ささいなことで泣く、
悲しむ、弱音をはく、。

バカですね、これって。

でも、これって実は
カウンセラーにとっても
とても大事なこと。

理由は二つ。

一つは、

そういう人の気持ち
に、心から「共感」できる。

自分の中に似た要素があれば
共感しやすいからです。


もう一つは「ありのまま」
ということです。

例えば、クライアントに無理難題、
あるいは罵詈雑言を言われた
とします、

その時

「私は、そんなこと言われたら悲しい」

とか

「どうしていいか、わからなくなるほど、私は困ってしまいます」

と「言語」で伝えるより、

むしろオロオロした
「非言語メッセージ」として〈表現〉できること

こそ、私は大事ではないのかと思います。



なぜなら、それは「テスト」だから。




クライアントさんは、「テスト」
しているのです。

カウンセラーを。


この心理を、18~19の時に気づいていたら、私もモテていたかもしれない、とつくづく思います(;^_^A


私の「カウンセラー十訓」の一つに

「~し過ぎるのは、要注意」

があります。

これは、どちらかと言えば「嗜癖(しへき)への予防のニュアンスを述べたものです。

本当の意味での「共感」とは、
決して相手や「自分」を傷つけることでは、ないはずです。



時には、話しを聴きながら、

もらい泣きをしてしまう、

これも弱さではなく、共感できて
いるからだと思います。

ただし、カウンセラー自身が
「自分が見えなくなるほど」
心の距離が近すぎてしまうと、
アセスメントに支障をきたします。

それは、よくない意味での「転移」です。


しかし、それでもなお
クライアントのとてつもない
「悲しみ」や「苦しみ」
にを聴いた場合、

「オロオロしたり」「ハラハラしたり」時には、「涙して」しまうことは、決して悪いことではないと、私は思いますニコニコ

一つ大事な「注意点」としては、

そんなに、やったら、とてもじゃないけど

「身が持たない」

ことを、カウンセラー自身が

「かならず知っている」

ということ。

そんな、「自分をケア」する視点も忘れないことも、私は大切だと思います。


何事も、過ぎたるは、及ばざるが如し

です。




なぜなら、私は

その「オロオロ」「ハラハラ」も

ロジャースのいう

「純粋さ」

なのではないか、と思うからです。

ぜひ、職場や家庭、あるいは学校や
病院などの機関でも

「話すよりも、聴くこと」

にシフトしてみる。


それで、うまくいった事例や
やケーススタディ

を数知れぬほど存じ上げています。

だから、今なら阿川佐和子さんの本が売れているのです。


これは日常生活に十分応用ができる
スキルだと思います。

それでは、素敵な一日を(^ー^)ノ



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