しーちゃん先生のアフリカ滞在記 In Ethiopia -4ページ目

体育セミナーのバトン

先輩隊員から引き継いだ体育セミナーのバトン
引き継いだものの、
厳しい現実から、セミナーの目的どころか必要性すら分からなくなる。
そこにあったのは、残された仲間との口論のみ。

課題は大きくわけて3つ
 ①リピーターが増え、満足度の低下
 ②お金の問題
 ③首都体育隊員の派遣中止

だった。
どうすれば、この3つが解決できるのか、全く想像つかなかった。

先輩隊員も帰国前に、
「セミナーは・・・先輩がやっていたから・・・。」
「体育隊員は、もう必要じゃないんだよ。」
なんて言うし、

認めたくない一心で、
「研究授業を中心としたセミナー開催。」
「自分たちで他の先生の授業を見て、切磋琢磨していくセミナー。」
「参加者が、受身のセミナーではなく、主体的にならないといけないセミナー。」
「志が高い参加者の出会いの場となるセミナー。」

そんな建設的な意見をしても、途中で、

「ふっ、しーちゃんが言うセミナーができたら、電話してきて下さい。」
と鼻で笑われ、水を差される。

そんな彼を見て、怒りも湧いてきたが、
彼は、一生懸命頑張ってきた人間なのは確だ。
エチオピアの現実に心の底から傷つけられたのかと思った。
自分も活動を終えた時に、身も心も打ちのめされたら、そうなってしまうのかと考えた。

たしかに考えれば考えるほど、マイナス思考が働いていく。
理想と実現可能な現実の間での話し合いはすぐ口論となる。
仲間との関係も悪くなって行く。
ただ、自分も仲間も、先輩たちの作り上げてきたモノを無駄にしたくない。
その思いだけで繋がっていく。

今思えば、あのころが一番つらかったなぁ。
 
(体育セミナー後、梅酒をたしなむエチオピア人と日本人 うまいんだな、これが。)

でも、

何も形のない所から、何かを形作る日々は楽しかった。

結果がどうなるかわからない世界に飛び込んでいく日々は楽しかった。

明日、何が起こるか想像できない日々は楽しかった。

どんな些細過去とでも、どんどん吸収できる日々は楽しかった。

自分一人じゃ想像もできなかった事が、仲間の意見によってどんどん想像できるようになり、形作れるようになっていく日々は、楽しかった。すごいメンバーだった。

一息つきたい時に、ちょっと飲んだコーヒーが恐ろしく美味しかった。

体育の事を忘れて、遊んだ時は、人一倍遊べた。みんなでエチオピアダンスを踊りまくった。


今、こうしてブログを書いて思う事は、
仕事は何であれ、国がどこであれ、自分が楽しいと思う事はきっと、こういう事なんだろうなと思う。
このエチオピアで自分の生き方・生きる喜びがわかったような気がする。

思いだしているだけなのに、

なんか わくわくしてきた。

なんか わくわくしてくる。

ぎゃはははは

こうして2年間を振り返るブログを書こうと思ったのも、自分の大好きな生き方を再確認したかったからかなと思う。

そんなこんなで、仲間たちと試行錯誤を繰り返てきた。
研究授業を中心とした体育セミナーが完成した。

先輩たちの積み重ねてきたセミナーがよりよい形になるように、
エチオピアとか日本とか分けるのではなく、人の住む世界が少しでも素敵になるように、
そして、自分の挑戦がどういった結果を表すのか、自分の力はどれほどのものなのか知りたかった。

そして開催されたセミナー。
お金に関しては、何度も役所に足を運び確認に確認をした。
トップの教育局からもお金に関する決定書を出してもらった。
現場の役所はそれに従うのみ という状況にしてもらった。

そんなこともあって、最終日は、お金のトラブルはなかった。
参加者もすごく笑顔で帰って行った。
次の日には、多くの参加者から電話が入った。ありがとうを言いたくてと言ってくれた。

詳しくは昔のブログをご覧ください。

開催された後も、セミナーの進化は続いた。
新隊員も派遣され、自分たちの初志を思いださせてくれた。
なぜ、自分たちはエチオピアに来たのかを。
セミナーが自分たちがエチオピアに来た頃の思いを詰めることができたセミナーにもなってきた。

最初にあった、
 ①リピーターが増え、満足度の低下
 ②お金の問題
の問題はほぼ可決された。

ただ、
 ③首都体育隊員の派遣中止

に関しては、自分の頭の中ではどうしたらいいか見えてこなかった。

今後、先輩から引き継いだバトンは、③の課題を残したままセミナー後半戦へと向かっていく。

だれもが成しえなかった挑戦がはじまる。
 

体育セミナーの経緯 (その1)

 
( 「写真撮ってぇ。」 と寄ってくるエチオピアの子ども)

エチオピアは昔、軍人が体育の授業を受け持っていた。

よって、体育は軍隊で使われる用語や形式のものが非常に多い。
そう、かつての日本がそうだったように、エチオピアも号令一つで子どもたちが動く体育が主流となっている。

体育には、心身を鍛えるだけでなく、
体育教育だからこそ学ぶ事が出来る内容、
スポーツだからこそ学ぶ事ができる内容がある。

スポーツマンシップ ・ 公正な態度 ・ 問題解決能力 ・ 社会性 ・ モラル ・ 友情、連帯、フェアプレーの精神 ・ 勝ち負けを超えて分かち合える想い・・・

国境を越えて、言葉がなくても分かち合う事ができるモノがそこにはある。

それが現代体育であり、現代スポーツ。

しかし、エチオピアで実践されている体育の授業では、まだまだ現代体育、スポーツまでは程遠い。

エチオピアの体育は、大きくわけて3つの特徴がある。

一つ目は、身体のトレーニングを基本としている授業が行われている事。

二つ目は、幼いころに軍人による授業しか受けていないため、先生達の多くは、実技がわからない。そのため、大学で習った理論を中心に教えてしまう。
つまり、体育が運動場で行われるのではなく、教室で、理論偏重の授業が行われているという事。

そして、最後の特徴として、トラブルがあった時は、体罰によって律されるという点があげられる。


そんな背景の中、約6年前に派遣された体育隊員が中心となって、体育の素晴らしさ、スポーツの素晴らしさをひろめようということで始まったのが、この体育セミナー。

そして、いつの日か、エチオピア人が自分たちだけで、開催できるようにという大きな目標を持って、日本人とエチオピア人の二人三脚のセミナーが始まった。
(エチオピア協力者に聞いた話です。)


当時は、セミナーという概念も弱く、また国としても体育教育に力を入れるのではなく、国の発展、つまり経済であったり、理数科教育に力をいれていた背景がある。

その流れは6年経った今も続いているのだが、その中で、先輩隊員の尽力もあって、なんとかエチオピア初の体育セミナーが開催された。

それから時が過ぎ、体育セミナーも認知も高まり、リピーターも増え、より高度なセミナーが求められるようになった。

また、セミナーが現地の教育界に根付くために、教育委員会と共に開催したこともあって、参加者に日当が支払われるようになった。
そこで新たな問題が出てきた。

エチオピアが発展し、物価の値段が急上昇するとともに、教員の給料では、生活が苦しくなってきた。

そして、参加者の多くが、セミナーで学ぶことより、即金で支払われる日当が目当てで参加するようになっていった。

そんな経緯をたどっているころに、自分は派遣された。

(ポーズ大好きの子ども)

そんな背景は露知らず、
初めて見たセミナーは素晴らしく、驚いた。

現地の教員たちと力を合わせ、一生懸命に取り組んでいる先輩隊員は輝いていた。
参加者と気さくに話し、言葉の壁・国境の壁・人種の壁、そういったものは何一つ感じられなかった。

「自分もこんな風に活動したい。」

「自分もがんばってこの輪に入りたい。」

と、強く思ったのを覚えている。
  ・ 
  ・
  ・

しかし、現実は厳しかった。

2日間にわたるセミナーの最後に、参加者に終了書と日当を渡す。

参加者のがんばりを称え、自分たちのがんばりも労える最後のプログラム。

拍手を持って、終了書を渡すのだが、いつもそこでトラブルが起きる。



「お金が安すぎる・・・。」


必ずセミナーの最終で繰り広げられるお金のトラブル
自分たちの思いは全く伝わっていないのかと考えさせられる。

そして、そのフィナーレ後、自分たちは蚊帳の外に出される。


「金・・・」

「金・・・」

「金・・・」


また、セミナーに深く関わっていくようになり、他にも色々なものが見えてきた。

セミナーを開催しようとしても、教育委員会側が、セミナーの意図をまるで理解せず、ただ国から降りてきたお金をどのようにして使うかしか考えていない役人たち。

がんばってセミナーを開いても、そのセミナーがどれだけエチオピアに反映されているのかわからない現実。

参加者が本当に満足してくれているのか、このセミナーが、自分たちの勝手な想いになっていないか不安でしかたがなかった。


いつしか、先輩たちが目指したセミナーが、自分たちの力量のなさから、その目的を失い、開催することだけが目的となっているセミナーに思えてきた。

別に評価されたいわけではない。
我々セミナー開催側 (日本人とエチオピア人) の思いがエチオピアの体育界に少しでもいいから、よい影響を残す事ができればといいと考えていたが、現実は厳しかった。


活動が1年を過ぎようとしていたころから頻繁に、仲の良い体育隊員とよく口論となった。

これからの体育隊員の事 ・ セミナーのこと等

自分たちがエチオピアに来た意義と意味がわからなかった。


そんな矢先、なぜかわからないが、自分にだけ
「体育隊員の派遣中止の連絡が入る。」

もうこのセミナーを引き継ぐ者が来ないという事実を突き付けられる。

They'll learn much more than I'll ever know.BUT…



(教員対象 体育セミナー終了後の全体の写真)

 
「うらやましい」

 

小学校のころはよく、この思いにかられたことがあった。

「○○○くんは、これを持っている。 うらやましいなぁ。」

 

それは、よく、誰かのモノに対して抱いた感情だった。


そんな、しげき少年も大人になり、

人生を生きてきて、自分の関心やうらやましいと感じるモノは、物ではなく、者が生み出すモノへと変わっていった。

そう、夢・可能性・生き方・その人が抱いた満足感、つくりだした結果など、、、人が生み出すモノに興味・関心がわくようになってきた。

そういえば、小学校の頃は、「うらやましい」=「嫉妬」だった。


心に何のプラスになるものはなかった。

また、どうして、自分は持っていないんだろうと、さびしい思いも共に抱いていた。

 

でも、

今は違う、そして、今回感じた「うらやましい」は昔のモノと全然違った。

そう、


「うらやましい」=「うれしい」だった。

 

この体育セミナーを見た時に、

後輩隊員の様子を見た時に、

「うらやましい」思いは、「嫉妬」を生み出すのではなく、「よろこび」を生み出してくれた。

 

彼らは、自分の何倍もすばらしい活動をしている。

粗削りだが、自分が形に表す事のできなかった活動をしている。

 

自分が日本に帰ったのも意味がわかる。
帰るべくして帰ったのだ。
自分の変わりに、可能性ある後輩隊員がエチオピアに来たのだ。

自分じゃ開けないドアを彼らが開いたのがわかる。

 

この彼らのすばらしい活動の糧に、自分の活動が少しでも影響しているのが少し感じれた。

その事が、すごくうれしかった。

 

これから自分が年をとり、残された時間が減り、自分の可能性の幅が狭まっていったとしても、こうして新しい世代が自分たちの後を継いで、新しいドアをどんどん切り開いていってくれることに深い喜びを感じた。

 
(なんかおじいちゃんみたいな感覚・・・(笑))


先週に帰国した隊員も同じような事を話していた。


この世代交代・時代の流れを感じれた事がすごくうれしかった。

(首都体育隊員・地方体育隊員・幼児教育隊員・産業系隊員など、さまざまな人の協力で開催される体育セミナー)


が、しかし、 


 

がしかし、

 

自分もまだまだ彼らには負けたくないぃぃい


 

うらやましい=うれしい→でも、負けたくない。

みなさんのうらやましいは、いったいどんな思いと同じ?

ありがとう、がね、まさ、めぐ、さとP、あっこちゃん、だいき、じろー、ふじいさん、みかみん、すみちゃん。

まだまだ、君たちには負けない。

日本で一足早く、できる事の実現に向けて活動はじめます。
 (うらやましさ=うれしさ→負けたくない)

では、次回、簡単に『現段階の体育セミナー』について説明させていただきまーす。