20230125



本来であれば2年間の研修期間を終えて都内の大学病院に配属になるはずだったのだが、欠員が出たとかで通常よりも1年以上短い期間で研修を終えた。おかげで職場の近くに引っ越すことになった俺は、いよいよ引越しを明日に控えているというのに、いまだ半分も荷造りを終えていなかった。研修医とはいえ連日深夜まで業務をこなさなければならず、引越しの準備まで手が回っていなかった。もともと整理整頓が苦手な性格も手伝って部屋は壊滅的だった。


うず高く積まれた雑誌の間に挟まっていた郵便物を取り出しシュレッダーにかけたところで、転送届を出し忘れたことに気づく。

だが気づいたところで今更どうにかなるものでもなく、逡巡した後で次の住人に転送してもらうことを思いついた。


そういえばこの前妹が来た時に置き忘れていった便箋があったはずとキャビネットを漁る。ここはまだ手付かずだったことが幸いした。

他人に頼み事をするのに広告の裏では示しがつかない。男が使うにはやたらファンシーすぎるその束から一枚引き抜く。


我ながら字は上手いとはいえず病院ではカルテの内容を聞かれることが日常茶飯事だった。婦長からは「櫻井さんの字は個性的ですねぇ」なんて嫌味を言われる始末だ。今や電子カルテが主流なのだが、研修医に持たせるほど数があるわけではなく、業務の一環だと手書きを強いられている。





「これでよし、っと」





研修先の病院はM半島の南東部、Y市の海岸沿いにあり、各フロアから海が一望できる。温暖な気候、深く青い海、澄んだ空、さんさんと降り注ぐ陽光。湾を行き来する船、昇る朝日や沈む夕日、波の音を聞きながら季節や時間によって毎日様々な表情を見ることができる。

今の家はそんな病院から海岸通りを西に十五分ほど歩いたところにある一軒家だ。なにやら有名建築家が手がけた建物らしい。不動産屋から半ば強引に勧められ、ならばと相場より随分と安く住まわせてもらえることになった。

一人暮らしには手に余る広さでほとんど寝に帰るだけの場所だったが、ここから望む景色はいつだって最高だった。


この家にはなぜかポメラニアンが住み着いていた。引越して初めての休日にウッドデッキで晩酌していたら下からひょっこり現れたのだ。俺が知るポメラニアンと違って黒っぽく伸び放題の毛並みで、丸いフォルムがさながらタヌキのようだった。前の住人が持て余してここに置いていったのかもしれない。人間のように仰向けのまま寝る姿が可愛くてなんとなくそのまま一緒に暮らしている。








「それじゃよろしくお願いします」





徹夜で梱包した荷物を引越し業者に託しトラックを見送る。家財がなくなってがらんとした部屋はこれまで以上に広く感じた。

昨夜、普段の百倍の集中力と丁寧さで書き上げた手紙を自宅のポストに投函し、家を後にした。