私儀、矢野雄彦(矢坂 雄弓絃)が、徒然に感じた事等を綴らせて戴きます。
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猛暑お見舞い申し上げます。自分はと申しますと、フリーランサーとしての作業と、アルバムづくりに追われる七月。そんな中で、ふと気附きました事が御座います。私達、大人が行ってる仕事。音樂や美術で、あろうが、他の技術職や研究職 他で、あろうが、“伝え、伝えてゆく”、それを突き詰めますと“生きる・活きる”行為では、ないかと。善きものを自分自身の皮膚感覚で知った。善き事の施しに逢った。善いと実感できるモノやコトが創れた等々、おそらく一番に厳しいであろう自己の審美眼に照らし合わせた上で、生まれた現象は生命そのもの、また確かな自身の息吹かと。今回も、プレ・ファースト・レコーディング・アルバムですが、完売してしまいました、プレ・ファースト・ライヴ・アルバムは、どちらかと申せば、ライヴのノリで御購入たまわった感じが大きく、正直に記載いたしますと「よいんかなぁ。。こんなんで。。」と云う忸怩たる気持ちが御座いました。同じ事を繰返しては駄目。自分の生き様、今ある生命の証、生き映しと成り、人々に伝えなければならない自身の体験という意味で、アルバム・タイトルをあーだこーだの末、“生命(いのち)”に決定した次第で御座います。短距離走やマラソン感覚で、暗く長いトンネルを走っている気分。原盤(前回はワケわからず原盤まで販売してしまったゆえ。。。。)完成の暁に必ず訪れる爽快感とLIVEへの展望に自分自身、期待いたしまして。 西暦 2015年 7月15日(水曜) 吉日 出張先より 矢坂 ゆうげん 拝
現代の超高度・情報文明化社会に於きまして、地球表層で様々な事が起こり出してから、約15年が経過いたしました。人災・犯罪・戦争・天災・羅災・放棄・忘却 他の現状は、いつになれば収束の時を迎え、人間は欲望を抑制し、まずは地球環境の総点検、そして復旧に向かうのでしょう。本日、深夜の関東圏域気象で、2015年度は益々わからなく成りました。ただ、同じ地球民なら自身に置換えて気附かれ、事に対処する気持ちが、ごく自然な感性と感じます。信じて行くのみです。来週は、いよいよ(ホント延び延び。。)アルバム録音。歌録りは相当に悩んだ末、人様のStudioを御借りする事と相成りました。と、、此処で、、、、コーラス・プランを失念している事に氣附きました。。。。あーーーー~~~~そしてそしてそいでほんで、約4年ぶりの公演慣行。出来れば、レコーディングをスッとばしたい。。 その前は2009年9月の愛媛音楽彩ですゆえ、なんと怠慢な歌手なのでしょう。2015年、氣を、あらたにして、地球生命の様々な想いに寄り添わせていただいたつもりで、此の15年もしくは17年の間に制作いたしました、『 自 由 』や『 星 座 』を歌唱させて戴く所存です。矢ったるでー!https://www.youtube.com/watch?v=k8CTcOJhRMc
まもなく夏!もうすぐ夏!!待望の夏!!!!もう夏季だけれど。 テスト文章を御容赦くださいませ。https://www.youtube.com/watch?v=3DQkdHfQs58
ファースト・レコーディングアルバムが段取りついたとの記述から、もう一年一カ月。事務所を音楽STUDIO仕様のレイアウトに変えてしまい、ひたすら、曲・曲・曲制作。。ただでさえ、数年前に数えた程度だけで類推すると、四千曲程(もちろん、16小節程度のフレーズどまりも有り。)、あるのに、つくり続けるサガは止められないのだろうか。誰かが言ってたけれど、曲が生まれた感動を観客の方と分かち合えるのがLIVEの場だと。しかーし!どこかで、線を引かなくては成らない!という事で?温泉に行って来ました。文庫本と何が入っているのか解らない自身のM.D.とデジカメ以外は、なんにも持たずに。あれですな。文人きどりですな。兵庫県の湯村温泉と鳥取県の三朝(みささ)温泉を巡る行脚。三朝は御仕事で何度も訪れている事もあり、馴染みの温泉。湯村は、中学生のユース・ホステル以来だから、40年近くぶり? 湯村温泉。いーです。泊りは、佳泉郷いづつ屋という著名旅館 でしたが、シングル・ユース朝食付き八千円。いーです。十二分に元は取ってしまいました。ふと聴いた自曲の録音。これがまた自画自賛ですが、いーんです。 この後、三朝にて雪の洗礼を浴びましたが、いい加減にしないと、生涯、アルバムは出来ないゆえ、先程十曲に絞り込みました。ついでにインストロメンタル・アルバム十二曲も。。いつなんでしょう、いつなんでしょう。諸々のプロダクトも整備して、5月の連休明け!さ、作業に戻ろっと。想意
I was Idler. Becouse I'm Rulley.But We are Sacret Human. 私は決して屈しない。なぜなら的確性を備えてしまった由縁。しかし私達は正当挟持を忘れては成らない。
I was Idler. Becouse I'm Rulley.But We are Sacret Human. https://www.youtube.com/watch?v=NWEmk2NmZvY
私は何故か、ウサギさんに惹かれます。人生の中で、始めて役割を担当したのが、ウサギさん係だったのかも知れません。奄美のクロ兎さんは、御存知の通り天然記念生物。因幡の素兎(こう呼称するそうです。)さんは、古事記に記述されていますが、鳥獣戯画と同様、擬人化されている要素が大きいと感じますが、何故かウサギさんを私は、とっても人間的だと感じてしまうのです。記述し始めましたら、超長文化してしまいますので、今回は割愛します。残念ながら、もう閉鎖されてしまいました宝塚ガーデンフィールズで、時間や我を忘れてウサギさん達と戯れました。哀しい事ですが、モルモットさんの寿命は最低10年あるそうです。少し前までは、野兎さんが自由に自然の中を駆け巡っていた時代。そんな時代に回帰したいと、つくづく想う今日この頃です。
立春ですね。律旬、凛瞬とも、想わず自省してしまいます今日この頃。これからは二十四節気にての投稿を心掛けるのも善いのかも知れません。(あまりにも不定期ですゆえ。。)とはいえ、ようやくファースト・レコーディングアルバムの段取りを修了する事が出来ました。永かったですね。怠慢でしたね。後は、ヘッドフォン恐怖症候群をクリアせねば、なりませんねー。予算取りの都合上、実質5曲に絞り、Over tureとEpilogueインストロメンタル??楽曲を入れて無理矢理に七曲と致しました。あー、はやくライヴを催行したい!そんな日々です。
はたまた、期間が空いてしまいました。異常気象の夏も過ぎて、秋の気配と油断していたら、まだまだ蒸し暑さが残る秋。ただ、虫達のハーモニーは素晴らしい。最近、苦手だけれども、コンピューターによる音楽制作とユー・チューブへの試験的投稿を試行してみました。正直、音樂はフィジカルに、何よりも活動的に行いたい今日この頃、世情や地球的情勢を含め、いろんな事を考えさせられる秋の宵です。
新年度の2週目が春疾風と伴にスタート致しました。いよいよ此れからですね。取捨選択が始まりますのは。
しばらくの期間、熟慮や欧米装置にての投稿を繰り返しておりました。何故なら、藤田くんには申し訳ないけれども、地球各国とネット・ワーキングされている事と人口比率、またここ三年程、もしくは、四年ばかし、憂国&人モードに入っておりましたからです。 弊事務所では太陽太陰暦(月と太陽もしくは明治維新以降うまれですが、郷愁を感じるのが、その前の時代から発祥まで。)を採用しておりますゆえ、節分までが辰年、元旦は一月十日日曜日と成っております。 ふたたび、武ログにも回帰しつつ、今や過去の遺物と化したあっとホーム・ページの製作も完成させる所存です。
気がつけば、12月。世情も含め、慌ただしき時期と相成りました。今年も一年、永かったなぁ。でも、そういえば、この一年まともにライヴを催行していない!世間様は関係なく、大問題だぁ!怠慢だぁ!声は出るのかな?♭ラーレリル~レロラロ~♪ うん大丈夫みたい。でも、レコーディング作業が滞っているし、メンバーも普通の人となってしまったし、ま、いいや。どっかのLIVEに飛び入りしようっと。でも、むつかしいなぁ。Mac.Os9からのデータ変換って。出来るもんもあるし、出来んもんもあったりする。ダブリ写真、御容赦を。
久方ぶりに頭がディジタル変換されてる内に、幣ブログのメンテナンス等を行おうとしたなら、『ゆうげんのブログ』が沢山あった。中には自分達にしかも、日本戸籍名の矢野 雄彦と住居にまでも!!!恐行犯罪を犯してきた鉄道オタクタチどもの人格気質を彷彿させるものも存在した。無茶苦茶、気色わるいゼよ! ブログのタイトルって、三年以上だし今更もう、変えられないのかなぁ。。。。
とにかく困った!もう、四十八時間以上も、コンピューターに惑わされている。こんな生活文明は、ヤだ!!!!と叫んだら、雷雨が降りてきた。。。。何故か幣杜&堂では、十五年前の創設期から十二台のパソコンが全て現役選手だけれども、新しい卓上と携帯仕様のメイン機種が止まるとは。。。。御蔭で、三台のP.C.を現代仕様に出来たけど、疲れた~。まず、仕事が出来んのとメールや顔本(翻訳&翻弄,f.b.i.p.)機能がストップしてしまった。復旧の目処が現状は截たない。
此れからが、秋 真っ盛りですね。とっても、なつかしい光景に出逢いました。
前回の「生きているなんて」を書いていた当日、 よく御仕事を御一緒させていただいていた 国際的にも評価の高い音楽家の方が、 あの世に召されました。 今でも、その方との記憶が鮮明に、よりリアルに 甦り、一種の放心状態とともに、文章表現できない 自分がおります。 どちらかといえば破天荒な自分の仕事ぶりを 『それが、矢野くんならではなんや!』と、 応援していただいてたりしておりました。 また、プレ・ファーストアルバムのプレスも、 快く御引き受けくださいました。 時には御酒を酌み交わしながらの音楽議論にも 御付き合い賜り、 『これが、矢野くんの魂というものを出せ!』 『もっと、もっと真剣に音楽と取り組め!』 『音楽を舐めたらアカン!』と𠮟咤激励をいただきました。 最終的に仰られたのですが、彼は人間の声が嫌いだそうです。 一番的確なアドヴァイスが一つだけ御座いました。 『おとかずを減らせ!よけいな音は、いらない。』 自分は、ロッカーでもあるし、ポッパーやジャジャー他々 (シンガー=エンターティナーということでの造語です。) しかし、嫌々ながら自分の様々な音源を視聴しながら、 ハッと気付く 瞬間がありました。自分をオーディエンスに 見立てた場合、バック・トラックの音が少ない方が、言葉が 活きて聴こえてくるということを。 人間、多彩な様に、「らしさ」も様々です。自分はヴォーカリスト としての信条は「らしさ?」を多彩に演出するということでした。 だからこそ、もっと篤く深く、御話がしたかった! 自分は彼とのレコーディングしか、頭になかったので、 楽曲や声色を含め、いろいろと試行錯誤いたしておりました。 そんな中、電話した二月が最後の御話となりました。 一緒にレコーディングをしたかった! ともに音楽活動をしたかった! もう一度でもいいから、あの場所で御逢いしたかった! 彼が仰っていた「矢野 雄彦」らしさで此れから、自分は、 自身のフィールドで生き抜くのみです。
生きているなんて つま らない?生きているなんて やや こしい? 生きているなんて あた りまえ?生きているなんて うつ くしい。いきているなんて すば らしい。自分自身にしか記憶や実感がない事、みなさまは、どう御感じで あろうか。たいへん御無沙汰いたしておりました。たびたび の つれづれ日誌再開です。
空 色 彩そらいろ は うつりに けしき いたづらにあの こころ して う ま れ き あ さ ぎ やさか ゆうげん 俳 いき続けるという事は、あわく儚き美しい “ そ ら ” の もと と哀しき哉 “ て ら ” の 恵み に育まれて、呼 吸 でき うる ことを実 感 いたし、そして 達 観 する 如く の陽 渼 是 日 かも、知 れま せん。