6月13日 | レインボーののんびりライフ~難病と共に生きる♪

レインボーののんびりライフ~難病と共に生きる♪

日々の出来事や、病気のことなどエッセイ風に書いています。

一回 長く書いたのにクリアボタン押しちゃったらしい。あぁ~。
今日は、ある意味、私にとっては記念日なんです。それはなにか、肺動脈性肺高血圧症を発病して11年目を迎えることが出来ました。2001年6月13日、15歳の時、日本大学医学部付属板橋病院に入院中で13日は9時から初めての心カテ検査を受けました。4時間かかり13時前に終わり、その後すぐに両親だけに説明があり余命一年ですと当時は言われたそうです。有効な薬が当時はあまりありませんでした。ドルナーという血管拡張剤を開始し、経過観察後退院。保育士を目指して入学した短大付属の一般女子高を退学しました。私立だけどエレベーターがなく四階の教室まではもう登れない。地元から狭山まで通えない。スクールバスがあっても地元駅を6時半に出なければ座っていけない。中三の時から症状は出ていましたが、目の異常からホルモンの異常から調べたり検査や入院を繰り返していた御茶ノ水の駿河台日本大学病院では、自律神経失調症や不登校と言われて気付いてもらえなかったんです。8年間ステロイド剤・デカドロンを服用していました。風邪やインフルエンザの時には大量にステロイドを入れなければ副腎の働きが鈍い病気だった為、点滴で大量に静注しました。心臓に雑音が聞こえる 心臓に逆流がみられる 形が変など言われましたが、大丈夫ですよといわれたら信じるしかなかった。そして女子校入学後の集団検診で異常が見つかり、すぐ連絡しました。金曜日に小児循環器専門の先生が来るから、来るように言われて、当時中間試験中だった為、私は徹夜して勉強に励んだ。そして試験最終日に下校後、狭山の学校から両親と御茶ノ水へ向かった。制服姿でレントゲン・心電図・小児循環器専門の医師が自らやって心エコーを受けた。結果がすぐ出て、肺高血圧症という病気ですと言われた。精密検査の為、夏にうちの病院で検査入院しましょうと言われて帰宅した。土日を挟み、月曜日に制服に着替えたものの、気持ちの影響からか、体調が悪くなり休んだ。そして長年診てくれている内分泌専門の主治医から電話があり、診断がされた日会えなかったからと謝りの電話で、休んでいると親が話すと、明日から入院させましょと言ってくれたそうで、翌日から安静入院しました。小児循環器専門医は学会で海外へ行っていて帰ってきたらすぐ転院出来るように手配しますからと行ってくれた。5月末から6月11日まで入院しました。
続く