「ワタシは止めたんですけどね? 悪趣味だからノゾキ行為はやめなさいって。
まぁでも、湯気でほぼほぼ隠れてたので大丈夫ですよ。お気になさらず」
「止めてたっけ?」
「ええ。心の中で」
皇太子ひとりかと思ったらカズまで居た。
筒抜けだったのは音声のみですと、首を傾げる主を無視してひょっこり顔を覗かせた彼が、なんの慰めにもならない情報を付け加える。
声、聞こえてたんなら何してたか大体わかるし!
「ううっ…あんなとこ見られてたなんて」
「や、だから音だけね。見てませんって」
いっそ、ギャラリーがいたことに驚いて昏倒でもしていたら恥ずかしいのも一瞬だったのに、
普通に会話が続いているこの状況にマサキは混乱し、一周まわって冷静に……なれるわけがない。
ショウの敬愛するお兄さんとこんな初対面を果たすなんてあんまりだ。
今からでも転んで記憶を飛ばせないかと恨みがましく床の豪奢なタイルを見つめ、溜め息を薄い湯けむりに吐き出した。
「どうやって入って…えと、見張りの人が外に立ってたと思うんですけど…?」
「この人、こう見えてそこそこの権力者ですからね。国内であれば大抵どこも顔パスです」
ただの兵に彼らの行く手を阻めるはずがない。
当たり前のように言われて背筋が伸びる。
同じ高さの肩にしなだれかかり『そこそこの権力者』の頬をこねているカズと、
従者にされるがまま顔をむにむに揉まれっぱなしの彼からは、威圧的な雰囲気など感じなかったが。
本来ならばこの人たちは、マサキのような平民と交わることのない雲の上の存在だ。
「ああ。ご存知だとは思いますがこれがウチの大将なので、以後お見知りおきを」
「あ、はいっ……よろしくお願いします!」
いろんな意味で衝撃的だった初対面のせいで呆けていたマサキは、あらためてカズからの紹介を受け、慌ててぺこりと頭を下げた。
「…いーよべつに。そんな、畏まらなくて」
他人行儀を嫌ってか細い眉がキュッと上がる。
サトシと名乗ったこの彼が王の嫡男。新東宮で今夜の主役、ショウの兄。
ただひとり、ショウが仕えると決めた人……
いくら癒し系な見た目でも緊張するなという方が無理な話だ。
「えっと…立太子おめでとうございます。殿下、すごく喜んでました。あの、オレもです」
「ん、あんがと。オレ絶対向いてないのにね。
ショウくんがやってくれたらいいのにって今も思ってるけど、まぁ仕方ねぇか」
しどろもどろで挨拶の口上を述べたマサキに、サトシは優しい顔でふにゃりと笑う。
本気なのか冗談なのか、いまいち判らない口調で「皇太子の座はいつでも譲る」と言われたが、笑っていいのかわからなくてマサキは首をぶんぶん振った。
「マジでそんな畏まらなくていいし、てか、せっかく風呂入ってたのに邪魔してごめんなぁ。
パーティで会えなかったから顔見に来た、そんだけだから。じゃあねお妃ちゃん」
聞けばまだ、式典の真っ最中であるという。
なにかしらそれらしい理由をつけてフラっと脱走するのは彼にとってはいつものことらしいが、
(朝までに戻ればバレねぇから気にすんな、とは常習犯の言い草だ)
たぶんとっくにバレてるだろう。主役なのに自由な人だ。
「でもマジで、もし王サマになりたくなったらいつでも代わるってショウくんに言っといて」
「はぁ…」
またそんな、本気みたいな顔で冗談をいう。
「あんたでもいいよお妃ちゃん。王サマなる?」
「んふふっ。それは流石に冗談てわかりますよ」
「そぉか? オレはさ、男を妃にしたって聞いた時の方が冗談かと思ったけど。
いやじゃねぇの? ショウくん意外と強引だろ」
返事に詰まったマサキに、サトシは感情の読めない静かな目を向けてくる。
ひょうひょうとして掴みどころがなく、優しい雰囲気を纏っているのにどこか遠くにいるような、同じ王子様でもショウとは全然タイプが違う。
彼は全面的に、ショウの味方だと思っていた。
だからマサキも、警戒心を持つことも無くありのままで彼と話していたのだが…
ショウの味方である彼がマサキの味方であるとも限らないことに今さら気付きギクリとした。
「ショウくんに脅されて連れて来られたんだろ」
「脅す…っていうか、殿下はその、オレを…」
「ずうっと『殿下』って呼んでんの?」
「えっと……はい」
ここで答え方を間違ったら、ショウに相応しくないと引き離されたり、
役に立たないと故郷の村に帰されたり…
追い出すために新たな妃を送り込まれたりするのだろうか。それは、なんだかすごく嫌だ。
「名前で呼ぶなって言われてんのか?」
「……逆です。なんか、照れちゃって」
「そっか」
やろうと思えばサトシには簡単に出来るだろう。
そして、一度遠ざけられてしまえばマサキには己からショウに会いに行く術はない。
「あっ、あの…」
「んー?」
「オレこんなだけど…最初は確かに成り行きだったけど、今は殿下のことちゃんと好きです」
ぱしゃぱしゃと湯を蹴って、浴室の入り口まで慌てて駆ける。
間近で見るとサトシはかなり小柄だった。
穏やかな風貌に、底の知れない静かな瞳。
浮世離れした雰囲気をゆるりとまとい、ふわふわ優しそうなのに近寄り難い。
「だから離れたくないしずっと殿下のそばにいたいと思ってます。いさせて…ください!」
「うん、見たらわかる。これからもショウくんのことよろしくな」
「…へっ? いいの?」
驚いてうっかり敬語が抜けた臣下の妃にサトシはふにゃりと笑いかける。寛大だ。
拍子抜けするほどあっさりと、気持ちをまるごと肯定されてマサキは目を丸くした。
つづく