(2013年に書いたストーリーを加筆、訂正したものです)


「えっ?いま、なんて言ったの?」

「だからぁ…、マーティの『ニホンのおかあさん』を僕たちに捜して欲しいんだって」

「『ニホンのおかあさん』って、日本に住んでたことあるの、マーティ?」

「あるんだってさ、7歳くらいまで。そのあとベトナムからの帰還の途中で日本に寄港したとき数日居てそれっきりらしいよ。いやぁ、驚いたなぁ…日本人だったんだね、マーティ。まったく(日本人には)見えないもんなぁ…。」

と、さけちゃんは感慨深げにつぶやいた。


まったくだ…。


ワシントン州北、南北に細くタツノコのような形をしたウィッビー島(Whidbey  Island)の中央に位置するクープヴィル(Coupeville)は人口1831人の小さな町だ。


クープヴィル入口にある町名の標識。何年も変わっていない

ガソリンスタンドが一軒、小さなスーパーマーケットが一軒、小、中、高校もそれぞれ一校、もちろんアメリカの特に本場ワシントン州には当たり前にあるスタバなどないどころかファストフード店もないし、煌々と明るい24時間開いているコンビニも見かけない。古くからある寂れた感じのパブとか小さなレストランが二軒ほど、小洒落たイタリア料理とフランス料理のお店も最近になって出来たけれど、よく地方などにありがちなチャイニーズの店すらない。(2012年当時。この翌年くらいから、コーヒーショップも新しく二軒ほど出来たし、ようやくタイ人が経営するタイ料理のお店がオープンした。)

南北に伸びるメインストリートに沿って昔ながらの歴史ある建物や家屋が並んでいて、まるでもう何十年もここだけ時が止まったような感覚になる。その他はただただ果てしなく牧場が広がるのどかで小さな田舎町だ。このクープヴィルで唯一の自動車修理工場を営むマーティは、ウチのというよりさけちゃんのポンコツ車を幾度となく修理してくれる、頼りがいのある人物なのだ。

そのマーティが日本人の血をひいていると聞いて耳を疑ってしまった。ワタシはつい先日(2012年当時)、初めて彼に実際に会ったのだが、アジア系の血をひくとはこれっぽっちも思わなかった。

ましてや日本人とは…。

というのも、このクープヴィルでまだアジア系の住民に出逢ったこたがないのだ。
 たまに、アジア系の観光客を見かけるがそれも「島をドライブする途中に寄った」くらいの感じでごく少数だし、住所をこの町に持つ日本人はおそらくワタシしかいないかもしれない、と思っていた。


しかも、実母が日本人だという。ワタシは、てっきり以前、軍の関係で日本の駐在基地かなんかに住んでいて、その時お世話になった『ニホンのおかあさん』なのかと思った。よく言うではないか、ホームステイしていたホストファミリーの『シドニーのおかあさん』とか、大学の下宿先
の『日の出荘のおかあさん』とか、『何処そこのおかあさん』とかって…?


でも、どうしてアメリカに来たのかなぁ…?

いろいろ想像を膨らませながら、その数日後、日本地図とメモとペンを持って車で2分くらいのマーティのところへ。(当時、スマホを持っていなかった。)



車用オイルがぷんぷん漂う小さなガレージ横のオフィスに入る。ミニカーやら部品やらステッカーやらが無造作に並べて…いや見事におもちゃ箱をひっくり返したように積み重なったままの受付兼ショーケースが出迎える。そこは、まるで宝の山を見るように、メカ好きの男子にはたまらない隠れ家らしい。



「オハヨウゴザイマス....…that’s all I could remember(このくらいしか覚えてないんだ)」


日本語を片言でも話すと、こころなしか日本人に見えてくるから不思議だ。


「で、さっそくなんですが、最後にお母さまに会ったのはいつなんですか?」

「1969年のベトナムからの帰還の時にトウキョウに寄った時」

「えっ?そんな前?」
「…それで、お母さまの名前とか、その時の住所とかは覚えてます?」

「いや…それが、住所も名前も覚えてないんだ」

「…?」

「あのぅ…でも、実のお母さんなんですよね?子供のころ、日本に住んでいたんですよね?」

「孤児院にね。」

「こ、孤児院…?」

なんだか聞いてはいけないことを聞いているかも…?

戸惑うワタシの横ですかさず、さけちゃんが
「…で、その孤児院はどこか覚えてる?」

「それも、覚えてないんだなぁ…。ただ、そこは坂の上にあって、いつもひもじくて庭のアリを見つけては食べたなぁ…。」

「…。」


ちょうどランチタイムの頃を選んで訪ねたのだが、どうやら朝から修理依頼の車が立て込んであったようで電話が鳴りやまない。


「ゴメン、仕事に戻らないと。コレ、役に立つかどうかわからないけど…」


…と渡されたのは古びた茶封筒だった。その中は紺色のパスポートと、日焼けしたトレーシング紙の戸籍謄本数通だった。




1954年発給の日本國旅券を開くと、無邪気に照れ笑う男の子の白黒の顔写真。その男の子の『父母』の欄はいずれもハンコ文字で『空欄』の戸籍謄本…。

手が、震えた。

“Wow!  Amazing!  Never seen such an old Japanese passport!(すごい!こんな古い日本のパスポート初めて見た!)”

スゴイ、スゴイと連発するさけちゃんの横でワタシは言葉が出ない。

とてつもない重大なことを頼まれてしまったのだと途方にくれる。


そしてこれが、日本の『戦後』に起きた、語られることのない数多くのかなしいストーリーの一場面を識る始まりとなる。