(前回から続き)

  ”富国強兵”政策と、”海軍鎮守府”設置計画
 明治政府が近代国家建設を目指して、真っ先に掲げたスローガンが「富国強兵」です。
 西欧列強と対等に渡り合うには、”横須賀造船所”の拡充に続き、 日本周辺海域に軍艦を配備して日本を防備すべく ”
鎮守府”の設置計画を明治9年(1876)に決定しました。
 
鎮守府とは、日本の海域を 四つに分割し各海区に 『軍港と、海軍工廠(艦艇の建造、修理、兵器の製造等を行う工場)、海軍病院、海軍水道などの施設を設け、運営や監督を行う《海軍本拠地》』です。
 しかし具体的な設置場所については、その後、敵艦の進入を阻む地形や、艦艇の航行・停泊の便、水深、交通・連絡の便、必要物資調達、兵員集めなどの諸条件が最も適する港(軍港)として、①横須賀は「横須賀造船所」を引継ぎ、②呉と、③佐世保 は明治19年(1886)に、④舞鶴は少し遅れて明治22年(1889)に設置が決まりました。

 

  富国強兵政策
 ここで、「富国強兵」には、学制、兵制、税制、殖産興業の4つの政策が打ち出されました。

  • 学制】は; 近代的な国家を目指すために教育に力を入れ、身分や性別に関係なく国民皆学を目指しました。 それは当時のフランスを見習って制定されたと言われています。
  • 兵制】は; 徴兵令を出して、国民に兵役を課し、武士制度は廃止しました。
  • 税制】は; 地租改正で土地に税金を課して国の財政に当てました。
  • ※【殖産興業】は; 軍関係以外の「官営事業の整備、及び統括推進です。

 つまり、交通・通信設備、金融制度、鉱山事業や諸産業施設(工場等)の開設や統括、及び金融制度では貨幣などの制度改革です。

※【殖産興業】の具体例としては;

 群馬県の富岡製糸場や、紡績会社や、八幡製鉄所や、鉄道(明治5年に新橋ー横浜間の開通後 全国に延伸)や、あらゆる近代産業、銀行などの金融機関や貨幣制度、インフラ工事なども対象になりました。
これらを ”官” が行うには仕事量が余りに膨大な為、民間事業者にも委託され、三井、三菱などの財閥が生れました。

こうして一気に ”文明開花”と、国造り改革が本格化していったのが明治時代です。

 

横須賀製鉄所と富岡製糸場
 日本の財源確保には、”生糸” は 唯一のドル箱(輸出品)として、真っ先に注力されました。 富岡製糸場は、明治4年に着工され、建設には横須賀製鉄所での経験や技術が利用されています。 例えば富岡製糸場の建物には、一部に横須賀製鉄所製の刻印のレンガも使用されています。 また日曜休日制度、健康診断、年功給、有給休暇、複式簿記も採用されていました。 人間関係も横須賀製鉄所の首長だった;ヴェルニーと、富岡製糸場の首長だった;ブリュナは家族ぐるみの交流があったと言われています。(続)