残暑お見舞い申し上げます。


マーティが50年ぶりに訪日してから、半年以上が過ぎてしまいました。

私が預かっておりましたマーティ親娘からのお土産を、6月末、彼の手書きの手紙を添えて、異父弟さん宅に送りました。

先月、そのお土産を返したいと、弟さんより電話がありました。ご家族で話し合った結果、やはり、母米子さんの『72年前の事実』を受け入れることは出来ないと…。

手紙では伝わらないからと、弟さんは、何度かご家族が外出した時を見計らって電話してくれだそうです。その日は、ちょうど私は日本にいて、乗務で成田へ向かうところでした。

弟さんは、放送を観てくれたこと。マーティが伯父の昭夫さんに面影があること、そして、私と電話している間、お土産を、仏壇の米子さんに見せてくれていると教えてくれました。いろいろとお聞きしたいこともあったのに、涙で言葉が出てきませんでした。
お土産は、私の一存で、先方にて処分してもらうよう頼みました。

この10年近く、心の奥が締め付けられながら迎える終戦の日。今年はもう、SNSなどで米子さん捜しを呼びかけをしなくてよいのに、なんだか、未だ残された課題があるようで、私は前に進めずにいます。

『戦後』は、いつの時代も市井の人々に永く影を落としますが、私がこれまでしてきたことは、酒井家の人々とその周りの人々の70年余りの平穏な暮らしに影を落とし、その人生を傷つけてしまったのではないだろうか…と思い悩んでおります。

「決して、驚かせ傷付けるつもりは毛頭なかった」と手紙に綴ったマーティは、おそらく、もう日本を訪れることはないでしょう。 


マーティ家族と酒井家が繋がってくれたら、私のお役御免で、晴れてアメリカに移れる…と思っていたので、なんだか、未だ日本に留まらなければいけない何かがあるのかしら?と、思ってしまいます。

米子さんに、あまりにも自分の感情が入り過ぎて、これではいけないとは思うのですが…。
このお盆に、米子さんがマーティの処にも還ってほしいなぁ…と思わずにはいられません。

ありがとうございました。

暑い日が続いております。どうぞご自愛のほど。