その日は、特別な一日だった。
2010年春、私は全5回の文章表現のワークショップに参加していた。

その4回目にあたる日は、あるイベントと重なり、後日、私一人でビデオ受講をすることに。

それが、思わぬ結果を引き寄せることになる。その年の春、私はカウンセラー試験にパスした年でもあった。意気揚々と
「日本中の人を助けてみせる!」
と思っていた。

そういう時、よく出来ているもので「お前、気づけよ!」と言われるような試練も起きた。

母の入院。

脳梗塞だった。

その時の文章表現W.Sの卒業作品は
〈佐藤正利『GIFT』〉でGoogle検索して頂くと、お読み頂ける。

生まれて初めて書いた、文章らしきものには、こんな一文を加えることになる。

「自己実現なんて、どうでもいい」

そんな思いで、私が参加したのがアメリカの、いや世界一のコーチと言われるA氏のご子息が来日したイベントだった。

300人が参加していた。私は、真ん中辺りの席、この日だけは是非、手を挙げ質問したいと思った。

「私は、どうしたらいいか分からなかった」

たまたま通訳の女性とは、知人でもあったこともあり、「当てて~!」と願いながら勢いよく手を挙げた。

Dというコーチに質問する私が大きなスクリーンに映し出された。

質問が終わると、会場から拍手が、。
温もりのある、頑張れ!と言われたような拍手だった。拍手にも音色、声色というのが、あることを初めて知った。


そのとき、最前列にゲストとしてフロリダから招待されて来ていたのが、この方だった。

一目で、オーダーメイドと分かる真っ赤なスーツに身を包み、スッと手を挙げ話し出した言葉は、確かに日本語であったけれど、私が今まで耳にしたことのない話し方だった。

それは、生まれて初めて聴いた、パブリック・スピーキングというものだった。

休憩時間に、その真っ赤なスーツを着た女優のような女性に、恐る恐る挨拶しにいった。

驚いたことに、本当に元女優だった。
そして、投資家であり、起業家だった。

「○○○さんは、招待された?ということなんでしょうか?」

「ええ、Dとは、お友達なんですよ」

「お、お友達?」

驚いた顔の私に

「私、先ほどの、あなたの話しをお聞きして、この人のこと助けてあげなくちゃ、って思ったの。

もし、私たちに出来ることであれば、ですけれど。」




意味が、、分からなかった。

これが、メンターと私の出会いだった。


photo:01




iPhoneからの投稿