「日本人とは何か」(what is Japan)! | 「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

★「日本建国創建史」に於ける【カシマ】(カバラ数価189/佐賀県鹿島の語元)は、Godヤハウェ(数価26)勧請に先立つ社殿(H・IKL数価65が家の語元)を守護する天使(サンダルホン数価280)を示唆する呼称であった!!

「日本人とは何か」(what is Japan)!

◆【日本国=昇る太陽の始点国】(Sun・starting point nation/サン・スターティングポイント ネーション)! 

~1948年4月12日付ロンドンタイムス紙に「二十世紀最大の考古学的発見」として、【死海文書】(1947年・クムラン洞窟から羊皮紙=パーチメント巻物がクムラン洞穴から出土)の発見が報じられ、長年、歴史の闇に閉ざされていたQumran(クムラン)秘儀教義宗団の存在が初めて明るみとなる。それから57年を経て、その研究結果の事が書かれた『死海文書のすべて』(ジェームス.C.ブァンダーカム著.秦剛平 訳・青土社発行 2005年3月25日第1刷)に因ると、文書を洞穴に書き残した人達は、紀元前586年頃(ユダヤ民族の捕囚時代の始まり)から紀元前156年頃迄の「430年間」(エゼキエルが課した罪・科の悔い改め期間390+別数価40年=430年)は、ユダヤ民族の悔い改めの実践期間(エゼキエル書4・4~13)としてエゼキエルが定めた年数を子孫代々引き継ぎ全うした人達であった。つまり、その悔い改め年数を全うした後、その人達の前に指導者とする義の教師(ダマスコ契約設定者)が現れ「ダマスコ契約」が結ばれる。だが、義の教師はユダヤの下級祭祀系マカベア兄弟一家に命を狙われたのでクムラン地域に隠れ住む。そして新たに「秘儀教義宗団」(エッセネ=敬虔主義の派生)的に再結成された。然し、その後の紀元前31年にクムラン地域をも襲った大地震(ヨセフス著『ユダヤ古代誌』に記載在り)によって集会所が破壊された。それ以後、その秘儀教義宗団者達は破壊された集会所を放棄し、その後の宗団の行方はわからないとされている。

 

つまり、【死海文書】の発見を受け、クムラン(Qumran)宗団集会所跡の発掘調査を行ったフランスの考古学者でカトリック教会の神父でもあるロラン・ドゥ・ヴォー氏(国際発掘調査を率いた人物)によると、紀元前31年に発生した大地震で崩壊した後、その集会所は放棄されたと結論付けています。

我が国に言う「日ノ本」の語元は~「昇る日の、本なる故に、ヒノモト(日ノ本)や、然れどヤマト、なすてそよ」(日本人の聖書=ホツマツタヱ・第23章)と記す文言に起因する。その【日の本】の定義付けは、エジプトがパピルスの輸出を停止した事により、その替わりとする羊皮紙(パーチメント=ペルガマ)の最大輸出国と成ったのが、当時、フェニキア語で「Asu」(アス=東)と呼ばれていた地域に位置すペルガモン王国であった。然し、紀元前133年にペルガモン王国(ペルガマ=羊皮紙はクムラン秘儀教義宗団も購入していたの国王が死去し、共和政ローマ国に遺贈(属州)された。従って、ペルガモン王国から東(Asu=アス)に対し、ラテン語の接尾辞「ia」(イア)を付し「アジア」と言う行政上の地名が初めて登場する。それが現在に言う「アジア」の語元と成る。つまり、それが我が国の「カミ(上)代」の物語に言う斑鳩(奈良県)に天忍穗耳尊(アメノオシホミミノミコト)が天降御座(我が国の最極島に位置す東北南部・日高見国/茨城県~宮城県付近からの遷都)され、命名された【アスカ=明日香&飛鳥】の語元であった。然し、更に、新たな遷都先を既に「密偵・八咫烏」(飛鳥)は探し出していた。従って、その翌日(アスカ=明日)には更なる新たな遷都の意向を決意する。つまり、その経緯に関連し更なる遷都先の呼称の漢字表記は「飛鳥&明日香」と書き分けられたのであった。

…  

因みに、【日本国】の元義は~「昇る太陽の始点国」(Sun・starting point nation/サン・スターティングポイント ネーション)の意であった。つまり、その事を記す文面、即ち「日本人の聖書」として書かれた【ホツマツタヱ】(秀真伝&ミカサフミ=三笠文は散逸書)に因ると~「昇る日の、本なる故に、ヒノモト(日ノ本)や、然れどヤマト、なすてそよ」(ホツマ・23章)~と記されている。

極東列島の各地に於ける小国の連合体制を経て、念願だった「ヤマト国家」としての成立方式は~たとなしたみも、にきはえは、「ヰ・ヤマト」(紀元前7年-484=幻の西暦478年目/【太神宮諸雑事記第一】に記す雄略天皇条に関連す預言的・伊勢神宮建立年数価)とふる、ヤマトくに」(ホツマツタヱ23章)~と記す文面に起因する。 

…つまり【蛇紐金印】倭人とは前漢時代の紀元前3世紀頃から雲南省東部にあった国の人達の事/その倭人に授与された滇王之印と同じ)授与年(幻の西暦57年の漢委奴国王印)の翌58年(数価文言・ヰヤ=58)からヤマト数価「294」(24組クムラン祭司勤務1巡年数価/7年×7年=49ヨベル年×6回=294年数価がヤマトの語元)を年数として加算した年のAD351年(満57+294=351年/崇神天皇12年条を参照されたし)の時として~「ハツクニシラスミマキの代」(肇国知らす崇神天皇の代)とミコトノリ(詔)を発した大祭司ヤオ(死海文書を初出とする文字IΑΩ=八尾市の語元)のアラヒトは、その年から過去へ358年(島根県の荒神谷遺跡出土・銅剣358本に関連す/ホツマ32章…数価318は伊勢の語元数価・ホツマ34章60年条)遡った紀元前7年の時として、その、大祭司ΙΑΩ(八尾)のアラヒトは、反逆者と成った長髄彦を討伐する物語(ハルマゲドンの模倣・最終6年戦争)を設定する。そして、国家としてのヤマト政権を崇神天皇譲り渡すを以って、尚、日本(ヤマト)国家としての歴史書を新たに再設するに当たっては、タケヒト(後に言う神武天皇)の即位元年(幻の西暦1年目=クムラン大地震年から31年目・辛酉)と定義(メルキゼデクの恩頼=エルサレムの祭祀権の授与)するを以て、ユダヤの大祭司系オニアス氏族は大祭司職を廃止し隠居(終えモノ=鬼の語元に関連す)生活に入る。

… 

以下【追記】~

★…その宗団の、その後の行方を探すキーワードとなるのが島根県の「荒神谷遺跡」(島根県出雲市斐川町神庭・1984年~1985年/昭和59~-昭和60年の2か年の発掘調査)から出土した【銅剣358個】であり、又、それから13年後に同じく島根県の「加茂岩倉遺跡」(平成8年=1996年10月14日に島根県雲南市加茂町)から出土した【銅鐸39個】である。因みに、その銅鐸が発掘された年から24年前(1972=昭和47年)には、同じ雲南市加茂町の「神原(カンバラ)神社古墳」から卑弥呼の鏡とされる景初三年(AD239年)銘入【三角縁神獣鏡】が出土しています。

…「
一括・銅鐸39個」が意味する処は、モーセ五書(旧約聖書の最初の五書)最初の創世記(アッカド語BRASIT=ベラシトとはは始めの意)文言文字に秘められたカバラ教義のゲマトリア数価「3910」(ゲマトリアとは文字に与えられた数価合で意味を解す教義)を、「39(ミコ)×10(ト)=390」数価390はエゼキエル書4・4~13に記すユダヤの悔い改め期間年数価でありクムラン秘儀教義宗団結成に関連)と言い換え、その語元数価【39】(ミコ=巫女&皇子の語元数価)を意味すと同時に我がヤマト国家の創建以前に於ける元初カミに対する尊称語「ミコト」(39×10=390が命・尊)の語元であった。又、それは「アメ成る道」(ホツマ2章・4章/後に言うカンナガラの道=孝徳天皇・夏四月丁巳朔壬午、謂自有神道也)に関連付けた【年中行事】(Godエロヒムとの大洪水阻止規定天板に対する祭りペンテコステの模倣/ヨベル書6・9~33)の設定方式に関連する数価でもあった。

 

…【ランキング】 → ↓ ↓ ←クリック)お願いします~ 

      にほんブログ村 地域生活(街) 九州ブログ 佐賀県情報へ
        にほんブログ村