エリー、初めての動物病院へ~アンの回想録
4月19日にエリーがやってきて、一週間が経とうとしています。
もう、随分前から一緒にいるような気がする程、私の中で、大きな存在となっています。
とても元気なんですが、家にきた時から身体中を痒がっていて、喉や胸の辺りがはげてしまっているので動物病院へ連れて行くことにしました。
アンが亡くなって以来の動物病院です。
・・・
去年夏、容態がかなり悪かったアンは、しばらく通院していましたが、とうとうある日、酸素室に入る事となりました。
その日の夕方も、面会に行きましたが、次の日、仕事で家に誰もいなくなってしまうのが心配だったので、そのまま入院させて頂くことにしました。
翌日には、良くなっているだろうと、アンを連れて帰るつもりで、タオルなど準備し、仕事が終わって急いで病院へ面会に行きましたが・・・
面会の手続きをして、酸素室から出された直後、容態が急変し、蘇生処置をされたそうです。
私がアンに会えた時は、口からポンプを入れられ、なんとかかろうじて心臓が動いている、変わり果てた姿でした。
もう何日も、心配で心配で泣いてばかりでした。
アンはここしばらく、ご飯やお水も口にできない上に、点滴や注射など、相当辛い思いをさせてしまったから、
「もう、やめて下さい!十分長く生きたから・・・」
と、泣きながらやめてもらいました。
処置室の先生方や看護師さん達が、気の毒そうに私を見ているのが分かりました。
やっと、昨日病院に連れてきたとき、先生が入院させずに、帰らせようとしたのかが分かりました。
最後の瞬間は、家で過ごさせてあげたかったのでしょう。
でも、そんなこと、泣いている私にはとても言えなかったのだと思います。
本当は抱っこして息を引き取らせたかったのですが、先生に
「抱っこしてもいいですか?」
と聞いたら、
「ちょっと処置をしますから待っていて下さい。」
と、抱っこさせてもらえませんでした。
待合で待っていて、次に呼ばれたのは霊安室でした。
まだ、アンの身体は温かかった。
でも、もう、この世からお別れです。
16年間、本当に長い間ずっとそばにいてくれました。
私がどんな恋愛をしても、アン以上好きになる人はいませんでした。
アンはこの世で、私にとって一番大切な存在でした。
先生の指示で、先に会計を済ませて、車を霊安室の裏口そばへ移動させ、再び霊安室へ。
そうですね、遺体を抱いて、表からでる気持ちにはなれないですもんね。
頭が働かないのに、口が勝手に、
「火葬やお葬式をどこでやったらいいか分からないので教えて下さい。」
と、動きました。
先生は、動物霊園のパンフレットを持ってきてくださいました。
「病院からは紹介できないけど、ご自分で連絡してみてください。」
それから、かわいいダンボールの棺を用意してもらいましたが、それは後部座席に乗せ、抱っこして裏口から出て、いつもの様に、助手席に乗せて帰りました。
覚悟してましたが、まさかこんなに早く亡くなるとは思いませんでした。
そして、あまりに辛い事があると、心のどこかが麻痺してしまうのでしょうか。
アンはもう、動かないのに、私はただ助手席にいることが嬉しくて、一緒に家に帰られるのが嬉しくて、いつものようにアンにたくさん話しかけました。
「おうちに帰れて良かったね。」
あんなに苦しがっていたから、楽になってよかった。
9月といっても、まだまだ暑かったので、先生に教えてもらったように、アンを乗せたまま、ドラッグストアやスーパーに寄って、氷をたくさん買いました。
家に着いて、荷物を降ろし、私の部屋にアンを寝かせました。お水、アンのご飯、好きだったおやつをそばに置きました。
最後の夜も、一緒に私の布団で過ごしました。
でも、これが最初で最後となってしまうとは!
家族にアンが亡くなったことを置手紙で知らせて、またでかけて、お花を買いに行ってきました。
家族は、妹の子供が生まれてから、全然アンを構わなくなり、それが私にとってアンが不憫でならなかった。
私一人では、家族の代わりになれないのです。
何年か前、大きな手術をして、退院してきて、お腹に大きな包帯を巻いて、ふらふらになりながらも、リビングのみんながいる方へ一生懸命歩いていっても、
「赤ちゃんがいるからダメ!」
と、母にドアを閉められた、あの時の悲しさ。
アン以上に忘れることができません。
私は手術さえ、代わってあげれたらいいのに、と思うほど、本当に心配でならなかったのに、
なんて、人間って勝手なんだろう。
自分の都合のいい時だけかわいがって、そうでない時は見向きもしない。
私も、アンがやってきた時から今までを振り返って、自分はどうだっただろうか、と自問自答します。
アンが望むだけ、愛情をかけてやれただろうか。
亡くなる前の夏は、仕事が終わってからも、人と会ったりするため、家を空けることが多かった。
私はそれが、とても悔いになっています。
アンはずっと私を待っていただろう。
気持ちが落ち着いたら、前に何度か相談したことのある、ペットロスカウンセリングの先生と、色々話したいと思っていました。
でも、いつまでも、気持ちや考えがまとまらないような気がしていて、また、医師という立場の方から、予想もしない心の傷をつけられるのが怖い気がして、それをしないできました。
いつも、アンと一緒にきた動物病院に、私一人でくるのはどんな気持ちだろうと悲しく考えたりもしました。
アンを忘れることなどできるわけもなく、でも、抱っこしたくても、肉体はもうないので、骨壷を抱いたり話しかけたりしました。
傍から見たら、異常でしょうが、私にとっては肉体が骨になっただけのこと。
でも、2月に遺骨も埋めてしまってからは、肉体の形見がなくなってしまったのです。
ふらふらと、ペットショップに出かけては、ブラックタンのダックスを見ないように、違う犬種の犬を触って空虚感を埋めていました。
この先何年も私はこのままだ、と実感し始めていました。
そんな日々の中、突然エリーが現れたのです。
私は、飼うなら別の犬種、と思っていました。
猫でもいい、と思っていました。
アンの生まれ変わりなら、なんだって良かった。
私が結婚して、子供を生んで、それがアンの生まれ変わりなら、願っても無いこと。
なのに、母は、全く同じブラック&タンを連れてきたのです。
その子はアンの生まれ変わりなのか?
ということが、私にとって重要でした。
でも、成犬で、生年月日はアンが亡くなるより1年前でした。
血統書と予防接種の生年月日は違っていて、どちらが本当なんだろう。
予防接種を信じるなら、アンの命日なんです。
ただし、一年前の。
一週間そばにいて、エリーはアンとは性格も食べ物の好みも行動パターンも全然違うことが分かってきました。
でも、不思議なくらい、ぴたっと私の型に合うのです。
エリーもきっと同じように感じていると思います。
今日、エリーを車に乗せて、40分かかる動物病院へ初めて連れて行きました。
アンはドライブが大好きで、ずっと、窓に手を乗せて外ばかりを見ていました。
エリーは、どうかな?
車酔いしないかな?
と、心配していましたが、全く平気で、ただし、外をみるのはアンほどは興味がなさそうでした。
でも、助手席にクッションを何段も重ねてその上にエリーを乗せ、外を見やすくしたら、きょろきょろして色々興味をもったようでした。
アンは、雨だろうが、風だろうが、雪だろうが、窓をあけてとせがみ、びしょびしょになっても平気で外を見ていましたが、エリーは、風が強くなったりすると、すぐに外を見るのをやめます。
そして、クッションの上に寝そべってゆったりしていました。
病院の待ち時間は一時間以上、外を散歩したりして時間をつぶしましたが、その間、平気そう。
診察中も先生の口をぺろぺろなめて、注射も平気。
アンのようにブルブル震えることもなく、診察の道具や、他の犬達に大変興味をもって、でも、はしゃぎすぎず、緊張もせず、無駄に疲れることもなく、拍子抜けしました。
と、同時に、とても楽で安心しました。
ただ、アンと違って食が細いのが心配です。
アンの好きだったものは、エリーにとってはそれほど好きではなさそう。
もっと、エリーの事を知って、アンにしてやれなかった分まで愛情をかけてかわいがりたいです。
この年になるまで、どんなところにいたんだろう。
賢く落ち着いていて、性格もとてもいいのに、ここまで成長するまでどうして貰い手がなかったのか、とても不思議です。
でも、何にせよ、うちに来るべく運命だったんですよね。
私とエリーのために。