今日2月7日は「仇討ち禁止令を布告」だという。なんと1973年前、明治6年のことだそうだ。

当時、司法卿(現在の法務大臣)だった江藤新平らによる司法改革の一貫だそうだ。

しかし維新十傑のひとりとされる江藤新平は翌年征韓論争に敗れて野にくだり殺される。敵討ちの制度を改めたのに自らの命を縮めるという皮肉な生涯を閉じている。御年40歳。

この話を今朝聞いて、宮崎学さんと大谷昭宏さんの対談が思い出された。「法か、掟か」という本。社会格差は、若者を戦場に送り込む為に常に計画的に国家によってプールされているという説は衝撃だ。

この中で、理不尽な家族の死を受け入れる手段として「仇討ち制度を復活させてはどうか」という議論があった。例えば交通事故で身内が死んだ。その遺族に対して「仇討ちを認める」というようなことになる。ここまで書けばわかるとおり、例えとしてわかりやすいのが、「池袋暴走殺人事件」である。残されたご遺族に仇討ちさせてあげればどうかという考え。『茜色に焼かれる』では、早くもこの問題に取り組んでいる。

仇討ちを許されて、自分が遺族だったらその犯人を殺せるか?という話である。「殺していいよ」と言われれば、殺したいほど憎らしい人物は世の中にたくさんいる。だが「自分でその人を殺せ」と言われてそれが実現できるかというと、かなり難しい。その代替えとして日本には「死刑制度」があるが、世界でもこの制度は批判が強い。(あまり国内では報道されない。)

 

これぞ究極のジレンマだ。

 

コロナで次々に死んでゆく方々のことをこの身に置き換えて、仇討ちことを考えるときがあってもいいだろう。

忠臣蔵だけが美談というわけでもあるまいし。

 

 

 

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