何もしてない、というか、近所で品薄のものが手に入って、よかったー!という日。
ネドじゅんさん経由で、トーシャ・シルバーさんの本から、名付けるなら、「神がいなけりゃ」構文なのだが、神がいなけりゃ構文は、なかなか順調で、それをしなかったら、きょうも品薄のものが手に入らなかった?のかも?しれない。
神がいなけりゃ構文?の例としては、「あんなもん、手に入る訳ないだろ。神がいなけりゃ」という風になる。トーシャ・シルバーさんのところでは、もっと丁寧な例文になっているのだが。
ただ、神、とか言うと、それで引くー、って向きもあるので、そういう人には向かないと思う。というか、やめた方がいいのかも知れない。
自分の場合は、肯定的に?というか、世間的にはポジティブに、「自分には必ずこれが手に入ります!」とか苦手なので、逆に、「神がいなけりゃ」構文は合っているのだと思う。個人的には、普段、神と話したりしてるし。別に、どっかの宗教に入ってるという訳でもない。単にその方が向いている、というだけの話だ。
きょうは他にもシンクロが幾つかあって、まあ、上等だな、という感覚。週末ではないが、存在とはめでたい、という事で、呑んだ。
とにかく、ポジティブとか、あるいは、ネガティブ、とか、体質的にあってないので、「神がいなけりゃ」構文は助かる。無理とかしてないし。
そういう実験、別にお金さんとか、時間とか掛からないので、やれることをやっている、という感じ。なんも無理してないし。
で、その通りになると、ラッキー!ってなるので、気持ちが楽になる、とか、嬉しい、とかあるので、気持ちも楽。無理しない。で、神にお礼をする、というか、お礼の話をする。そっちの方が、よっぽどハードルが高いんだと思うけど、自分の場合は、楽。
人には、向き不向き、ってあるので、今のところは、自分の場合は、トーシャ・シルバーさんの考え方の方が合ってる、というだけなんだと思う。今後どうなるかは別として。体質、変わっちゃうかも知れないし。ヘンな欲が出るかも知れないし。
とりあえず、全部、明け渡しちゃう練習というか。自力でやらない、というか、他力ともちょっと違うし。
まあ、ジタバタしない。きょうはきょうの風が吹く、って感じで、タラタラして、ヘンな期待はしない、ってことかな?
今のところの報告ではあるけど、タラタラで、ジタバタしない、ってことで。
となると、どっかで気持ちの余裕がいるのかも知れない。自分の場合、もうダメ人間だから、とか、そういう達観?はしてるので、そこに余裕がある?のかも知れないし、もう、おまかせでいいや、って、思えてるし。
ダメ人間だから、神におまかせ、って思えるだけ?なのかも知れない。
別にどっかの宗教に入ってる訳でもないし、あ、神いるよねー、って、堕ちるだけ落ちてる人間だから、神におまかせ、って思えるだけかもしれない。
神に罰を受ける、って可能性もある訳だし。
でも、個人的には、神って、罰するって感じではない。気になる人は、例えば、ニール・ドナルド・ウォルシュさんの「神との対話」とか読んでみて。自分の場合は、ウォルシュさんに近い人生を生きてるだけなのかも知れないけど。
ま、ジタバタしない。タラタラする。ヘンな欲は、持ってもいいし、持たなくともいい。自分に違和感なければ。
トーシャ・シルバーさんのやり方の一部だけだけど、より気楽になれるので、トーシャさんの別のやり方も、そのうち試すかも知れないけど。
ネドじゅんさんの存在、って、何か、人様が、ねどじゅん?って発音したのが気になって、検索したら、ネドじゅん、って人がいた、って、そういう流れだった。で、ネドじゅんさんの動画から、トーシャ・シルバーさん、って人を知った。それがたまたま自分には合っていた、ってだけの話なんだけど。
人によって、相性はそれぞれ、というか、向き不向き、ってことなんだと思う。
でも、ネドじゅんさんの語る、トーシャ・シルバーさん、というか、ネドじゅんさんが言う、トーシャ姉さんの話は、気が向いた人は聴いてもいいんじゃないかな?ただ、それで却っておかしくなる人もいるかも知れないから、ホント、向き不向き、なんだと思う。
お洗濯もできたし、トイレにも行けたし、それで、ラッキー!くらいに思ってるのが、ちょうどいい?のかも知れない。自分の場合は。
あんまり自分にダメ出ししない、って、大切だと思う。あるいは、もっと良くならなきゃ!ってそういうポジティブもあんまり良くないんだと思う。だって、その時の自分を否定することになるから。
とりあえずは、向き不向きがある、とか、ヘンに自分をよくしようとしない、って、案外、大切なんだと思う。
堕ちるだけ落ちると、達観できちゃう?ってことは、ある。
とりあえずは、ムリしない、って、凄く大切なんじゃないのかな?って、自分の場合は感じてる。