東急シアター・オーブにて、「マシュー・ボーンのロミオ+ジュリエット」を観てきました。


まあ、男性ばかりの「白鳥の湖」や、吸血鬼が出てくる「眠れる森の美女」、戦時下の「シンデレラ」などを作ったマシュー・ボーンですから、シェイクスピアが書いた通りのロミジュリをやるとは思っていませんでしたが…近未来の矯正施設…とは、さらに予想の斜め上行ってます😮


矯正施設と言っても犯罪者とか刑務所とかではなくて、反抗的な子、親に持て余された子が入れられる(閉じ込められる?)感じ?ロミオは議員の息子で、両親に連れてこられて所長に引き渡されるところから登場するので、なるほどーと思いました。


オープニング 、機械のように動いている若者たちに、劇団四季の「エルコスの祈り」を思い出しましたが、プロコフィエフの(バレエ「ロミオとジュリエット」の)仮面舞踏会の重々しい音楽がピッタリ。


設定が全く違うし、ストーリーとしてティボルト(看守)、マキューシオ、ロミオ、ジュリエットの順で死んでいくのは合ってるんだけど、死の原因も違う。でも、プロコフィエフの音楽を使っているから、やはり「ロミオとジュリエット」になるのかな?振付ももちろん違うけれど、例えばバルコニーのパ・ド・ドゥのリフト多用などに元のマクミラン版バレエのニュアンスあり、霊廟のパ・ド・ドゥのシチュエーションは(役どころ逆転的な?)捻りが効いていました。コンテンポラリー的な群舞には抑圧を跳ね除けようとする若者たちのエネルギーを感じます。


「ロミオとジュリエット」はさまざまに翻案され、毎年のように新しいバージョンを目にしますが、演出家たちは過去のロミオとジュリエットが苦しんだ状況を現代の観客に理解させようと、人種の対立に置き換えたり、同性愛のタブーの話にしたり、さまざまな工夫を凝らしていることが感じられます。

私自身、"対立する2つのグループに属していること"がロミジュリのベースだと思っていたのですが、マシュー・ボーンが"近未来の矯正施設"設定で打ち出したかったのは"抑圧された若者"のピュアな恋だったのでしょうか😵

そして、今回の設定が近未来であるようにそれは過去のものではなく、若者を縛るものはいつの時代にも存在し、ピュアな愛で抗ったロミオとジュリエットには、いつの世の人々も心惹かれるのだなぁと思いました。


↓撮影許可されたカーテンコール

血糊つけたままなの、ちょっと怖い💦