前回の「生きているなんて」を書いていた当日、
 
よく御仕事を御一緒させていただいていた
国際的にも評価の高い音楽家の方が、
あの世に召されました。
 
今でも、その方との記憶が鮮明に、よりリアルに
甦り、一種の放心状態とともに、文章表現できない
自分がおります。
 
どちらかといえば破天荒な自分の仕事ぶりを
『それが、矢野くんならではなんや!』と、
応援していただいてたりしておりました。
 
また、プレ・ファーストアルバムのプレスも、
快く御引き受けくださいました。
 
時には御酒を酌み交わしながらの音楽議論にも
御付き合い賜り、
『これが、矢野くんの魂というものを出せ!』
『もっと、もっと真剣に音楽と取り組め!』
『音楽を舐めたらアカン!』と𠮟咤激励をいただきました。
最終的に仰られたのですが、彼は人間の声が嫌いだそうです。
一番的確なアドヴァイスが一つだけ御座いました。

   『おとかず を減らせ!よけいな音は、いらない。』

自分は、ロッカーでもあるし、ポッパーやジャジャー他々
(シンガー=エンターティナーということでの造語です。)

しかし、嫌々ながら自分の様々な音源を視聴しながら、
ハッと気付く 瞬間がありました。自分をオーディエンスに
見立てた場合、バック・トラックの音が少ない方が、言葉が
活きて聴こえてくるということを。

人間、多彩な様に、「らしさ」も様々です。自分はヴォーカリスト
としての信条は「らしさ?」を多彩に演出するということでした。

だからこそ、もっと篤く深く、御話がしたかった!

自分は彼とのレコーディングしか、頭になかったので、
楽曲や声色を含め、いろいろと試行錯誤いたしておりました。
そんな中、電話した二月が最後の御話となりました。
 
一緒にレコーディングをしたかった!
ともに音楽活動をしたかった!
もう一度でもいいから、あの場所で御逢いしたかった!
 
彼が仰っていた「矢野 雄彦」らしさで此れから、自分は、
自身のフィールドで生き抜くのみです。