5/5の日記。

 

今日は夕方から車を止めっぱなしにしている豊橋に向かう予定で、昨日と同じく日中は名古屋をぐるぐるする。

 

 

まずは若者の聖地である大須を訪れる。

自粛ムードは過ぎ去ったようで観光客でごった返し。

 

 

以前はオタクショップとおしゃれな洋服屋が混在する陰陽玉石の商店街であったが、台湾名物のスイーツや唐揚げ屋が多数出店して観光名所となっている。

 

 

この台湾唐揚げ屋には以前ゲーム屋があったはず。

ここにあったゲーム屋で中一の僕は「ときめき〇モリアル」という美少女ゲームを買ったのだ。

まだオタク文化が市民権を得ていなかった時代で、当時のオタクたちは隠れキリシタンのようにこそこそと活動をしていた。

僕は男子校だったのでまだマシな環境だったが、それでもやっぱり美少女ゲームを買うのには勇気が要って、友達に通話をするフリをしして「ときめき〇メモリアルでいいんだよな?」とかわざとらしい独り言をつぶやきながら会計を済ませた。

 

 

脱オタクしたのは高校に上がった頃。

他校の女子とも接点ができ始めたとき、オタクがバレるとキモがられると焦ってオタクを引退したのだ。

そこからは脱オタクに向けて必死に頑張り、ここ大須でオタクっぽくない洋服を買いあさったりもした。

 

 

シルバーと黒のコントラストが気に入り、かなり背伸びをしてライダースジャケットを買って着た時期もあった。

今思えばライダースジャケットに身を包んでいても、首から上は床屋カットにゲジゲジ眉毛というアンバランスっぷりであった。

ただのイキった凶暴なオタクのように見えていただけなんじゃないか。

黒歴史を笑い話に変えられる程度には大人になったと思う。

 

 

結構な額を費やしたスピンズはまだ営業中。

 

 

 

脱オタクしてだんだんオシャレが楽しめるようになってくると、スピンズでカラフルな服を買って着るようになった。

今でも派手目の色のシャツを好んで着るのは当時の影響かもしれない。

勤務校は教員の服装規定は緩い方なのでおしゃれが楽しめてとてもありがたい。

 

 

 

大須にはケバブ屋もある。

ヨーロッパでは毎日のようにケバブを食べ、ケバブ屋の肉の盛りでその町の良し悪しを判断するようになった。

ケバブ屋の場所を当てる嗅覚は犬以上になったと自負しているケバ。

 

 

だが大須のケバブ屋は高いし肉の量も少ないケバ。

ドイツやチェコではパンが閉じないくらいに肉を盛ってくれたケバ。

あのケバブを食べてしまうと、観光客向けのスカスカケバブはもう食べられないケバ。

 

 

 

 

ベトナム名物のフォーが食べられる店もあるフォー。

ベトナムの町食堂の5倍くらい高いフォー。


 

 

 

昼食後は千種(ちくさ)へ。

千種には中学受験・大学受験の際に通った河合塾の総本山がある。

河合塾の世界史の授業がきっかけで教員を志し、結局僕もいま高校で世界史を教えるに至っている。

恩師とはその後も何度か会ったが、ここ2年ほど会えていない。校舎は開いていたが今日はGWなので授業は無く、講師は出勤していなかった。

 

 

 

僕も何年か前に入試問題をズバリ的中させたことがある。

勤務地の土地柄、筑波大を受ける生徒が多い。

そこで筑波で問われそうな中央アジア史の対策を直前にやったところ、トルコ系遊牧民を問う論述問題が出題され、まさにドンピシャで的中したのだ。その生徒は無事に筑波に合格したので、ささやかながら貢献できたと思っている。

 

 

「勉強が楽しいって最強だ」と思ってもらえるような授業をできるようこれからも研鑽を積んでいきたい。

 

 

 

昼食は河合塾時代に何度も通ったラーメン屋本郷亭で頂く。

 

 

 

こってり目の濃い味のスープがうまい。

ランチタイムはライスとキムチが食べ放題なのは当時から変わりなし。

調子に乗ってライスを爆食いし、血糖値が爆上がりして食後に自習室で爆睡するというのは定番の流れであった。

 

 

昼食後は新栄町のスタバでコーヒーを飲む。

本郷亭で食べ過ぎたライスのせいで血糖値が上がり睡魔が押し寄せてきたようである。15年前からなんの成長もしていない。

 

 

 

16時過ぎにいったん実家に戻る。

 

さて、いよいよ旅の目的を果たすときがやってきた。

 

愛車「一周号」が長距離旅に適しているかどうかを見極めるのが今旅の目的であった。

その答えは、実は初日に渥美半島を回った時点ですでに出ていた。

 

 

「一周号」は今旅をもって長距離旅を引退し、実家で静かに眠ることとなった。

初日の時点ですでに変速の切り替えがスムーズにできず、二日目にはついに変速がまったくできない状態になってしまった。

数年前からの懸念だったクランク周りの異音も変わらず、強くペダルを踏みこむと金切り声を上げるようであった。

 

 

おそらく車体をオーバーホールして修理することはできるのだろうが、もうすでに購入時の金額を上回る修理代・部品代を費やしている。何しろ、普通の街乗りクロスバイクで重い荷物を積んで2万km以上走ったのだからもう十分だろう。

 

変速は壊れてしまったが、軽く街乗りする程度なら問題ない。

今後「一周号」は実家に置いておいて帰省するときに名古屋の街を駆け回るときに利用することになる。

 

 

47都道府県、10ヶ国を旅した愛車である。

なるべく13年の思い出は深く振り返らないようにしたい。

「一周号」との思い出が、新しい旅への一歩を邪魔してしまわないように。

 

 

 

 

(2010年5月「一周号」と初めての長距離旅。文京区の自宅前にて)

 

 

 

(2010年8月「一周号」と初めての北海道。室蘭市地球岬にて)

 

 

 

 

 

走行距離:7km

走行時間:47分

総走行距離:23034km