空洞という意識状態について | 巡礼者のブログ

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 このところ、どうも日程を欲張っている、というか、それが睡眠時間にも影響を与えている。

 自分の場合、特異体質でもあるのかもしれないが、十二時間は眠らないとキツイのである。多くの人は、六時間から八時間くらいが適当な時間なのかもしれないが、オレはそれをやるとおかしくなってしまう。

 事情を知る人は、「過敏だから、人より休まないとつらいんじゃないの」と言われる。理解あることばある。

 日常いちばんキツイのは、地下鉄である。特に大江戸線がきつい。しかし、丸の内線とか、新宿線とか、でも、地獄の区間というのはある。耳栓をしても、耳を押さえても、からださん全体に来るから、これだけでまいってしまう。しかし、生活上、使わざるを得ないから、仕方なく乗っている。

 いい演奏を聴いたあとの地下鉄、とかは、本当にもったいない。それまでの貴重な体験をぶちこわしにしてしまう。

 最近、聴覚、というと、この一年くらいのことであるが、天らい、つまり、天体の音楽ではないか、という様な音、というより音楽が聞こえる様になっている。

 どういうものか、というと、これは、合奏や合唱、という合わせものではないのである。

 合わせた結果、響いている、という音ではなく、たとえば、Es-durならそれの、音の固まりが飛んでくるのである。

 これが特に、夜聞こえる。静寂のなかに聞こえる。

 当初は、電器製品のノイズか、とも、それとも、道路からのノイズか、とも思っていた。だが、いろいろやってみると、そうではないのである。

 自分の内側にある音楽なのか、というと、それとは違う。明かに外からやってきている音である。ただし、鼓膜を通じて、というものではないのである。

 以前、師匠から、某・作曲家の音楽をおろせるか、という注文に応えたことがある。あの世に行ってもやっぱり作曲をやっているらしく、新曲を聴かせてくれたことがある。

 これは録音できるものではないし、オレは楽譜を書くことはできない。如何にもその作曲家らしいつくりで、贋作、と言っていいかもしれない曲が聞こえてきた。

 この作曲家は、あの世にいても、個体としてある、ということが、この現象からは考えることができる。固有の魂が、そのまま存在していると考えるのが、オレの想像力の限界だ。

 だが、この時のオケの音は、まさしく合奏であった。アンサンブルである。

 ところが、この天らい、は違うのである。和声の固まりが飛んでくる。だから、天らい、としか言いようがなく、こんなことを書いている。

 これも、オレが過敏なせいなのか、それとも何か別の魂の問題なのかは分らない。

 ただ、アメンバーさん向きの記事として、連載させて頂いている様なことがあるから、確かに、天らいを聴いてしまうのも、ある意味では必然なのかもしれない。

 これは、器官の問題とか、そういうことではないと思える。

 「空洞」という意識状態について、以前も触れ、また、アメンバーさん向きの記事として公開しているやりとりからすると、ひょっとすると、この空洞、という意識状態だけに聞こえる音なのかもしれない。

 以前、めだかさんや、にゃんこさんや、虫さんたちとの対話を紹介したが、それも全て、「空洞」という状態に気づいたときから起こったことである。

 オレが知る限りでは、子供の頃は、いろいろな存在と話す人というのは、かなり存在するのだが、成長してから話せる様になった人、というのは、そんなに知らない。

 そこでは、会話する主体としての自分が存在するから、空洞ということはあっても、禅でいう、「空」とはちょっと違うと思う。

 敢えていうと、ホ・オポノポノのヒューレン博士がやっている、いろいろな存在との対話に近いのである。自分の記事を読んで下さる方数人も、やはり同じ様な体験を日々なさっている様なので、オレだけに起こっている訳ではなさそうである。

 空洞になるための方法が分れば、いろんな方が体験できる世界なのかもしれないが、残念ながら、まだ、その方法は見つけていない。方法、というよりも、ある種の気づきがあって、こんなことを始めたのである。

 幸い、その空洞の状態の時間は、楽しいものだ。悲しい知らせや真実を受け取ることもあるが、概して楽しい時間である。

 ホ・オポノポノでいうところの、ウニヒピリさんと話す、インナーチャイルドと話す、というのも、これができるから楽なのである。

 ということは、空洞、と、オレが勝手に名付けている状態は、少なくとも、ウニちゃんや、インナーチャイルドと話したい、という人にとっては役立つのではないだろうか。

 敢えて、イメージを言うとすると、禅寺の風が吹き抜けてゆく空間、縁側があり、柱があり、庭があり、そこにいろいろなものが通っていく感じ。あるいは、楽器というものの多くの本質が、空洞によって成り立っていること、などがあげられる。それが、その意識状態についての比喩だ。

 どちらかというと、何もしないで、ぼーっとしている時に、ふと分る感覚かもしれない。ぼーっとしていることを、そのまま受け止められる、何かしようなどとはしない状態に、空洞という状態は認知されるかもしれない

 逆にいうと、「じゃあ、空洞になろう」とか思ってしまうと、ダメである。

 それから、この状態というのは、そのとき、その場でなる、というより、個人的な経験からすると、いちど分ってしまうと、ずーっと、その状態は続くのである。

 だから、パスワードを入れる様な作業はいらない。常時接続だと思っていただければよい。

 ただ、ときどき、ヘンなものが入ってくるときがあるので、それに気がついたら、これはホ・オポノポノ流のやり方だが、「アイスブルー」ときっぱり言いながら、空中に、指でばってんを書けば、それで大丈夫である。

 それについては、お酒が入っているときに、ヘンなのがやってくると、厄介なことがあるので、充分に気をつけてやっていただきたい。