画面の中からこんばんは
どうも 踊り手の安藤未知です。
Amebablogでははじめまして です。





というのも、踊り手を始めてからの1年半は
hatenablogを使ってblogを更新してきました

『誰かの抱くであろう疑問(ハテナ)を解決する』という理由でhatenablogを使っていましたが
ちょっと使いづらかったのでAmebaにします

ここまでのblogはちゃんと残しておきます。

よかったら↑こちらから見てみてください。



『かつて好きだったけど今はそうでもない人にいだく、感傷的な気持ち』という意味のあることばでした。ありがとうー!























今年ももうあと少しで終わっちゃうね
2020年は怒涛の年だったんだ
今年出会った人 今年再会できた人とは
たぶん おそらく きっと 一生、
関わりあっていきそうだなって直感で感じました(全員じゃないけどね)


















再会できたひとたち、ぼくがもう二度と会えないと思っていた人達だったから会えて嬉しかった。

だけどそういう人たちが決まって言うのが
「きみが生きていてよかった」ということばで

ぼくは人より死を意識した事があるので多分
心配させてしまっていたんだ〜と気付いて、
『(ほぇ〜そっか そっかぁ 生きちゃったや)』
って なんだかちょっと残念にもなりました。





僕が踊り手を始めた時にね
【音楽を嫌いになること無く 楽しんで活動をしてみたい。大切にしてみたい。】
って 言ったの。

そうやって、この気持ちを大切に活動をしていくにはどうしたらいいんだろうなぁって活動を始める前に考えてね

安定した精神と、画面の中から出ないこと、少しでも嫌だと思う事はやらないこと、なるべく傷つかない様にすること

これをバランスよくしてみたらいいのかもって思って そんな感じで1年くらいやってみて

楽しかったんだけど とっても楽しいし嬉しいし
だけど生きてるって思えなくてなんだか
それはどうしてだろうって考えて

どうしてぼくはちゃんと楽しいのに
落ち着いて生きているのに 生きた心地が
出来ないんだろうってずっと気持ち悪くて

カトラリー の踊ってみたを撮ったあたりから
【辛い事をしてみよう】と思って、
ちゃんと傷付いて傷口から漏れたもので
動画を創ろうと思って、

傷付く努力を色々と始めてみて
めきめき 生きてるなぁと思って、楽しくて、
頭の中からアイディアがとまらなくて

嬉しかったんだ



















例えば人には人の、それぞれの幸せがある

ぼくにも 君にも あの子にも 。

それが同じではない事を わかってはいても
みんな 自分が経験したことしか理解出来ないから
想像 は あくまでも 想像 だから

ぼくのこれも 本当に理解されると思っていないし

尊敬している人にも
「みんなは君のように傷付きたいとは思わないものなのですよ」
と ちょっと怒られちゃったし、

ズレているのにもいい加減気付いて
なんとか、なんとかやっているよ よんよん



















 君が生きていて よかった




そう言われることが多かったこのいちねん

なんとなくその言葉に色が見えて
言霊だぁ〜て思ったりしたので

君を好きなことがバレた以降は『じゃあ、もしかしたら僕はこれが最後の作品になるのかも』と思いながらひとつひとつつくってきました。


大丈夫 大丈夫 あ また大丈夫だった

公開までちゃんと見れた
そう思いながらひとつひとつに安心して
あなたの紡ぐコメントをよんで

嬉しくさせてもらって またつぎのものをつくって






















ぼくは僕が居なくなっても悲しんでもらわなくていいけど、

ぼくのオリジナル振付や 歌詞や 動画や作品がなくなったら悲しんで貰えるような人になりたい。


とおもた( ´・֊・` )





















そんな2020でした

なんだか色々とあり過ぎて
動画を見て頂けたらわかるかもしれませんが
辛くて光る子なんだと実感しました。


















わからなくてもきみがきみをせめないでね

けど、少しわかるかもって思ってくれた
そんな少数派のきみのために
きみの何かが救われるために僕はやりたいです







前を向けと言われる時に、
へこんでいたらメンヘラと言われた時に、
理解されなくていきばがない時に、

ふんわり 抱きしめてあげられるような
そんな動画をつくれるようになるね

きみと、僕の中の純粋なところの僕のため に































おやすみ