠しくて仕方が無い。きっと書き忘れている事が一杯あると思うが、今後思い出す都度、記事の中に織り込んでいけたらと思うひらめき電球ざっくりと思い出して書いた割には長くなったが、出産てやはり大変な大仕事だと思うドクロ十月十日お腹の中で大切に育てて命がけで産むわけだが、そのリスクに余りあるだけの感動がその後には待っている(´∀`o)生まれてきた赤子は、子育ての大変さも、お産のしんどさも、すべてを打ち消すだけの力を持っているのであるアップこれから出産を控えている人、赤ちゃんを望んでいる人がこのレポを読んで恐怖を感じてしまったら申し訳ないが、心配は御無用パー私ですら痛みに耐えて産むことができたし、あわよくば「もう1人欲しいな…(/ω\)エヘ」なんて既に思ってるワケですから…チョキ辛かった不妊治療を経て得た待望の我が子、夫婦で大切に愛情を持って育てていこうと思うbaby2最後に…子供を望むすべての夫婦に同じ感動が訪れますようにきらきら切に願う。

ありがとう

ご無沙汰していますaunです…(*´∀`;)ノ一緒に「その日」を待ちわびてくれていたお友達にもご心配をおかけしましたが、無事に出産を終えて今は実家に戻り、育児に奔走する日々を過ごしています。


産後は動くなとか、目を使うなとか、下を向くなとか色々といわれるため、今も育児以外は極力体を休めている事もあってパソコンに向かう時間がなかなか取れません。(今もコッソリと父の書斎に篭っての更新です)また後日、改めて出産レポ~長編~を更新したいと思っていますが、簡単ながら出産報告だけさせていただきます!




3月18日のAM9:00に誘発分娩の予定でしたが、3月18日AM4:46に最初の陣痛が自然に訪れて、そこから3時間で5分間隔にまで縮まったため、AM7時半に入院。難産だったためそこからが大変で、結局産まれたのは日付が変わったの3月19日0時43分でした。予定日を9日超過したにも関わらず、私に似て小粒な2610gの女の子を無事に出産しました。





実際に産み落とすまで、朝の7時から翌日の0時43分まで5分間隔で陣痛に耐え、最後は促進剤と吸引分娩で大人5人に押さえつけられて絶叫しながらの出産となりました。難産や難しい手術のときにしか出て来ないと言われている先生が分娩室に登場したのは夜中の23時20分。そこから1時間20分かかってようやく取り上げて貰えました。出産前最後の記事で「立会い出産はしないと決めている」と書いたが、それすらも急遽変更となり、旦那までもが私を押さえつける要員として借り出される羽目になったのですが…詳細レポは後日アップさせていただきます。





難産だったため、体の回復も遅い上に出産直後に風邪をひいてしまい、まだ咳と喉の痛みに毎晩苦しめられています。育児があるため、なかなかまとまった睡眠をとることが出来ないのも、悪化の原因だと思うのですが…今は体調を優先させ、また落ち着いたら必ずレポをアップさせてもらいます。マタニティライフ中も一緒になって心配し励ましてくれた友達のお陰で、無事に出産という大仕事を終える事ができました。ただ、感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうを伝えたくて、簡単ながらも更新させてもらいました。本当に、本当にありがとう。





aunより

41w0d…ここ数日の出来事

おはようございま…(*´∀`)ノまだ産まれてないっす…ハートブレイク先週土曜日に受診してNSTを受けたものの、全く張りが無い状態だったので「また週明けの月曜日に受診してください」と言われましたドクロ最近では、毎日のように色んな人から「まだ生まれないの?」攻撃で、正直言ってかなりナーバスになってしまって…(´;ω;`)ウッ…ようやく胃腸炎が完治して、毎日のウォーキングも始めたものの、全く産気づかないんですもん。


昨日はママンと姉にまで「まーだ?」的なことを言われて、流石に私の中で何かが崩壊したみたいで、泣きながら2時間もウォーキングしてやりましたドクロていうか、大人気ない33歳です…「全然産まれて来てくれないよ!!」とポロポロ泣きながら旦那と電話しもってモッサモッサ歩く妊婦…完全に不審者化してました。昨日の夜中もノリノリの胎動で「まだまだ出る気なんて、ねぇーーーんだよ!」といわんばかりの我が子に流石に絶句ですあせる


けど、中の人も流石に2時間も歩かれたら「やべぇ、そろそろ出ないと本気で怒られるかも」と思ったのか、今朝起きたら「おしるし」が!!今日は受診日だったのでウキウキしながら病院へ行ってNSTをしてもらったら、大先生も思わず噴出すぐらい小さな張りしか起こっていないんですドクロ今日から41wに入ったこともあり、そろそろ積極的にお産に向き合う方が良いとのこと。正直言って肉体的にも精神的にも今がマタニティライフの中でピークなぐらい一杯一杯になってるのが、自分でも手に取るように分かるんです汗なわけで、明日の朝一番に入院し促進剤を使ってお産を進めることにしました。それまでに自然に陣痛が来れば私も中の赤ちゃんも一番良いのかもしれませんが、後はなるようになるという気持ちで過ごそうかと思う。


旦那は、明日から3連休を取ってくれたので実家の方に向かってくる予定だが、私たち夫婦は以前からお互いに話し合って決めていた通りに立会い出産は行わない方針である。(分娩室には入らないという意味です)本当に本当に長かったマタニティライフも、今日で最後ひらめき電球午後から1時間ほど散歩して、あとはのんびりと明日という日を待とうかと思う。次の更新は、出産後になりますパー気合入れて産んできまーーー!