いつも心からしょうもないブログを読んで頂いて、本当に申し訳ございません。

いや、読まなくて結構です、別に。読んでほしくもありません。ただただ言いたいことを言いたいだけ。

 

いやこの間ね、寄席に行ったら柳亭楽輔師匠が例の調子で現れて、枕で毒舌を放つわけですよ。で、いつ落語やるのかな?と待ってたら、落語やらずに枕だけで終わっちゃいました。でも楽輔師匠は言いたいこと言って「すっきりした」と言ってました。異いた事言うとたしかにスッキリしますよね。

 

ということでタイトルの意味はのちほど・・・

 

原一男監督の『水俣曼荼羅』という映画を鑑賞したんですね。ざっくり6時間半。休憩2回はさんで、昼過ぎから始まった上映が終わったのは夜8時。そしてなんとその後、原一男監督ご自身が登場するトークイベントが始まるというすごい日に当たったんですね。『コントラ』といい『由宇子の天秤』といい、めちゃめちゃついてます。試写会も時々当たるしね。

 

 

それはともかく『水俣曼荼羅』は、とてつもない大傑作でした。原一男監督といえば『ゆきゆきて神軍』。あの衝撃的な映画から30年が経って、とてつもなくスケールの大きな映画がまた再び原一男監督の手で生み出されたわけです。すごいです。6時間という長尺は必然でした。しかし、タイトルから想像するような暗さはまるでなく、水俣病患者の生活をそのまま映し出す愛の映画だったわけですね。もう途中で涙が止まらなくなりますよ感動して、ほんとに。

 

 

で、問題にしたいのはやはり行政と企業ですね。メチル水銀を垂れ流して放置し、事後処理もしない国と県。水俣病に認定された方はともかく、水俣病の疑いのある方たちはほとんど認定が棄却されます。恐ろしいのは最高裁判決があった後も、県は認定を棄却しつづけます。これすごいです。原監督もおっしゃってましたが、ジョニー・デップの『ミナマタ』は、世界に水俣病を知らせるきっかけとしては素晴らしい映画だった。しかしあの映画は水俣病を過去にあったこととして語っている。しかしこの『水俣曼荼羅』は現在進行系で、これからもまだまだ続くことが間違いないことを示そうとした映画なんですね。そういうお話を聞いてまた感動するわけです。

 

 

行政は僅かな金で患者を丸め込んで根本原因を掘り下げることなく幕引きしたい。患者側はもう高齢化が進みお亡くなりになった方も多く立証が難しくなっている。こうした現実を次世代につなぐため中継ぎのような映画がこれだと原監督は言っています。

 

 

いや、それにしてもひどい。患者と支援者と弁護団の怒りが伝わりますよ。県も国もまるでやる気なし。水俣判決の日、もともとこの日は予め決まっていたのに、県知事は政治資金パーティに出ていて現れもしない。弱者である患者気持ちをまるで察することができない人でなし。それがこの県知事です。映画には企業の立場は全く示されず、きっと取材すら受け付けないのでしょうね。

 

 

映画が終わって一人一人丁寧にサインに応じる監督を見て、もらい泣きしましたよ。原一男は戦っている。それは水俣患者のためではなく、彼の戦いなんですね。そしてこの6時間の映画を見る我々は原一男の支持者だ。そうありたいと思う。しかし権力というのはまことに恐ろしく頑強で嘘つきで隠蔽体質で心の通わないものだ。

・・・

さてここで、先日鑑賞した4時間半の映画を思い出すわけです。わすれもしない『ボストン市庁舎』ですね。フレデリック・ワイズマン監督。

 

 

こちらの映画は、地方都市の市長がアメリカという国を変えるためにあらゆる手段で市民の支持を得ようと努力する話で、市長自ら市民との対話を重ねるという方法で立ち向かいます。そしてこちらは6時間半の映画の中で、県と国がたらい回ししてるだけです。恐ろしくなりますよ。

 

合計11時間かけて映画を見て、この愚かな国というものがよりいっそうわかってきたわけです。国家は国民を守らない、という事実(現実)があらためてわかっちゃったんですよ。

 

 

悶えてなりと加勢する

 

原一男監督がサインとともに書いて下さった言葉はですね、作家であり自らも病気を抱えていた石牟礼道子さんの「悶え神」という言葉の引用です。原監督の心は悶えています。悩み苦しみ悶える。映画の中で水俣病のジャンヌ・ダルクと呼ばれた石牟礼道子に原監督がインタビューしたとき、石牟礼さんが「許し」という言葉を口にする。彼女はかつて水俣患者とともに「怨」という旗印を掲げて戦った方ですよ。そんな偉大な作家ですら、時間とともに妥協しようとしている。ここは原監督の忸怩たる思いが伝わります。だからこそ敢えて石牟礼さんの残した「悶え」という言葉を自ら背負ったのではないでしょうか。

 

 

11時間かけてわかったことはそんなことです。もう日本は終わってますよ。このブログでも何度も何度も警告しているつもりですが、誰もわからない。政治家は日本国民を愚か者で馬鹿だと見下してるんですよ。それでも転落してゆく日本をそのまま置き去りにするんでしょうか。

 

映画の中で水俣訴訟に積極的な農家の方のインタビューで「地元水俣で水俣病のことの話をすると嫌な顔されるんですよ。」って、どうですか?それでいいんでしょうか。大きな体育館ではした金を受け取って行政の幕引きに加担する大勢の中で、90歳の老人が一人だけ反対しますね。勇気ある行動だ。しかし、この老人のことを誰もよく思わない社会なんですよ水俣は。それは水俣のことではなくて、日本という国そのものを示します。

 

毎日怒りがおさまらない。いいのかほんとに!

 

 

 
 
 
 
 

 

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