珈琲の香りと紫烟の中で・・・・・
死亡遊戯  1978年



 昨夜、ピグの衣装で黄黒のトラックスーツを着ているの見て、『死亡遊戯』の記事を書こうと思いました。


 1973年7月20日に32歳の若さで急逝したブルース・リー。生涯主演作4本、『ドラゴン危機一発』(71年)、『ドラゴン怒りの鉄拳』(71年)、『ドラゴンへの道』 (72年)、『燃えよドラゴン』(73年)を残し天に昇った。

 しかし、ブルース・リーは『ドラゴンへの道』の次作として、監督・脚本・武術指導・主演を兼ねた映画を作ろうとしていた。五重塔の各階に武術の達人が待ちうけており、それらを打ち破りながら最上階へと上っていくという発想の作品でタイトルは『死亡遊戯』。早速撮影にとりかかり、ヌンチャクの達人・ダニー・イノセント、韓国合気道の達人・池漢載、身長218CMの巨人・カリーム・アヴドゥル・ジャバールの3人との対決シーンを撮り終えたところで、米国との合作映画『燃えよドラゴン』のオファーが入り、一時撮影を中断した。

 『燃えよドラゴン』は、日本にブルース・リーが初登場した記念すべき作品となった。しかしこのとき既にブルース・リーはこの世にいなかったのである。日本では『燃えよドラゴン』公開以後、『ドラゴン危機一発』、『ドラゴン怒りの鉄拳』、『ドラゴンへの道』と立て続けに公開されカンフー映画ブームを巻き起こした。

 

 ブルース・リー急逝から5年後、未完成になっていた『死亡遊戯』を、『燃えよドラゴン』のロバート・クローズ監督が、これまでの作品からシーンを抜き取って合成させたり、ブルース・リーのソックリさんやハリウッドスターを招いて前半部分のストーリーを作り、クライマックスのブルース・リーが撮影した対決シーンとを繋ぎ合わせ完成させました。


 子供の頃(8歳)、映画館で観たときはソックリさんや合成に気づかなかったけど、大人になって観た時はソックリさんが全然似てない事や、合成がお粗末なのには驚きました。


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BRUCE LEE in G.O.D

       死亡的遊戯  2000年


 上記の1978年『死亡遊戯』でのクライマックスシーン(ブルース・リーが残した対決シーン)は11分間しかなかった。しかし実際には約120分(NG含む)ものアクションシーンを撮影しており、また驚くべきことに、五重塔に上っていくシーンはブルース・リーと二人の仲間が同行するストーリーだったのです(78年『死亡遊戯』ではこの二人のシーンもカットされている)。

 前半は、映画の製作にまい進するブルース・リーの姿を、再現シーンを中心に描き、後半は、観るものすべてを圧倒する迫力の未公開格闘シーン。


 ブルース・リーが考えていた『死亡的遊戯』とはどのような作品だったのか?78年版『死亡遊戯』を観ている人は間違いなく衝撃を受けるはずです。

 

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