20191215




知らない土地というのは妙に緊張感を伴う。割と何事にも動じないタイプだと自覚していたつもり、遊園地のお化け屋敷もなんのその。

それが置き忘れた小説を回収するという非日常感と、もしかしたら依頼主である文通相手と会えるかもしれないという淡い期待で珍しく浮き足立っていた。



指定された駅に到着した。

駅前のベンチに腰掛けて文庫本を読んでいる男性がいる。真剣に文字を追う瞳はアーモンド型のぱっちりした二重。さらりとした直毛のすこし茶色がかった髪。ページをめくる指先はきちんと整えられている。

しばらくの間、遠巻きに様子を伺っていたところで、男性の横を老人が通りかかった。老人がポケットから定期券を取り出した拍子に何かが落ちて、男性の足元に転がった。それに気がつくと拾い上げ立ち上がる。落としたことに気が付かない老人はそのまま改札を通り抜けホームへよたよたと進んでいってしまった。

「おばあさん!」


老人の耳が遠いのか、今しがた入行してきた電車の騒音にかき消されたのか、男性の声は老人には届かない。小説をベンチに放り慌てて老人を追うと改札を抜けて行った。


しばらく様子を伺っていたが戻ってくる気配はなく、ぽつんとベンチに取り残されてしまった小説を見つめる。おれはベンチから小説を拾い上げ、そっとカバンにしまった。









父親に初めて買ってもらった本か。それはさぞ大切な本だっただろう。渡せてよかった。

おれが親父から初めて買ってもらったものはなんだろう。幼い頃、我が家は貧乏で欲しいものなんて買ってもらえなかった。欲しいものどころか家には何もなかった。けど、建築に関する本はなんでもあった。ル・コルビュジエ、フランク・ロイド・ライト、黒川紀章、丹下健三、隈研吾など国内外の建築家の作品集、図面。個人邸宅から公共施設まで。まだ文字を読めないおれに親父はまるでそれらを自分が手がけたもののように読み聞かせた。そして「お前もいつか素晴らしい作品を作るんだぞ。お前には才能がある」と言った。さながら英才教育のつもりだったのだろう。そして親父の思惑通りおれは建築家になり、結局親父の建築事務所に入所して仕事をもらっている。