12/27の日記。
昨夜は22時に就寝し、6時に起きた。
旅以外の時もこういう生活ができれば理想なのだがなかなかうまくいかない。
7時台に出る予定だったが、パスポートを預けた宿の女将がまだ出勤しておらず、なんやかんやで8時過ぎまで待たされた。
宿泊費は18万ドン。約900円なり。
昨日も利用したランチマートが道中にあったので水と食料を買い込む。
補給食代わりに現地の菓子を買って食べるのは旅の楽しみの一つだったが、ヴェトナムの菓子はどうにも舌に合わない。
特にチョコレート系は不自然な味がしてどれもイマイチだった。
したがって、割高なのを承知のうえでキットカットを購入した。キットカットとコーラは世界共通の味なのだ。
曇り空で少し靄がかかっている。
これでこそ北ヴェトナムという感じ。気温は20度程度とちょうど良い。
まだ朝10時だが道中の食堂でフォーをいただく。
どこで食べてもベースの味は同じだが、食堂によってあっさりしていたりこってりしていたり、野菜が多かったり少なかったりする。
この食堂のフォーはアブラが浮くほどスープが濃厚で美味しかった。
二日目にしてさっそくパンクした。
チューブに開いた穴から原因はリム打ちと見て間違いない。
リム打ちとは、空気が完全に入っていない状態で段差などを越えた際に衝撃でチューブに穴が開くこと。
ササっと直したが、替えのチューブは残り一本しかなく不安が残る。
パンク修理用のゴムのりは空港で没収されてしまうので、外国でパンクした時はチューブごと交換してしまうほかないのだ。
時々霧雨が降る中、山道をどんどん登っていく。
ディエンビエンフーにまでになんやかんやで数千メートル登ることとなる。まだ序の口なのだ。
山間の学校に通う生徒と追っかけっこになったりする。
すれ違いざまに変顔をしてやると大抵大ウケである。
田舎に行けば行くほど子どもたちが面白がって何かしらのアプローチをしてくれる。
カンボジアでもそうだったが、子どもたちがハローハローと叫びながら手を振ってくるのだ。
どこにいるのかわからないほど遠い場所からハローと叫んでくれる子もいる。
この写真の中央にある赤い屋根の左側を見ていただきたい。
カメラでめちゃくちゃズームすると子どもたちがしっかり手を振っているではないか。
よく見ると黒い服の女の子はピースを決めているし。
僕がカメラを構えているのが目視できたとするならものすごい視力の良さである。
この子たち以外にも、かなり遠くから声をかけてくれる子が何人かいた。
どこにいるのか探すのがゲーム感覚のようで面白い。
午後2時頃にタンソンという街に到着。
毎食のように食べているがまたフォーをいただく。
ここの食堂は平麺ではなく細麺だった。
食堂によって香菜がトッピングできることもあるが、生野菜は怖いので基本的には入れないようにしている。
ヴェトナムでは道路脇とかで当たり前のように野菜を栽培している。
排気ガスやら動物のおしっこやらがかかっているかもと考えると、なかなか生野菜を食べる気にはならないのだ。
背もたれのある椅子に座って冷たいコーラもいただく。
タイやカンボジアの時とは違い、気温が低く太陽も出ていないのでそれほど喉が渇くことはない。
今旅初めての炭酸ジュースである。1本1万ドン(=約50円)。
16時過ぎに国道の交わるチュークックという街に到着。
少し早い気もするが、この先600m近い峠が待っているので投宿することとした。
この時期のヴェトナムは18時にはもう真っ暗。見知らぬ土地で日没後の峠越えはあまりに危険だ。
昨日に引き続き、ヴェトナムの連れ込み宿ニャギーを利用した。予約なしでも余裕の宿泊OKだった。
一泊15万ドン(=約750円)と昨日よりもリーズナブル。
部屋は狭く窓もないので、さらにラブホ感が増しているが気にすることはない。
野菜不足が心配だったので、朝スーパーで買っておいたリンゴをいただく。
普段は皮ごと食べる派なのだが、酸っぱくて美味しくない。ナイフを使って皮をむいて食べた。
皮ごと食べられるリンゴは、きっと品種改良の努力の成果なのだろう。
リンゴだけでは足りないので結局また街の食堂に繰り出す。
食堂にはメニュー表がないので、どういう食事を提供しているのかがわからない。
英語はまず通じないのでコミュニケーションの取りようがない。
したがって頼むのは必然的にフォー一択となる。
サービスでおかずも出してくれた。ひき肉を大葉のような葉っぱでくるんで揚げたもの。
ニンニクとコショウの風味が効いていて美味しかった。
小さな町なので暇をつぶせそうな場所が何もない。
ホテルに戻ってブログを書いて早々に就寝。
走行距離:75㎞
走行時間:5時間21分
総走行距離:21128㎞