イベントバナー

 

子供が小さかった頃、休みの日に幼稚園バスを見送ったりしたことを思い出す。

おみおくりとお迎え。先生とご挨拶をして、顔見知りの子供たちに手を振って・・・

 

その前に、

自分の子供の頃も同じことをされていたのだろう、きっと。

いやいや自分が幼稚園に通っていたのは徒歩で歩ける圏内だったので、バスでの送り迎えはなかったと思う。

 

時は流れ、ときどきあちらこちらで見かけるのは、家の前からデイサービスの車のお迎えがあって、お年寄りが送り迎えされるシーンだ。子供とはまた違って、複数の方が車いすを運んだり、とても力のいる作業のように見える。

 

そして・・・

 

ウベルト・パゾリーニというイタリアの映画監督がいる。この人はなんとルキノ・ヴィスコンティの甥だという。ヴィスコンティといえば「ベニスに死す」だが、ほかにも素晴らしい映画を世に残した偉人だ。

 

 

そのヴィスコンティの甥であるウベルト・パゾリーニ監督の代表作がこれだ。

 

 

英語のタイトルは”Still Life”だが、日本語では「おみおくりの作法」と名付けられた。邦題のつけかたについて、時々疑問はあるが、このタイトルはしっくりくる。孤独死の葬儀を行う仕事をする人物の物語。彼もまた仕事を終えていくという展開。孤独を見送る仕事をしてきた主人公もまた孤独に天国へ向かうという話し。

 

おみおくり

 

自分の年齢とともに、おみおくりする対象も変化し、いずれは自分も見送られる。いや誰にも見送ってもらわなくてもいいのだが、どちらにしても消えてゆくものだ。

 

見送り見送られを繰り返すのが人生か。

 

 

 

 

 

ジェンダー・ギャップ指数について、ブログや新聞の記事を転載。

 

男女平等、日本は世界125位で過去最低 ジェンダーギャップ報告書

日本は男女平等の達成度合いで、調査対象となった146カ国のうち125位(前年は116位)。経済と政治分野の遅れが響き、2006年の発表開始以来、順位は最低だった。

朝日新聞

 

【ジェンダーギャップ指数】日本、2023年は世界125位に後退 改善しない政治・経済

2023年の日本の分野別スコアと順位をみると(「Global Gender Gap Report 2023」p.217-218)、とりわけ深刻なのは政治で、次が経済だった。

この情報から推測すると、職場のハラスメントがまだまだ残っているほか、ジェンダー教育が行き届かないことが大きな要因なのではないかと思われる。

いずれにしても日本はやる気なしのようだ。

中秋の名月に思う

トラック運転手と看護師の夫婦のすれ違いをどう解決するか?という問いに対する「無意識の偏見」についての記事。

 

It could take 131 years for the world to close the gender gap, report shows

 

日本でギャップがなくなる頃は地球が滅亡しているのではないか?

 

UK falls six places in gender equality rankings

 

 

百度(バイドゥ)ニュースで、日本の自衛隊を警戒するニュースが流れた。

 

自衛隊が「日米空母3隻を同じフレームに」披露、中国に見せる?

 

自衛隊が東シナ海で米国と「空母3隻を同一枠内で」軍事演習を実施すると発表、日本のメディアは「中国を標的にしている」と喧伝した。

 

岐阜市の自衛隊日野基本射撃場 自動小銃乱射で隊員数人死亡か

 

捜査関係者によりますと、14日、岐阜市にある陸上自衛隊の日野基本射撃場で何者かによって自動小銃が乱射され、
自衛隊員数人が死亡したということです。

 

このニュースを受けてTwitterでは、予想通りこの映画を連想する方もいるようだ。

 

 

実は自分も同じことを思った。フルメタル・ジャケット

 

 

この映画の主人公はジョーカーという。いったいいつになったら世界から武器(兵器)がなくなるのだろうか?

 

自衛隊員が銃乱射し3人死傷 陸自トップが陳謝 調査委員会立ち上げ原因究明へ

 

森下泰臣 陸上幕僚長
「この度は、国民の皆様に大変ご迷惑、ご心配をおかけし申し訳ありません。このような事案は、武器を扱う組織として、決してあってはならないものであり、陸上幕僚長として非常に重く受け止めております」

 

武器よさらば

 

 

 

 

 

 

 

おぞましい光景を目撃して胸が痛くなった。

 

孫を連れて電車に乗ったら、優先席が空いていて、目の前に高齢の御婦人がいらしたので席をすすめたらモジモジして座ろうとしない。変だな?と思いながらひと駅過ぎると、反対側の優先席が空いて、その御婦人はそちらの席についた。

 

なぜか?

 

もとの空いている優先席に黒人男性が座っていたからだ。

 

 

胸が苦しくなってくる。

 

怒りでもない呆れでもない、情けないというかなんというか、「ああ、これが自分たち日本人だ」と思った。

 

ここでは黒人男性が優先席のことを理解しているかどうかという話題は捨象する。あくまで御婦人が黒人男性の空いている席に座るのを嫌がった、という現実だ。ちなみに黒人男性はとても紳士的な方のように見えた。

 

「命を救うのは人間の判断」

 

という記事にも書いたが、日本の入国管理局が外国人に対し劣悪な対応をしている事実とこの日の御婦人は同じ線上にあると思う。御婦人を非難するつもりはないが、あまりにも見た目だけで人を判断する非人道的な血が我々日本人には色濃く流れているのではないかと思いたくなる。

 

本当に胸が痛くなった。

ずいぶん前のことだが、こんな記事を書いた。

 

女性のリーダーたち

 

世界の未来を託すべき優れた女性を紹介する記事のつもりだった。

 

翻って思うことは、この国が終わったということだ。もう取り返しのつかないところまできてしまったらしい。

素晴らしいリーダーがあまりにも多すぎて・・・

 

安倍晋三が「育てた」政治家・杉田水脈が差別発言を繰り返す理由

 

「有権者が投票用紙に『杉田水脈』と書くことはほとんどないでしょう。彼女のあのような主張では、有権者の共感を得られず小選挙では到底勝てない。だから、自民党の比例得票によって議席が配分される道を選ばざるをえない。
極端に右翼的な発言をする政治家。その役割を果たすことで、杉田は議員バッジが保障されている。小選挙区には出馬せず、比例のみで議員を続けているのはこのためです。差別的な発言を繰り返していては、一般国民からは顰蹙を買うばかりですが、一部支持団体にとっては重宝する存在です」

 

 

 

杉田水脈・衆院議員が逆転敗訴 研究者への名誉毀損を認定 大阪高裁

 

なぜ高市早苗氏なのか “決められない安倍派”から次期総裁選で「推す声」が急浮上した理由

 

 

維新、梅村みずほ氏を党員資格停止処分に ウィシュマさん巡る発言で.

 

 

昨日、所属政党日本維新の会より党員資格停止6ヶ月の命を受けました。
参院法務委における入管法改正案の審議については己の未熟さを痛感するところであり、今回の処分を謹んでお受けする所存です。
本会議以降、多くの皆様よりいただいた叱咤激励の全てを糧として今一度初心に立ち戻りたく存じます。

 

人の命をゴミとも思っていないような方が、これからの日本をリードしてゆくのだ。ほかの国では想像もできないようなことがこの国で起きている。

 

世界初”幸福”を国家予算に組み込んだニュージーランドの挑戦

 

 

Democracy is always a wonderful

 

 

こわ!

 

 

上方落語が”上方”と呼ばれる所以は、そこに知識人が多かったからだ。都が江戸に移ってもなお、上方と言われたのは、多くの知識人が文化をリードしていたからだ。

上方落語

江戸時代以降、実は大阪は常に上品で知的でアイデアが豊富で魅力的なところだった。

 

お笑いの世界でも数十年前までは政治を牽制するようなネタを見かけた。

 

ところがどうだ。昨今はメディアとお笑いが政治と手を組んで庶民をミスリードする。このおかしな手法を国家も猿真似しているという悪循環。それに多くの国民も同調しているという状況のようだ。

 

全ての人に見てほしい、入国管理局の実情

 

ある政党の議員が国会で発言した内容に震撼する。

 

 

こういう方をトップ当選させてしまうのが今の大阪らしい。ひとが死んでいるのに「甘ったれんな!」と言っているように聞こえる。そして、この議員の公設秘書が殺人未遂で逮捕されるという恐ろしさ。

 

公設秘書は殺人未遂で逮捕

 

しかも刑事訴追された人物を再雇用するという寛大さ。いや、罪は許されるべきだとは思う。過ちは正せばよい。しかし、過ちに気づかずにひとの命がどんな理由であれ失われてゆくことに対し「甘ったれんな!」という国会発言をする御仁に、政治を託していいのだろうか。

 

日本維新の会が「殺人未遂で逮捕」の秘書を党職員として再雇用

 

個人的には大阪人が好きだ。しかし、こういう思想、ひとの命を虫けらのように扱おうとする人物・・・ではなく、この人物に投票し支持する方たちを疑う。申し訳ないがあなた方がなぜああいう政治家を支持するのか聞いてみたい。尊敬すべき大阪人を同じ日本人、同じ人間として、あなた方に問いたい。なんであんな愚かな政治家や政党を支持するのか?騙されていないのか?教えてほしい。

 

決してあなた方を非難はしない。

 

 

 

今週の国会を軸に様々な悪しき法案がろくに議論もされず(公開もされず)多数の原理で可決してゆくようだ。入管法に保険証廃止、軍事費拡大、原発稼働などなどなど・・・(牛久)

あとの祭りになることが確定したのである。

 

「ピータールーの悲劇」

 

それはともかく・・・

格差の広がりを色々言われているが、日本がこれほど貧しくなったのは、法人税を下げて消費税を上げたからに相違あるまい。これが正しかったかどうか?という議論はここで控えるが、法人税を下げなかったら失業率が上がったかもしれないというのは間違いだ。正常な成長が金融財政政策に裏打ちされればこんな政策を放置することもなかったことだろう。政治家が利権で潤う仕組みの国だから仕方ない。

 

では、「貧しい者」の定義をどう考えるか?

ひとことで「貧しい者」といっても幅広い。本当に明日の生活に困窮するほど貧しい人もいるし、いくらお金があっても心の貧しい人もいるだろう。この貧しき人々はいったい何を欲し何に飢えているのだろう。

 

ドストエフスキーの小説「貧しき人々」では、極貧の中で最後に愛についてしたためられて物語は途絶えてゆく。きれいごとでいえばきっと多くの貧しき人々は愛を求めるのではないか?と考えるが、それは貧しくない人、つまり富める者(金持ち)も同じだろう。人類は永遠に愛を求め、手の届かぬうちに人生を終える。

 

お金持ちは、知性もあって、心も豊かだ。では彼らに共通するものは何か?それは生まれ持って与えられている者たちであることがほとんどだ。恐らく世界の数%の金持ちは生まれながらにして金持ちだ。だから何か特別な欲求などない。ただただ生きているだけで所得がある。労働という対価なくして生きていける人々だ。彼らはほとんど何の努力もせずに、現在価値(資産)を維持するノウハウだけを代々受け継いでいる。そしてそういう人たちが政を司るのである。

 

この国の恵まれた、生まれながらにして与えられた人々は、この国の貧しき人々のことなどお構いなしに軍国化してゆく。この国の人々が飢え死にしようがお構いなしだ。

武器よさらば

 

 

第一次世界大戦を描くドラマとしては「西部戦線異状なし」なども連想する。

 

 

それにしてもわれわれ人類はいつになったら武器を捨てる日を迎えるのだろうか。

 

 

武器とは銃や戦車だけではない、愚かなメディアやカメラなども時々武器になる。

武器とカメラ」の関係もまた複雑だ。

 

 

なかなか簡単に「武器」とおさらばすることはできないらしい。

平和なんて来ない。

 

 

 

 

 

 

内田樹先生のテロに関するコメントの先に、さきの事件を中国ではこのように報道している。

 

岸田自导自演?安倍遇刺案模仿犯?

911の教訓も「憎悪の輸出」を繰り返す社会も、この国では妖怪の影がいまもちらついているようだ。こういう事件があると支持率が上がる。国民にとってろくな政策も提示せず、アベノミクス時代に発明された「閣議決定」という裏技を繰り返す国。

 

テロはやがてウィルスのように感染するが、それもこれも(百度の報道を軸にすれば)自作自演だと断じている。演出は「電通」さんらしい。「あなたが悪い」ということだよ。

 

どうせテロを取り締まる方向に目をそらそうとするだろうが、テロがなぜ生まれるのか?をまるで考えない空洞社会。

 

同じ過ちを繰り返すだろうよ、どうせ。

 

もう終わりにしよう」という映画があった。

 

しかし今日の話はここから始まる。

 

「この間、横断歩道を普通に通り過ぎたら罰金とられちゃってさ。」

 

人が待つ横断歩道を車が通過すると2点引かれて罰金9,000円だそうだ。

車も自転車も持たない自分にとってはなんの問題もない。交通事故死が年々減少傾向にあるのも素晴らしいことだと思う。

 

では、

横断歩道のない道路を通過するとどうなるか?

というニュースが流れていて聞き耳をたてた。どうもひかれた方はその後息をひきとったらしい。80代の高齢者。そして運転者は60代だという。老老介護ならに老老事故。又は老老殺人?

 

交通事故の話題というと2019年の池袋の交通事故があまりにも悲惨極まりない。轢き殺した運転者が80代の高齢者で、轢き殺されたのが若い女性と幼い子供だったものだから問題が大きくなった。

このふたつは全く同じ事故なのに、どうしてこうも印象が違うのだ。池袋の事故に関しては、加害者が「上級国民」だったから余計はなしがややこしくなっている。例えば、自分があのときあの母娘を轢き殺していたら、その場で逮捕は間違いない。しかしあの方は元官僚だから逮捕すらされなかったのだ。

 

被害者のご主人も気の毒だ。その後様々な活動を重ねてはいるが、失ったかけがえのない命はもどらない。しかもそうこうしているうちに加害者の高齢ドライバーは禁錮5年の刑を終えて出所するだろう。

自分なりの結論は「加害者にならないために車も自転車も持たない。」というものだが、それが本当に正しいかは誰も判定できない。しかし少なくとも80代の高齢者を轢き殺した同世代、60代の運転手にはならくて済んだというものだ。これは進化を止めるしなかいという短絡的な結論ではある。

 

では、横断歩道を渡らなかった80代の男性はどうなるのだ。80代の運転手が80代の歩行者を轢き殺したのならよかったとでもいうのだろうか。

 

誠に世の中は理不尽極まりなくできている。生きるべきものが死に、死ぬべきものが生きている、という言い方が正しいかどうかもわからない。そんな矛盾した世の中を我々はまだまだ生きるしかないのだろうか。

 

このあてのない自問自答も愚かだと思う。仕方がないので、今日も「もう終わりにしよう」。残念だが。