武人の最期 | 夢・希望・愛 心豊かなれば技冴える  武道に感謝 心風館 館長 山村幸太朗

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人にはもともと自然からいただいた素晴らし能力が潜在しています。それは、すでに日常の生活に根付いている生活レベルの文化の中にあるのです。武道文化を活かし、さらなる可能性を・・眠っている潜在能力を開発する。「気」という世界観は、武道文化の中に眠っています。

幕末期、心形刀流の伊庭八郎先師の事は頭のどこかにあります。
心行刀流の使い手で、若くして達しておられたと思います。
幕臣旗本として遊撃隊の志士として戦い抜かれた、何より凄いのは片腕を無くしても怯む事がなかった。

何故か、今日その事が頭をよぎり頭の片隅にあった伊庭八郎先師の事を皆さんにお伝えしたくなりました😊👍🙇‍♂️

新撰組、土方歳三さん達と最期まで戦い抜いた、私が何かで読んだ記憶が正しければ片腕だけでなく、左手指も数本なかった?と言う記述を読んだ覚えがあります。
多分転戦転戦で傷が癒える暇もなく痛々しいながらの
しにばなを散らしたのだと思います。

享年26?27?歳、こう言う無骨実直な方が、本物だった訳です。長く生きて素晴らしい武道を伝えて頂きたかったと、過去にも思いました。

何故?か、今日
伊庭八郎先師の事を思い出しました🙏🙏🙇‍♂️🙇‍♂️🙇‍♂️

天保15年(1844)-明治2年(1869)
奥詰・遊撃隊、江戸生まれ。
江戸時代末期(幕末)から明治にかけての武士・幕臣。隻腕の剣客として知られる。
八郎は心形刀流八代目伊庭秀業の長男として生まれました。小さい頃は身体が弱かったとも、剣術よりも漢学や蘭学に興味があったとも言われていますが、実際に本格的に剣術を始めたのは遅かったそうです。
18歳の夏に講武所剣術師範役並になった八郎は、その年の暮に将軍家茂の奥詰に選ばれ、20歳で家茂を警護※1して上洛します。八郎はこの在京中の出来事を日記に書いており、その日記は八郎の死後「伊庭八郎征西日記」として活字になります。
戊辰戦争では遊撃隊として転戦。箱根で左腕を切断する重傷を負いますが、その後も箱館まで戦い続け五稜郭で命を落とします。享年27歳。