年明け
R6.1.1
朝、Cメールが入っていた。
「無事に年越しを迎えました。空けましておめでとうございます」と。
容態がおちついているようなメールで安堵する。
1.2
朝一番に担当医A先生から電話。
呼吸苦があり、本人の苦痛緩和のためモルヒネ(麻薬)を使用し始めます。量的には少ないので、意識混濁等は見られていないとのことだった。
仕事がようやく休みになったので、S病院へ面会へ行く。
ちょうど、兄夫婦、姉、父と病院で行き会う。家族がそろったためか、医師より「献体について説明がしたい」とのこと。
やはり、母は献体希望の話を私だけでなく、姉や兄夫婦にも話していたようだ。姉から病院へ話してくれたようだた。
担当医K先生から
「血球数が少なく、現在は抗がん剤治療はしていない。
アミロイドーシスでアミロイドが腸管に付着して、腸閉塞になっていて、腸管が5cm程膨らんでいる。そのためもあるのでしょう。12/29に胸の苦しさを訴えて、
SpO2(血中の酸素)が低下し、酸素投与を開始しました。心臓も弱っている様子あります。腸管にアミロイドが多量に付着している事を考えると心臓にも付着していて、心不全になりつつある状態です。治療は難しい。モルヒネ(麻薬)は現在少量使用して、呼吸苦が取れている状態です。ただ今後も心不全が悪化し、呼吸苦が悪化することもあります。長生きは難しい」
と現状の話でした。
長生きは難しい・・・
どの担当医の先生も厳しい状況を伝える。
今回の話は母も同席して、話を聞いていて、淡々とした表情で頷いていた。
その状況はとてもやるせない・・・。
K先生の話を続く。
「ご本人様より献体の希望があると話されました。献体自体はありがたいお話で、これからの医療に役立つものと考えます。
献体に関しては、ご本人様の意向も大事ですが、献体自体はご本人様が亡くなってからのことになるため、ご家族様に意向が大事となります。どなたか1人でも反対の方はいれば、献体はできません。
献体自体は無くなってから、平日で2時間ぐらい、土日だと翌日になります。結果は半年~1年ぐらい解明するまでに時間がかかります。以下がしましょうか」と。
母は「ぜひこれからの医療に役立ちたい。こんな難病も滅多にないだろうから・・」と弱々しい声ではっきりと自分の意志を伝える。
どちらかと言えば父の方が
「献体なんて・・・」と消極的で・・。
私も献体までは・・と考えていたが、母が望むのなら仕方ない、それが母の生き様なのだから・・。
臓器提供と献体・・・。臓器提供は望めなかったからせめて献体をいう願いは叶えて上げられれば、
母のこの数か月の闘病も救われるのではないか・・・とそう思い、反対はできなかった。
父も兄や姉が
「母の望む事をしてあげよう、かなえてあげよう」と父を説得し、献体の同意書にサインをしたのでした。
献体ができることになった母は
「良かった」とポツリと安心したような声でつぶやいた。
12/28以来あっていなかった母。
この時は酸素吸入のほかにバルンカテーテルが挿入されており、
やはりモニターが装着していた。
顔の周りには血球数が少ないこともあり、クリーンルームになるように外気を遮るような透明なカーテンがされていた。
母の顔はさらに痩せこけて
以前の面影はほとんどみられなかった。
人生の終末にむかっている・・
そう思わざる得ない容態でした。
面会を終えて
病室をでた私は涙が止まりませんでした。
母が何を考え、どうしたいのか
どう生きてきたのか
母の人生というものを
母の考えていたことを、
もっと話をしておけばよかった。
後悔ばかりが襲って来るのでした。