「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

★「日本建国創建史」に於ける【カシマ】(カバラ数価189/佐賀県鹿島の語元)は、Godヤハウェ(数価26)勧請に先立つ社殿(H・IKL数価65が家の語元)を守護する天使(サンダルホン数価280)を示唆する呼称であった!!

♪ シモネッティ作曲…マドリガル(バイオリン曲)… [ハマボウ(黄槿)の花の下で]より ♪

『三笠文」~【嘗事の章】(年中行事)~

我が国の創建時幻の西暦1年目=神武天皇即位元年の新年は旧暦の「立春=正月」だった。従って、その前日が神道行事の最後、即ち、大晦日の【オニヤライ】神事(大晦日の鬼追祭/三笠文書 https://gejirin.com/mikasa09.html )、及び、翌朝正月を目出度く迎える為の【閉め縄】(〆縄)と【門松】が設置されました。つまり旧暦の正月は現在の西暦年(我が国は明治5年12月2日の翌日を明治6年1月1日=グレゴリオ暦1873年1月1日として西暦年に切り替えられた)より約1ケ月程襲い立春正月だった。それでも私が7歳(昭和29年)の時に初めて年賀状を親に書かされた時、旧暦時代に書かれていた文字「初春&立春」と書くよう教わりました(西暦年時の正月は冬の真っただ中に当たる)。それで我が国の国家として成立幻の西暦340年=崇神天皇即位元年した時代に設定されていた【年中行事】の事を此処に記す事と致します。

◆…ツキスミの志賀の命が兄弟(ヱト)のカミ(上)、(弟)より祝詞の故を請う。彼にトヨケ(豊受)の嘗(ナメ)事ぞ~。

★…】(兄&弟を先とするヱト暦を司る太占文言=トホカミ・エヒタメ最初の【】カミの嘗(ナメ)はネ(北)に、霜の中(11月中旬)、ヒウ(1鵜)を招けば、ヒツメ(日詰)カミ(上)、舵をネ(北)に引き、日を向かう。此の初嘗は、今のノト(祝詞)。コホシ(九星)祭て、をめくりに、黒豆ヰヒ(飯)の、チカラソウ(力沿う)。シワス(12月)、ハ(地)に満つ、木は根ざす。なお空寒く、月末は、カヰ(戎?)皆競い、やや開く。未だ空寒く、潤えず。やや嘗造る、ハニ(地・埴)水の、ヱ(縁)に柱立つ、カミ(God=YHVH/ヤハウェ)形(Y)。年分け(大・ミソカ=30日/旧暦12月30日)の夜の、豆を煎り、皆【鬼やらう】(追儺)、カ(日)を開き、「閉め引き塞ぎ」(注連縄)、生えユズ(諭り葉)の、麦に年越へ~

★…の嘗ナメは、ツサ(西南)にイナサ(東南風)の、初日(正月・初日)より、フウ(2鵜)をヤワ(柔)せて、オケラ(朮/菊科の多年草)焚き。ワカメ(若女)水汲み、シトキ(粢)餅。マガリ(鋺)カヤ(榧)栗、ウナ(畝菜)ところ。香ぐ芋カシラ(親芋)、【シム】300=カミの御霊)のより。

★…弓月の夜は、ヰ(井戸)の水に、ヌエ(萎)アシモシ(葦茂し)が、ガダ(怠慢)汚穢(オエ)を~①ゴケフ(御形)、②ハコベナ(繁縷)、③イタヒラナ(仏座)。④ススナ(蕪)、⑤ススシロ(大根)、⑥スセリ(芹)、⑦ナス(薺/ナズナ)。「ナミソ」数価730は日本建国創建史時代迄=景行天皇迄の意に除く、芽をオエ(生え)ば、望(望月)の明日はヒモロゲ(神籬/神事の祭祀)の、アズキ(小豆)の粥に、ヱヤミ(穢病)除け。ササオケ(酒桶)トンド(左義長)、カミ(上・God=ΙΑΩは八尾市の語元文字。その文字の出自は【死海文書】)の粥、【フトマニ】(太占)や。

★…キサラギ(2月)は、芽をほぼ柔し、兆しおふ。種貸祭る、【ヰ】成るカミ(稲荷神社のカミ)、乗り弓(騎射神事=流鏑馬)開き、モチ(望月)迄に、そこに吹き立つ、初日風。此れカミ形。

★…の嘗は、ミウ(3鵜)のア(始)を受け、キサラギ(如月=2月)の、中よりミウ(3鵜)の、目をヤワ(柔)せ、人草育つ、イト(糸)イウ(木綿)ぞ。弥生(3月)の始め、桃柳。ミキ(酒)ヒナ祭(雛祭)、ヱモギ餅(蓬餅)。タミ(民)苗代に、種を撒く。弥生中(3月中旬)より、陰ろいて、苗オイ(生)育つ、輪の中に、ミヒカリのアシ三光の葦/葦≒Y・ヨッド・yod・ iod・ jod~ギリシア 文字のIとYに当る)、中に満つ。此れカミYHVHは口にすベからずカミの御名の省略聖4文字形(輪の中の字形)。

★…の嘗は、鵜目のヰも水、ウツキ(5月)より、ウヲ(魚)を招きて、夏を告ぐ。ミハ(御衣)綿抜きて、月中ば、サ(夏)開き祭る、ヰ成(稲荷)るカミ(上)。末は葵の、メ(女性)を祭り、サツキ(5月/皐月)に諸葉、成るツユ(露)を、嘗んとエモギ(蓬)、アヤメ(菖蒲)吹く。サツサはイワタ(岩田帯)、ノリ(祝詞)はヰヰ(端午5月5日の節供)。皆そこに付す、メ(Y)の情け、此れカミ(God)形(輪の中のY字形)。

★…の嘗は、ハニミツ(埴水)閏ふ、皐月中、光通れば、カツメ(日詰)カミ、道を返して、ヒ(秘/非)を乞えば、御曳を招き、シラミチ(白道)の、姫を下して、ハ(地)に伏せば、競い上りて、サミダル(五月雨)る。青葉茂れば、永らえの、夏のカ(香)お受く、水無月(6月)は、ややハ(地)に満ちて、戦えば、雷熱く、末は尚、暑く乾けば、桃祭り。競い止むれば、姫開く、ホゾチ(臍地)チ(茅)の輪に、抜けつくる、ミナ(6月/水無月)の祓いぞ。

★カタチケタ(形桁/四角)、ア(天・始)のマテ(左右)の意の、中に立つ。国タシ(治)成るる、カミ形。ホのカミ常に、嘗受けて、ハ(地)のフメ(生芽)モリ(守)て、アフミ(7月=文月)マス(座す)、フメ(生芽)に柔して、風と為す。弓張(上弦の月)にウム(績む)、イウ(木綿)と麻、ヲトタナハタ(乙棚機姫)の星祭り。モチ(望月=満月)は御親と、イキタマ(生魂)に、胞衣(ミハ)のハ(衣)透けて、メヲ(夫婦)会えば、仰ぎ踊りて意を受くる。ホツミ(8月)初日(8月1日)は、受け回り、フメ(生芽)立つ風に、カヤ(茅・萱)を伏す。伏し荒れノワキ(野分)、ゾロヲエ(連なる汚穢)は、シナト(科戸)祭りに、野分打つ、ホヲ(穂汚)の祓いぞ、カタチハニ(形・地)。フハシラ(二柱)立てて、むつまじく、此れカミ形。

★…の嘗は、ア(天)の明かりモル(守る)、ホツキナカ(8月中)、ミメに研ぐ月、芋の子の、サワ(多)を祝いて、ナガツキ(9月)は、大年告げる、ココノミハ(九重の御衣)、重ねココクリ(菊栗)、ヒトヨミキ(一夜酒)、コモチ(小望)月には、豆を添ふ。望より寒る、ヲカ(御日)祭。マトカ(円)の中の、ミハシラ(太占図の中心に配置された3柱=ア・ウ・ワ)は、カ(彼)のカミ形(アメノミナカヌシ)。

★…の嘗は、その目タエ(妙=布)にて、カミナツキ(10月)。ウメ(鵜目)退けて、シグレ(時雨)なす。ややそこに満ち、ヲ(雄)お尽くす。彼ヲヲナムチ(大己貴命=大国主/日本書紀記載文字)。カナツキ(10月)に、ヌルテ(白膠木)を焚きて、諸カミに、モチヰ(餅・飯)施し、シモツキ(11月)は、やや目が昇る、霜柱。ヒラキ(柊)初草、蕾(ツボミ)さす、ハニ(地)より風の、人意立つ~此れカミ形。

★…ヒトセ(1年中)此れ、ヱト(兄弟暦)にはんべる、ミソ初期の倭暦は1ケ月30日/残り5日は宮清めで暦の日数から省かれ宮中の宮清めの日数に当てられた/5日=ヰカスリの座間神社は大阪市中央区久太郎町四丁目渡辺に存在するのカミ。日々に変わりて、ムソカモル(2ケ月=60日守る)。ムワの嘗事、ウツロヰ(ヰカスリ…5日に関連する)の、年越えセマエ(世前)、大晦日。初ムカ(6日)ソヨカ(14日)、サ(5月)のミソカ(30日)。スベヒトセモル(総1年守)、嘗事ぞ是。斯くヱト(兄弟)の、【ト】太占図に配置されたトホカミ・ヱヒタメ最初の文字/ヱト=兄弟暦の語元文言の故は、アメ御親、ノリ(祝詞)して【ヱ】(兄)カミ、フユノモリ(冬の守)。【ト】(弟)カミは夏の、ゾロ(農作物・穀物)をモル(守)。長く人草潤せば、カミになぞらえ【ト】のタマ(魂・霊)に、名付く【ヤマト】(ヤマトの語元1947年に発見された死海文書に記すクムラン祭祀方式一巡年数価294であるのノト(祝詞神事)ならば、今サラカミ(極東列島に於ける新たなカミ=ΙΑΩ/八尾市の語元文字)の、ミコトノリ(詔)。受けて定る、道説けば、シガオチコチ(滋賀命・遠近)の 、モモツカサ(百司)、皆フミソメ(文染め=文書として書き記す)て、帰る此れかな 。

◆(下の画像は太占図)。その中心から2つ目円形枠に「星形✫七曜」的に配置された文字が、所謂神代文字(国語学者山田孝雄・論のイワユルジンナダイ文字の論)に言う【神代文字】の「トホカミ・エヒタメ」文言文字である。つまり、メソポタミア文明等(ヨーロッパ地域をも含む)で用いられた「星形七曜」(肉眼で見える惑星~火星・水星・木星・金星・土星と日・月を合わせた7つの天体図)に関連付け設定されていた!!

 

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★日本全国の度肝を抜くなら~「いまりで、決まり!」😀

伊万里(佐賀県いまり市)に、「所謂神代文字」(いわゆるジンダイ文字/国語学者の山田 孝雄・論)と言われた【神代文字】(物部文字は草書体も在る)が刻まれた遺物(石に刻まれた太占図=フトマニ図)が伊万里の楠久に在ったと、伊万里の或る人に訊きました。その神代文字が公(オオヤケ)になったのは、隠されていた文字で書かれた文書を「八耳王・厩戸皇子」(聖徳太子)が河内の枚岡神社と、四国のアワミヤ(琴平宮)から探し出した事に始まります。そしてその文字で書かれた文書を漢字に書き換え【先代旧事本紀大成経】(72巻本は当時の政権者だった推古女性天皇迄の内容)と題し、厩戸皇子が推古28年(AD620年)に完成させました。その後年、その文書の「旧事」や「帝紀」等を抜き出し編纂し、養老四年(AD720年)の時として元正女性天皇に奏上されたのが国史【日本紀】(ニホンギと読む)です。そしてその奏上の翌年に早速行われた日本紀の【講筵】(コウエン=講義の意&その場所)に於いてテクスト的に用いられたのが日本紀の下書き(清書前)文書でした。因みに、その【講筵】(恒例慣例)は、養老21年(721)~康保2年(965)頃迄、宮中でほぼ30年に1回行われていた。然しその【日本紀】は現在、逸書となっています。

つまり早い話が、養老四年に奏上された【日本紀】の底本は『先代旧事本紀大成経』(72巻本)だったと言う事であり、従って、『先代旧事本紀大成経』を偽書と言うのは本末転倒である。因みに、現在に言う現存『日本書紀』とは、その昔に逸書となった日本紀の講筵(恒例)で使用されていた「卜部本系統の写本伝承本」。及び熱田本等~即ち、先述の日本紀の講筵(恒例)でテクスト的に用いられた下書文書(清書前の文書)の写本伝承本(佐々木旧蔵本・田中本・岩崎本」等~10数種)を、明治30年~明治34年に編輯し、経済雑誌社から 国史大系 として 刊行された本の中の1つが、現在に言う『日本書紀』(国史大系第1巻)であった。

その昔、物部氏が曽我氏に敗れ秋田に逃れた以降、つまり早い話が、神代文字は弓削の道鏡の陰謀(765~767年/孝謙&称徳女帝時代)で焚書にされ、公の場から抹殺されました。だが、佐賀(鍋島)の「潮音道海禅師」(ちょうおんどうかいぜんじ/1628年=寛永5年に佐賀県で生まれ13歳で出家/黄檗宗の僧/肥前小城郡)が、その『先代旧事本紀大成経』(72巻本)を出版(『先代旧事本紀大成経』は偽書ではありません。禁書にされたのは伊勢神宮とのトラブルに起因する)した事に因って、現在に蘇っています。

『日本書紀』の底本(ジンダイモジ文書=ホツマツタヱ)である『ホツマツタヱ』に記載されている「カイジン」(海人・ワダツミは豊玉姫の父/娘の豊玉姫は山幸彦=彦ホホデミ尊の妻で初代神武天皇の父方の祖母に当る)は有明海北西部(卑弥呼時代初期=AD185年頃に世襲制の卑弥呼が登場する)を先ず拠点地としていた。そして、良質の黒曜石の産地だった地域へ進出し其処を【ゐまり】(伊万里市の語元/語元は創世記49・9~10に記す預言「イエバシロー」とはシロ=メシアが来る意)と命名し、我が国最初の海軍を創設(卑弥呼の使者を載せた水軍でもある)する。つまり、【魏志倭人伝】に記述されている「末廬国」(マツラクニは後に言う佐賀県の松浦郡の語元となる)の水軍の拠点地とする伊万里港を、世界(ユーラシア大陸)に向けた表玄関として設定し、極東列島の地図(北海道を除くが北海道モンベツ郡遠軽町字上白滝から産出する黒曜石は押さえていた)が作成(行基図として現在は保存済み/画像在り)されました~

その、「所謂神代文字」(イワユルジンダイ文字)で書かれた本が『秀真伝』(ホツマツタヱ)と題し、戦後(第二次世界大戦終了後)の1966年=昭和41年8月に松本善之助氏によって再発見されました。その最初の発見に起因する本、つまり「小笠原長武氏に因る奉呈文書」(画像・右)は、内閣文庫所蔵本(写本時代は1868年・慶応4年〜1921年・大正10年) として既に保存済であった~ 

因みに、その再発見に至った文書は現在、その発見地に近い滋賀県の【中江藤樹(トウジュ)記念館】に保存されています~😀 

 

 

★【松浦】(佐賀県)の初出は、魏志倭人伝(280~297)に記す「末廬国」(末=松が正しい/万葉集873~875でも麻通良=【松浦】と記されている)。その語元は、筑紫(最初は九州全体を指す呼称だった)の「32アガタ=県」を統括し、有明海北西部(大型甕棺墓時代の吉野ケ里遺跡に関連する)を居住地としていた「ワダツミ=ハデツミ」(海神/神武天皇の父の父)の娘の豊玉姫を后とする山幸彦(彦ホホデミ尊)が率いた水軍(後に言う住吉水軍の祖)の王【松の君】(波乗り彦=松の木のコブ的筋肉隆々で八十力の持ち主を有す長身者集団を率いていた人物)の呼称に起因します。因みに、【松の君】水軍の伊万里に於ける痕跡は、任那を助ける為の高句麗との戦(広開土王碑文に明記)を終え帰還した事を記念し、伊万里に神社が建立された事であります。つまり、その史実を記す文書が『伊万里市史』に記載されている「神功皇后さんと木超(オコ)し神社・伝承」(牧島地区の歴史伝承)です。因みに、「松の木起し」の語意は、神功皇后(紀)に記す文言~つまり、≪神功皇后9年秋・時皇后親執斧鉞、令三軍曰「金鼓無節・旌旗錯亂、則士卒不整≫(カネツヅミ、ワイタメなし=カネをならしてもせつどがなくなり、ハタがサクランしたら、イクサのヒト=つまり松の君が率いる水軍どもの士気が整わない意/戦を前にして士気をたかめろと言う叱咤文言)を示唆する文言に起因します~!!😀

因みに、我が国が世界的極東(ヤマトの語元)に位置する事を知って創建されるに至ったルーツは、ヘロデ王の第7年(紀元前31年)にユダヤ地域を襲った大地震(エピファニー/カミの顕現)で破壊されたクムラン集会所を捨て、【死海文書】(1947年にクムラン洞穴から出土)を隠し残しエゼキエルの預言(極東崇拝思想)に従い極東列島到へ移動して来たからである。そしてその目的は、エゼキエルの預言(エゼキエル書43・2⇒ The glory of the God of israel came fr)に従って理想郷国、即ち【太陽の国】を創建する為であつた。それで極島列島(有明海北西部)に到着後、移動以前(紀元前2世紀中頃)から既に設定済みだった文言助詞「テ.ニ.オ.ハ」(ダニエル書5・24~28文言数価1191を語元とする)に因る文言を極東列島での共通語として設定した大祭司アラヒトは、到着値点の北側に位置す港地域名を「ゐまり」(良質の黒曜石の産出地/「ゐまり」の語元はメシア来臨数価358=創世記49・9~10に記す「シロ=メシアが来る」意)命名し、国際的表玄関と位置付けた。そして、アマ(海人)系水軍の王【松の君】(現在の佐賀県松浦郡の語元)の船にて、列島周囲の島を拠点に列島本土に分け入り、極東列島の大まかな全体図、即ち~「大八州」(オオヤシマ)とする「淡路・伊予.阿波・ツクシ九州・隠岐.佐渡・大州?・吉備・対馬.壱岐」(北海道は除く)地図を作成する。以て、我が国は「磯輪(シワ)上(カミ)の秀真(ホツマ)国」と呼ばれたと神武紀31年条に記載されています~。

★『ホツマツタヱ』~その「アワ歌・アイウエオ」の記号文字(ホツマ文字=所謂神代文字)は、ユークリッドの『原論』(ギリシア語ストイケイアの著者=エウクレイデスはプトレマイオス1世治世下のアレクサンドリアで活動していた)内容に起因します。ちなみに、その当時はギリシア語訳聖書(72巻本)が作成された時代に当ります~

ヤマト言葉を書き表す幾何学的【ホツマ文字】の母音記号文字「〇・冂・◮・.弓・口」(ア.イ.ウ.エ.オ)の形状は、プラトン多面体(5種類~火.◮/土=地.口/水.弓)を用い設定された。そしてその「ソラ=空」の記号「マル=〇」の形状は円形に近い正12面体&正20面体に関連付けて作製された。そして子音記号(・H/IH/Y/H)は、Godヤハウェを言い表す文言文字の省略文字、即ち、テトラグラマトン(聖4文字~IHVH&YHVH)、その最初の頭2文字(ヨッド記号を用いて・H/IH/YH~ヨッド文字はΑと取り換え可能)文字を取り込んだ。更に、Godを意味す「初めと終り」の意とする「A&Τ」(十の記号はタウ=Tと同義的記号である)の「T」(Aはヘブル文字のヨッド的点記号としてアの母音記号とする)字を取り込み設定しました。つまり、最初の子音の点記号【・】は、ヘブル文字のヨッド(yod・ iod・ jod/ヨッドはAと交換出来た)の意です。尚、子音記号最後の菱形【◇】は、「天と地」の意の【地】を意味する形状とする。

従って、ホツマ【アワ(天地)歌】の文字配列は、ホツマ文字の母音と子音配列順をギリシアのイオニア式文字配列順方式に合致させるを以て、「口伝教義」ゲマトリア数価(数価合計で意味を解す数秘術)の使用を容易にする為に並べ変えられました。そして、ヤマト言葉に因る「1文字数価単語」(天忍穗耳尊系物部氏族に伝承された◆ヒフミ鎮魂歌神事文言)として設定(造語)されました。

◆【1文字・数価言語】~「ヒ8+フ13+ミ10+ヨ5+ヰ19+ム15+ナ4+ヤ23+コ22+ト2+モ1+チ16+ロ3=141」。+ト迄(55)数えて(55+141=196)震え唯~「フル」(フ91+ル78=169+ト迄の合計196=1年循環法則数価365は秀真の語元数価)の事ぞとミコトノリ(詔/ホツマ第20章)~。

つまり、「既に罷るも蘇る」(生き返る)とは、1年循環(春夏秋冬)法則数価365の日数基づき~即ち、春になれば「枯れた植物等は蘇る」と言う意を示唆する神事(当時は立春正月だったから大晦日頃の神事?)であった。🌸

ヤマト言葉に因る【1文字・数価言語】の設定方式は、ギリシアのイオニア式文字配列順に並べ替えた「ア・ワの歌」(天・地の歌/ https://gejirin.com/hotuma01.html )の文字配列順を用い設定されました~。

 

 

 

 

 

  

 

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◎【物部・ヒフミヨ~鎮魂神事】の「1文字数価単語」設定方式!!

日本人の聖書『ホツマツタヱ』(日本書紀の底本)~その「アワ歌・アイウエオ」の記号文字は、ユークリッドの『原論』内容(ギリシア語ストイケイアの著者=エウクレイデスはプトレマイオス1世治世下のアレクサンドリアで活動していた)に起因します。因みに、その『原論』が書かれたのは、ギリシア系の王がギリシア語訳聖書(72巻本)を作成させた時代(紀元前3世紀中頃から前1世紀の間)に当ります~

その母音記号文字「〇・冂・△・.弓・▢」(ア.イ.ウ.エ.オ)は、プラトン多面体(5種類~火.△/土=地.▢/水.◇)を用い、「空気=空」の記号は、【〇】(空は円形に近い正12面体&正20面体に関連する)の形状を取り込んだ。そして、その子音記号(・.H/I,H/Y.H)は、Godヤハウェ(口にすべからずカミの御名の意/出エジプト記20・1~ 7)を言い表す文言の省略文字、即ち【聖4文字=IHVH&YHVH】の、その最初の2文字(・.H/I,H/Y.H)を用い、更に、Godを意味す「初めと終り」の意とする「AとΤ=十(タウと同義記号)」文字を取り込み設定(・/I/II/T/Y)されました。因みに、最初の子音の点記号【・】は、ヘブル文字のヨッド(yod・ iod・ jod/ヨッドはAと交換出来た)の意です。尚、子音記号最後の菱形【◇】は、「天と地」の意の【地】の形状を意味します。

‎、「‎ቅ፡ም ホルい לי Δ 先 五 元 素 十 開 ማ 八 音 図 表 母 O π 日オ 깊도 ል 凡イ 山コ 07 京ケ ልጎ 水キ 回木 ホ 꼭^ 風ヒ 田ノ 新二 せモ 忍メ 开ミ ポト 承テ ቾቻች + T Y 人 央 美レ 太ル 京り 母ソ きせ ス 开シ 再ヨ 之ェ ን 莊本 1‎」というテキスト‎の画像のようです‎ゴルフ、‎、「‎読み アルファ パータ 小文字 ガンマ α デルタ ギリシャ文字 文字 Greek alphabet イナシロン 大文学 β B A Y r 読み Ở Δ シータ ニュー だータ ۲ z E E イオタ 小文字 カッ オミクロン TI Η バイ ግሬዞ クサイ ل 3 Θ ဝ ロ一 ミュー 大文字 ο ι I N Τ シグマ K K タウ ሌ Л ο ウナシロン σ μ m p P n カイ τ T Σ プサイ ファイ ቀ Ф ש Y オメが ቀ x X ω W 山企り維道 ちよっと星育間‎」というテキスト‎‎の画像のようです

従って、ホツマ【アワ(天地)歌】の文字配列は、ホツマ文字の母音と子音配列順をギリシアのイオニア式文字配列順方式に合致させるを以て、「口伝教義」ゲマトリア数価(数価合計で意味を解す数秘術)の使用を容易にする為に並べ変えられました。そして、ヤマト言葉に因る「1文字数価単語」(天忍穗耳尊系物部氏族に伝承された◆ヒフミ鎮魂歌神事文言)として設定(造語)されました。

◆【1文字・数価言語】~「ヒ8+フ13+ミ10+ヨ5+ヰ19+ム15+ナ4+ヤ23+コ22+ト2+モ1+チ16+ロ3=141」。+ト迄(55)数えて(55+141=196)震え唯~「フル」(フ91+ル78=169+ト迄の合計196=1年循環法則数価365は秀真の語元数価)の事ぞとミコトノリ(詔/ホツマ第20章)~。

つまり、「既に罷るも蘇る」(生き返る)とは、1年循環(春夏秋冬)法則数価365の日数基づき~即ち、春になれば「枯れた植物等は蘇る」と言う意を示唆する神事(当時は立春正月だったから大晦日頃の神事?)であった。🌸

 

『ヨベル書』(エチオピア語訳・ヨベル書の断片の略文)~

★(エチオピ語訳ヨベル書断片・5:32~6:29-32)…そして第七年目の五週目(7年×ヨベル7週=49年×26週=1274+5週35年=1309年)に水は地から消え始め、二ヶ月後の17日目に地は乾いた 。 そしてその27日後に彼は箱舟を開けて、獣、牛、あらゆる動物を箱舟から出した。


★3ヶ月目の新月には、箱から出て、その山に祭壇を建てた(ノアが罪祭と燔祭とを献げたとしている)。

★これが七週祭(ペンテコステ)、初物の祭りであることが確認され、「この祭りは二重であり、二重の性格のものである」と言われている(『第一エノク書』の太陽暦に基づく四つの季節の始めの月の初日を特に記念するように求めています)。

★これは季節の初日を覚える事として天の板にのせられており、1つの記念祭から他の記念祭迄。第一から第二、第二から第三、第三から第四迄(春.夏.秋.冬)。第四迄(春.夏.秋.冬)なのである。掟の日の合計は52週(13週×1~4季節迄=52週)となり、これで完全に1年(後のQumran宗団祭祀方式)となる。このように天の板に刻まれ、規定されており、これを1年たりと言えどもずらしてはならない。君はイスラエルの子らに、364日(7日×52週=364日)と言う此の数で年を守るように命ぜよ。此れで1年は完全なのであって、その日と祭りの時を乱してはならない。全ては証しの通りにその範囲内に巡って来るべきで、日をやり過ごしたり、祭りを不意にしたりしてはならない(後略す)。

続きは後日と致します~

 

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「日本人とは何か」(what is Japan)!

◆【日本国=昇る太陽の始点国】(Sun・starting point nation/サン・スターティングポイント ネーション)! 

~1948年4月12日付ロンドンタイムス紙に「二十世紀最大の考古学的発見」として、【死海文書】(1947年・クムラン洞窟から羊皮紙=パーチメント巻物がクムラン洞穴から出土)の発見が報じられ、長年、歴史の闇に閉ざされていたQumran(クムラン)秘儀教義宗団の存在が初めて明るみとなる。それから57年を経て、その研究結果の事が書かれた『死海文書のすべて』(ジェームス.C.ブァンダーカム著.秦剛平 訳・青土社発行 2005年3月25日第1刷)に因ると、文書を洞穴に書き残した人達は、紀元前586年頃(ユダヤ民族の捕囚時代の始まり)から紀元前156年頃迄の「430年間」(エゼキエルが課した罪・科の悔い改め期間390+別数価40年=430年)は、ユダヤ民族の悔い改めの実践期間(エゼキエル書4・4~13)としてエゼキエルが定めた年数を子孫代々引き継ぎ全うした人達であった。つまり、その悔い改め年数を全うした後、その人達の前に指導者とする義の教師(ダマスコ契約設定者)が現れ「ダマスコ契約」が結ばれる。だが、義の教師はユダヤの下級祭祀系マカベア兄弟一家に命を狙われたのでクムラン地域に隠れ住む。そして新たに「秘儀教義宗団」(エッセネ=敬虔主義の派生)的に再結成された。然し、その後の紀元前31年にクムラン地域をも襲った大地震(ヨセフス著『ユダヤ古代誌』に記載在り)によって集会所が破壊された。それ以後、その秘儀教義宗団者達は破壊された集会所を放棄し、その後の宗団の行方はわからないとされている。

 

つまり、【死海文書】の発見を受け、クムラン(Qumran)宗団集会所跡の発掘調査を行ったフランスの考古学者でカトリック教会の神父でもあるロラン・ドゥ・ヴォー氏(国際発掘調査を率いた人物)によると、紀元前31年に発生した大地震で崩壊した後、その集会所は放棄されたと結論付けています。

我が国に言う「日ノ本」の語元は~「昇る日の、本なる故に、ヒノモト(日ノ本)や、然れどヤマト、なすてそよ」(日本人の聖書=ホツマツタヱ・第23章)と記す文言に起因する。その【日の本】の定義付けは、エジプトがパピルスの輸出を停止した事により、その替わりとする羊皮紙(パーチメント=ペルガマ)の最大輸出国と成ったのが、当時、フェニキア語で「Asu」(アス=東)と呼ばれていた地域に位置すペルガモン王国であった。然し、紀元前133年にペルガモン王国(ペルガマ=羊皮紙はクムラン秘儀教義宗団も購入していたの国王が死去し、共和政ローマ国に遺贈(属州)された。従って、ペルガモン王国から東(Asu=アス)に対し、ラテン語の接尾辞「ia」(イア)を付し「アジア」と言う行政上の地名が初めて登場する。それが現在に言う「アジア」の語元と成る。つまり、それが我が国の「カミ(上)代」の物語に言う斑鳩(奈良県)に天忍穗耳尊(アメノオシホミミノミコト)が天降御座(我が国の最極島に位置す東北南部・日高見国/茨城県~宮城県付近からの遷都)され、命名された【アスカ=明日香&飛鳥】の語元であった。然し、更に、新たな遷都先を既に「密偵・八咫烏」(飛鳥)は探し出していた。従って、その翌日(アスカ=明日)には更なる新たな遷都の意向を決意する。つまり、その経緯に関連し更なる遷都先の呼称の漢字表記は「飛鳥&明日香」と書き分けられたのであった。

…  

因みに、【日本国】の元義は~「昇る太陽の始点国」(Sun・starting point nation/サン・スターティングポイント ネーション)の意であった。つまり、その事を記す文面、即ち「日本人の聖書」として書かれた【ホツマツタヱ】(秀真伝&ミカサフミ=三笠文は散逸書)に因ると~「昇る日の、本なる故に、ヒノモト(日ノ本)や、然れどヤマト、なすてそよ」(ホツマ・23章)~と記されている。

極東列島の各地に於ける小国の連合体制を経て、念願だった「ヤマト国家」としての成立方式は~たとなしたみも、にきはえは、「ヰ・ヤマト」(紀元前7年-484=幻の西暦478年目/【太神宮諸雑事記第一】に記す雄略天皇条に関連す預言的・伊勢神宮建立年数価)とふる、ヤマトくに」(ホツマツタヱ23章)~と記す文面に起因する。 

…つまり【蛇紐金印】倭人とは前漢時代の紀元前3世紀頃から雲南省東部にあった国の人達の事/その倭人に授与された滇王之印と同じ)授与年(幻の西暦57年の漢委奴国王印)の翌58年(数価文言・ヰヤ=58)からヤマト数価「294」(24組クムラン祭司勤務1巡年数価/7年×7年=49ヨベル年×6回=294年数価がヤマトの語元)を年数として加算した年のAD351年(満57+294=351年/崇神天皇12年条を参照されたし)の時として~「ハツクニシラスミマキの代」(肇国知らす崇神天皇の代)とミコトノリ(詔)を発した大祭司ヤオ(死海文書を初出とする文字IΑΩ=八尾市の語元)のアラヒトは、その年から過去へ358年(島根県の荒神谷遺跡出土・銅剣358本に関連す/ホツマ32章…数価318は伊勢の語元数価・ホツマ34章60年条)遡った紀元前7年の時として、その、大祭司ΙΑΩ(八尾)のアラヒトは、反逆者と成った長髄彦を討伐する物語(ハルマゲドンの模倣・最終6年戦争)を設定する。そして、国家としてのヤマト政権を崇神天皇譲り渡すを以って、尚、日本(ヤマト)国家としての歴史書を新たに再設するに当たっては、タケヒト(後に言う神武天皇)の即位元年(幻の西暦1年目=クムラン大地震年から31年目・辛酉)と定義(メルキゼデクの恩頼=エルサレムの祭祀権の授与)するを以て、ユダヤの大祭司系オニアス氏族は大祭司職を廃止し隠居(終えモノ=鬼の語元に関連す)生活に入る。

… 

以下【追記】~

★…その宗団の、その後の行方を探すキーワードとなるのが島根県の「荒神谷遺跡」(島根県出雲市斐川町神庭・1984年~1985年/昭和59~-昭和60年の2か年の発掘調査)から出土した【銅剣358個】であり、又、それから13年後に同じく島根県の「加茂岩倉遺跡」(平成8年=1996年10月14日に島根県雲南市加茂町)から出土した【銅鐸39個】である。因みに、その銅鐸が発掘された年から24年前(1972=昭和47年)には、同じ雲南市加茂町の「神原(カンバラ)神社古墳」から卑弥呼の鏡とされる景初三年(AD239年)銘入【三角縁神獣鏡】が出土しています。

…「
一括・銅鐸39個」が意味する処は、モーセ五書(旧約聖書の最初の五書)最初の創世記(アッカド語BRASIT=ベラシトとはは始めの意)文言文字に秘められたカバラ教義のゲマトリア数価「3910」(ゲマトリアとは文字に与えられた数価合で意味を解す教義)を、「39(ミコ)×10(ト)=390」数価390はエゼキエル書4・4~13に記すユダヤの悔い改め期間年数価でありクムラン秘儀教義宗団結成に関連)と言い換え、その語元数価【39】(ミコ=巫女&皇子の語元数価)を意味すと同時に我がヤマト国家の創建以前に於ける元初カミに対する尊称語「ミコト」(39×10=390が命・尊)の語元であった。又、それは「アメ成る道」(ホツマ2章・4章/後に言うカンナガラの道=孝徳天皇・夏四月丁巳朔壬午、謂自有神道也)に関連付けた【年中行事】(Godエロヒムとの大洪水阻止規定天板に対する祭りペンテコステの模倣/ヨベル書6・9~33)の設定方式に関連する数価でもあった。

 

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◆日本人の聖書『秀真伝」(ほつまつたゑ)!!

「496」は完全数の一つで古代ギリシア時代に天地創造と関係があると崇められた数価です。そしてそれが超弦理論から一般相対性理論と素粒子の数式的に矛盾なく導き出されました(後文略/Google・クリック 検索 ⇒ https://tvmatome.net/archives/5567 /神の数式2「超弦理論」~宇宙はなぜ生まれたのか~|NHKスペシャル

『ホツマツタヱ』は、黙示文書(預言書)とされる【ダニエル書】(BC2世紀前半頃成立)に秘められた秘儀数価(ゲマトリア)を用いて構築されています。つまり、「ヤマト」(日ノ本=極東としての定義付けはアジアの語元に起因する)地域に位置し、小国連合体制から国家としての定義付けは、反逆者としての長髄彦討伐後の天鈴暦58年(幻の西暦1年目・辛酉=ヘロデ王第7年の大地震から31年目)をタケヒト(神武の幼名)の即位元年として定義付けた事に始まりました。

因みに、長髄彦討伐開始年(紀元前7年=天照大神誕生から179萬2470年/日本カミ代物語歴年史は300萬年で終焉す)の設定方式は、先述の黙示書(ダニエル書)に記載された秘儀数価の合計「3685」(2300+1335+50/割り当ての地に立=3685)と、モ-セ5書の創世記のアッカド語ベラシト(BRASIT)のカバラ数価3910を合せた「7595」(アダムからノア迄の生涯年の合計数/ギリシア文字のカバラ数価合計数と同じ)に関連する。

…つまり、長髄彦討伐開始年時(BC7年)に言う天文学的な秘儀数価年、即ち…「179萬2470年」(天照大神・生誕年から計算された年数/日本カミ代物語の歴年史は300萬年で終焉す)数価出自は、先述に言う黙示書(ダニエル書)に記載された秘儀数価(2300+1335+50/割り当ての地に立=3685)と、モ-セ5書最初の創世記の元語文字(カルデア語ベラシト/BRASIT)のゲマトリア数価3910を合せた「7595」である。そしてその数価の出自は、ギリシア文字全27字のカバラ数価とイオニア式文字数24迄(ホツマ文字に因るアワの歌の文字数とする)の三角数との合計数である。

つまりそれは「7595」に、Godエロヒムの別称ヤーウェ(IHVH)との接近数【236】(ユダヤ教の神秘の謎を解く鍵とする数価236を解読すれば宇宙の秘儀が明らかになるとされる)を掛けた数価「179萬2420」を抽出し、更に、ヨベルのヨベル50年(大恩赦年数価/自由と大解放のヨベル50年とは7年×7=49年年明けの50年)明けの年を51年に対し「天鈴暦51年」と定義するを以て、その年をハルマゲドン(善軍と悪軍との最終6年戦争/1947年にクムラン洞穴出土【死海文書】のハルマゲドン「最終6年戦争」=ヘブル語ミルハマー・1QMとして記載在り)の模倣戦として設定した。その意味する処は、その戦の勝利の暁としてメルキゼデクの恩恵(イェルサレム大祭祀権の収得/伊勢神宮の建立を可能とする)の年と位置付けるを以って神武天皇の即位元年(幻の西暦1年目・辛酉)として再設定(崇神天皇12年=AD351年から紀元前7年に遡っての再設定/太神宮諸雑事記第一・雄略天皇21年条の484年文言に関連)する為であった。

従って、日本国土形成文言オノコロの語元数価(ヤマト式カバラ三角数)「790」(ホツマ暦 ⇒ 天鈴暦の終焉年=景行天皇在位通歴790年に当る)は、先述の完全数496とヤマトの語元数価294(クムラン祭祀方式1巡年数価/祭司勤務24組が年52週の6年で312週~49ヨベル年×6回=294年)を合わせた数価として設定されました~😀

 

 

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【フトマニ/天御中主】(第2の新約聖書)

①上図【ゲマトリア文字数値・図】 ②中図【フトマニ・図】 ③下図【千年枠・図】

 

                 

 

…此のブログは、「神の数式・496」(物理学/超弦理論数値)で構築された『ホツマツタヱ』文書… .URL ↓↓↓ の続きと致します…

https://ameblo.jp/erusaremu464/entry-12360979438.html  (ドラッグ・クリック検索)…

 

 

★…①上図(最初の図)は、『ホツマツタヱ』の母音言語「ア・イ・ウ・エ・オ」順を、子音順序「アカハナマ…24文字×2=48文字」に並べ替えた配置図です。此の配列方式は、ギリシアのイオニア式ゲマトリア(文字&数値転換・隠語解読方式)配置図である事を発見しました。従って、自ずと此のホツマ(秀真)文字にもゲマトリア数値が存在します。ちなみに、「元初・ヤマト言葉」(奈良時代以降に言う大和の意ではありません)の定義付けは、此のゲマトリア方式は勿論の事、更に「三角数」(トライアングラ- ナンバ-/倭算)によるゲマトリアの取り込みを以て始めて【ヤマト】(三角数言語…ヰヤマトの略語/ヘブル文字22×22=484)と定義する事が出来ます。そして、「コトバ」の「コト」(9×10=90/消された数値言語ツァダイ=釣り鯛の語元)は、【琴】(90)の語元でもある。その「コト(90)+ハ(6)=96」の造語を以て、「ヰヤマト・コトハ」(580)の略称【ヤマト・コトバ】と言う単語(484+90+6=580はヤマトの語元数値)を完成(秀真23章/太占…イヤマ)させました。

 

…「釣り鯛」(チのタヰ…536+鯛鱗・ダビデ紋464=チ/1000)とは…つまり、「ほろろなけとも、【チ】(136)の【タヰ】(鯛/210+190=400)そ、サカナときるも、おろかなり」(秀真・10章)とあるが如く、此の文言は、上記の秀真文字配列順【チ】(P=80)の次に当たる消された第18番目(ヘブル文字言語)の「ツアダイ=90」を意味表す説明文である。従って、彦ホホデミ(山幸彦)の話として…「印は鱗(鯛の鱗/三角山の形状を上下に写し返せばダビデ紋・)、ミツ(水)に山(△形状)、写して返す、鯛は此れ成り」(秀真・25章)と記されている。つまり、ギリシア文字では消された状態にあるヘブル第18番目文字「ツァダイ/数値・90」(釣り針)を用い、魚の王とする「鯛」(タヰ・700の鱗・上下△▽重ねてダビデ紋とその数値90と700を示唆する文言)を釣ると言う此の物語は、「千木の語元数値」(80×2=160+1000=1160)の存在と、『秀真伝』(姉妹書…三笠文)の「皇歴年・数値枠」(90+700=790/神武天皇・即位年~景行天皇・崩御年…迄の数値枠)の存在を黙示的に預言する内容に成っている。

 

 

★…②中図【フトマニ・図】(太占・図)…此の【フトマニ】の語元(語源の意ではありません)は、ヘブル語の【ヨッド=Y】(Y V D=10/10+6+4=20)に起因します。つまり、【日本国・開闢物語】で最初に登場するのは、我が国最古の歴史書とされている『日本書紀』によると【含牙=國常立尊】(クニトコタチ・ミコト)。又の別称としては【可美=葦牙彦舅尊】(カミ=アシカ=陽》ヒコチカミ《彦千上=髪)と記されています。つまり、《》内の当て字訳文は【ホツマツタヱ】文書訳を用いた要約文(筆者訳)です。ちなみに、隠されていた『ホツマツタヱ』(姉妹書=三笠文)文書を、聖徳太子が部下に命じて探し出し、漢字を用いて書き表した文書が、後の【日本紀】(逸書/ニホンギ)の底本に当る『先代匶事本紀大成經』(72巻本)です。

 

…ちなみに、【ホツマツタヱ】の姉妹書とされる【三笠文】文書によると…「アメトコタチと、スキ殿(大嘗会/ユキ殿と対を成す宮)に、ウマシアシカヒ=陽/日)ヒコチカミ、合わせ祀れば、名もタカマ(高間)」(三笠/高間成アヤに記載)と記されていますが、その【タカマ】の語意は【高間】の意であると共に【フトマニ・図】(太占・図)の配置値点をも意味表す文言です。その観念的空間(高間)に位置する【フトマニ】(太占)図の中心に配置された【ア・ウ・ワ】カミ(3文字一体カミ)が、元初に於ける【アメ・ミナカヌシ】(天・3中主)の正体です。そして此の元初のカミの化身として登場させたのが【国常立尊=可美・葦牙彦舅尊】と言うカミであった。因みに…「アメトコタチ(国常立)と、スキ殿に、ウマシアシカイヒコチカミ(可美・葦牙彦舅)、合わせ祀れば」…等と「三笠文書の高間成アヤ」に記されています。

 

…「ヤマト・コトバ」(倭語)の定義とは、つまり、それは【カミ】(エロヒム=ALHIM/5文字)の【ヰキ=息】ΤΗ/倭語5&ヘブル語5)に派生する【22・文字】のヘブル語に起因する。そして、それは【32の知恵の経路】22・文字+10・セフィロ-ト=32・経路)から発せられる言語であったが、その後(BC2世紀頃)、【カミの手・文字】(48・文字/言語)が開発(ダニエル書5・24~28)され、新に開発された文字言語が、後に言う【ヤマト・コトバ】(元初・倭語)の始まりです。そして、【32の知恵の経路】22・文字+10・セフィロ-ト=32・経路)は、元初に於けるヤマトコトバによる【フトマニ・祝詞歌】(32文字÷2×8=128歌)として取り込まれています。

 

…早い話が、『現存・日本書記』(国史大系1)の【日本神話】に於ける元初神として登場する…【葦牙彦舅尊】(アシカヒ・ヒコチ)…とは、【フトマニ】(太占)の語元(語源の意ではありません)数値である処の【ふと/10+10=20】(ヨッド/YVD=20)を意味表す名称(アシ=葦/ヨッド=パピルス・葦)であった。それは又、その【ふと=YVD】(倭数値・20)の三角数「210」を用い、天使(空這う子/エノク少年)の数値として【ホツマツタヱ】(姉妹書・ミカサフミ)文書の終焉年(景行天皇崩御年・在位通歴790年迄)から、観念的、且つ、空想的な天空(アメ)に位置する「千木の語元数値」(1160年)との空間を繋ぐ数値(210+160=370・アウワ/天・3中主)として設定されました。従って、神社の屋根には【千木】(1000・キ=Χキリストの頭文字)が設置されている。

 

…「1160値点-790値点=370値点」(天使=アメ・ミナカヌシ】(天・3中主)と成す天使としての位置づけは、【ア=天】(1000~1160)と【ワ=地】(790~1)に別けられた、その中間に対し、天使(空這う子=エノク少年)の領域として設定された。尚、【日ノ本・カミ代】の始まりは、【数値カバラ…300】(書かれざるカバラ)に言う…【エロヒムの霊/ルアク】(RVCh・ALHIM/200・6・8・1・30・5・10・40…ヘブル語Sin=300)と定義された数値を用い、【秘儀数値・300×1萬=300萬年】(ミモロ・年)と成す暫定的【スズキ・コヨミ】(鈴木・暦)を作成し、【創作・カミ代物語】を作成(AD3世紀頃~4世紀頃)した事に始まります。

 

…『「創造の書』(セフィ-ル・イェツィラ-著)…「カバラの重要な概念(セフィロ-ス)。神は22のヘブライ文字と10の基数より成る【32の知恵の道】を通って宇宙を創造したと言うカバラの中心的概念が此処に描かれている」(Google・検索より)。  

 

 

…倭語数値言語…《(2)・(10)》…とは…ふと(20)・間&汝は存在するの意)・(ヨッド=Y/10&20)》…とする数値を意味表します。その中心に位置する【ア・ウ・ワ】(3文字+1+66+300=370)の数値【370】が、【アメ・ミナカヌシ】(天・御中主)の正体です。又、【フトマニ】(太占)の語元は、円の形状を【八衢】(ヤチマタ=数値を意味表す)に別け、「8×16=128・祝詞歌」数値を合算して成る【完全数・8128】を用いて考案されています。つまり、【アメ・ミナカヌシ】(天・御中主)と言う単語(造語)は、【Macro prosopus】(マクロ プロソプス)の頭髪(巻毛)の毛先から放たれる光輝の【秘儀数値・370】が語元(語源の意ではありません)であった。此の秘儀数値の抽出方法は、「完全数・8128」+「ギリシア語訳聖書・2242」(ノア・昇天年数値)=【1萬(ヨロズ/御親カミ)370(光輝の数)】である。

 

…此の抽出方法の片方の数値(2242)の存在を意味表す文言が……《【ワ(終り24文字・300/エロヒムの御魂)とア(始め)に別けて、アイウエオ】(ギリシア語母音/ホツマ・18章)/空風火と水地(ギリシア五大元素/数値・1535)の、五(ヰツ・300/ワの三角数と同義数値)つ交わりて人(倭語・三角数/39)と成る、アメ中主(アウワ・367+3=370)のカミ(髪=上/2242)は此れ」(ア~ワ24/300+1535+39+367+3=2242/ノア・昇天年)(ホツマ伝・14章)》……

  

…此の【ノア・昇天年数値2242】(ギリシア語訳・聖書)に合致させ抽出した【秘儀数値・1萬370】(God=ヨロズ/1萬370に分割)を用い、我が国に於ける【ヨロズのカミ】(1萬=日の老いたる者/御親カミ)と、【天・御中主】(370=ア・ウ・ワ/三位一体カミ)を登場させました。

 

★…③下図(画像)の【千年枠・図】(皇歴年・設定方式枠)は…「満1190+3910+4900=1萬年・図」と成す4つの秘儀数値で構成されています。つまり、最初の【1191】は、ダニエル書の「メネメネテケルウパルシン」(誰も読めなかった文字言語)に対するゲマトリア数値です。…次の【3910】は、旧訳聖書の創世記(ΒΡΑΣΙΤ/ベラシト)に対するゲマトリア数値です。三つ目の【4900】は、創世記のアダムから数えて第七番目に当る「天使エノクの10週年」(490×10=4900年)数値です。

 

…その合計「1萬」が意味するものは、【エノク書】に記す文言、即ち、古代ユダヤ民族に対する「罪の日数が満ちる迄の期間」と定義する秘儀数値です。

 

…【死海文書】(1947年発見)を死海西岸地域で人目に付きにくい洞窟に隠し残し、【Qumran Sect】(クムラン秘儀教義宗団)トップグル-プ子孫の人達は、エゼキエルの預言に従い、此の極東の島(日本列島)に辿り着きました。当時としては此の島が極東(BC二世紀中頃のロ-マから見た方角)に位置する地域であるのを確かめ、予てから計画していた理想郷国(大陽の国)の創建に取り組みました。

 

…その予てからの建国計画とは、大地震年(カミの顕現年)から「31年間」を理想郷国創建に向けた準備期間とし、その翌年(幻の西暦1年目)に対し、理想郷国(大陽の国=ヤマト国)に於けるカレンダ-(コヨミ=木読/暦)の施行年として定義する事であった。此の定義付けが確定していたから、現在に言う西暦年が存在するのです。つまり、イエスは此の定義付けの事を知っていたから、危険視されていたエルサレム行きを強行し、十字架刑(重刑)に処されました。

 

…尚、極東の島に移住した「キリスト(メシア)・思想トップグル-プ」の人達は、イエス十字架刑の年と同じ年の同じ時期(AD31年/ニサン月・3月中~4月中頃/現在は4月7日と推定されている)に、理想郷としての建国を果たした事を以て国見(御幸)を行い、その詔が発せられています。

 

(ミコトノリ=詔)…「昔、伊弉諾尊目、此國曰、日本者浦安國、細戈千足國、磯輪上秀眞國」(此伝、ホツマクニ/日本書紀・31年夏4月の出来事)… 

   

 

…つまり、【Qumran Sect】トップグル-プの人達は、【1萬年・枠】中を、ダニエル書のゲマトリア数値(1191)を用い、クムラン地震年から31年目を経過した年に対し【幻の西暦1年目】(神武天皇・即位元年)と定義した。そして尚、此の歴年始点年に対し【千年枠】の始点とし、【日本人の聖書/Bible】としての【ホツマツタヱ】(姉妹書・ミカサフミ)文書(在位通歴・790年迄で終焉とする)を完成させました。

 

…つまり、【千年枠】に関する数値配置は…

★…「1191-160(ピピ/千木の語元数値)=1031-31(建国準備期間)=1000(千年枠・数値)」…と成ります。

★…「1000(アメ=天)-790(景行天皇崩御年/ホツマツタヱ文書・終焉年)=210(フトマニの語元/三角数)+160(ピピ)=370(天・御中主の語元数値)…と成ります。

 

 

…つまり、【1萬=満8809/1191-31=1160-160=1000/千年枠・数値】として、その過去的【1萬年】の到着値点は創世記(ベラシトの【アタム~ノア】の歴年数値こ行き着きます。ちなみに、建国着手迄の準備期間としての「31」は、ユダヤ教は元初のカミ(エロヒム/ALHHM)の御名、その最初の二文字(AL)に対するゲマトリア数値です。

 

…又、【1萬年・枠】の始点年(1160の頂点/想像的天空値点)設定方式は、ギリシア語訳聖書に記された「ノア・昇天年数値」(2242)を用いて設定していました。

 

…つまり、「汎用・CAD」(製図作成用)に言う「オフセット」設定的(極座標οχy/一定の距離を与えて成すP値点)に、尚、「p・1160」値点(P点)として考える事が出来ます。つまり、【ギリシア語訳・聖書】に記された【ノア・昇天年数値・2242】値点を「極座標ο」として捉えれば、ο/2242-χ・236-y・846=p・1160(P値点)として定義する事が出来ます。

 

…此の、「P・1160」(千木の語元値/天空)値点から【アメ・ミナカヌシ=370】(ア・ウ・ワ/三位一体・カミ)数値を天降すれば、「P・1160-370=790値点」(ホツマツタヱ文書・終焉年/景行天皇・崩御年)に繋げられている。そして、「y・846」(数え年=867年/暫定的・アスズ・コヨミ暦年数値)数値を用い過去へと遡れば、「天照大神・生誕年」(天鈴暦・21鈴125枝31穂・キシヱ/1月1日)から数え…179萬2420年目(ダニエル書に起因する)に当るように設定されています。

 

…早い話が、『ホツマツタヱ』(姉妹書・ミカサフミ)文書は、【ギリシア語訳・聖書】(ゲマトリア数値が秘められている)と【旧訳聖書】、そして「エノク書/ヨベル書」等を含む聖典内容を駆使して作成されています…

 

…日本史に於ける【皇歴年史】の始まりは、律令時代に作成された『日本書紀』(【日本紀】の下書き文書)記載の「神武天皇・即位元年/辛酉」(秀真伝・天鈴暦58年目/サナト年)とされていますが、正しくは、『日本書紀』ではなく、『ホツマツタヱ』(秀真伝)文書の「タケヒト・即位年」(29章…下記に記載しています)として訂正する必要があります。

 

…つまり…「カンヨリ(神奈備)ニナモ、カンヤマト、イハワレヒコ(祝われ彦)ノ、アマキミ(天君)ト、アマネクフレテ、トシサナト(天鈴暦58年/AD1年目)、カシハラミヤ(橿原宮)ノ、ハツトシ(初年)ト、ミヨカンタケ(御代・神武)ノ、オオイナルカナ」(ホツマ伝・29章)。 

 

…ちなみに、【古事記】は歴史書ではないので此処では無視します。

 

…『日本書紀』の「初代・神武天皇~第12代・景行天皇」(在位通歴・790年)迄の歴年史とは、【第29代・欽明天皇】(AD540~AD571)の時、それ迄「カミナフミ」(神名文字)と呼ばれていた文字を用いて書かれた我が国最古の歴史書(ホツマツタヱ/ミカサフミ・文書)が、漢字に書き変えられたものでした。

 

…『ホツマツタヱ』(姉妹書・ミカサフミ)文書(昭和41年=AD1966年に再発見)の作者達(サドク系大祭祀者&レビ族の人達)は、聖書的、【日本建国・創建史】文書を作成するに当たり、祖国(古代・ユダヤ王国)の歴年史数値に合致させる方式を組み込みました。それは先ず、我が国(ホツマ・国)の歴年史数値を「ユダヤ民族のバビロン捕囚解放年」(BC538年)数値に結び付ける事でした。従って、【長髄彦・討伐物語】文中に在っては、「ヤオ(現在・大阪府八尾市の名称と成っている)の初出年」(天鈴暦ヲシヱ・55年=BC3年/BC538-BC3=数え年BC536年・ヤオ=ΙΑΩの語元数値)を明記しています。此の事に付いてはタコチ(竹淵)神社・由緒書大阪府八尾市竹渕2丁目154/祭神=天照大神)を参照(神変)の事。

 

…【タコチ】(Υ+Χ=チ・1000)の語元数値は、【秘儀数値・1000/千木の語元数値】の語根文字()数値と同義的数値を有す言語、つまり、元初【ヤマト】(294-58=236/24組祭祀方式終了=)の国の【コトバ】(コとハ=が語元)として造語されました。

 

 

以下【追記】(2018/07/04・水曜)…【日本の語元】

 

…アジア(東の地の意)と言う行政上の初出は、「紀元前・133年/ベルガモン(トルコの西域に位置す)がロ-マに併合(移譲)された時」である。それ以後、ロ-マ(地中海沿岸諸国はロ-マの属州と成る)から見た東の方に対しアジアと呼ばれる事となる。然し、ロ-マ帝国時代は未だロ-マに起因するアジア地域の範疇に日本(ヤマト=日ノ本)は入っていません。従って、我が国独自に命名した「アスカ」の地名は、ホツマツタヱ(20章)に記す「烏飛ぶ…そのアスカ(明日)」の文言が語元である。では何故、日本では夜明けの事を「アシタ」と言い、漢字で「明日」と書き表すのかと言えば、沖縄の「イリオモテ」に対し「西表」と漢字表記するのと同じである。つまり、「1日の始まり」は、「大陽が地平線、及び、水平線に沈む意を以て、「1日の始まり」と捉えていたからである。此の考え方は、ユダヤ民族の人達、即ち、Qumran秘儀教義宗団の人達がエゼキエルの預言(カミの栄光は東から現れる)に従って、極東の此の列島に辿り着き、【太陽の国・思想】(国内の奴隷や農奴に自由を約束)を有す国家としての「ヤマト=日ノ本」国を創建した事を物語っています。

 

…【フトマニ・図】に配置されたホツマ文字による初期的数値言語、つまり、【トホカミ・ヱヒタメ=合計95】のカミ名は、後に言う「秋津=95」(日本列島の別称)の語元となる。又、【アイフヘ・モヲスシ=合計284】は、ユダヤ教の【YHVH】(ヤハウェ)のギリシア語読み「テオス=284」の意として造語された。その【フトマニ・図】中心に配置した【アウワ=370】(天御中主尊)は、マクロプロソプスと天使エノクの意として造語された。此の【フトマニ・図】を8分割図で表し、【ア・ウ・ワ=370】を配置したのは【完全数】を取り込んでいる事の証明である。此の一連の【数値・言語】による初期的カミに関する文字言語の造語が意味する処は、伊勢神宮の【伊勢】の語元(ヰモヲセ=318/エルサレムの祭祀権習得事項に関連する数値)然り、千木の語根数値(160+318=AD478年/伊勢外宮にトヨ受けカミ勧請)を用いダビデの御魂を勧請した事を以てしても、我が国の国号【ヤマト=日ノ本/陽の元】の語意は、エルサレム神殿地域からみた極東を意味表す国号である事を物語っています…    

 

★…此の続きは後日と致します

 

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「神の数式・496」(物理学/超弦理論数値)で構築された『ホツマツタヱ』文書

 

…(前文略)…超弦理論が認められない中、重い糖尿病を患い故郷フランスへ戻ったシャーク。シャークは何かに取りつかれたかのように異次元の研究に没頭していったと言います。次第に仏教の世界に傾倒し、瞑想にふけるようになっていきました。そしてシャークは34歳の時、糖尿病の治療薬を大量に注射して亡くなりました。

 

…シャークが亡くなった後もシュワルツは超弦理論の研究を続けました。最初の論文の発表から10年後、超弦理論に大きな転機が起こりました。イギリスのマイケル・グリーンが研究に加わったのです。シュワルツとグリーンは異次元の問題について、そもそもこの世が4次元でなければならないという証明はない為、数式が10次元と示しているのだから自分たちの常識の方が間違っているのかもしれないと考えるようになりました。

 

…そして、2人は超弦理論の数式に一般相対性理論と素粒子の数式が含まれているかを検証しました。複雑な計算をすすめると、全く無関係に見える2つの数式が導かれ始めました。そして数式に矛盾が生じていないか最後の計算をしている時、496という数字が数式に次々表れました。

 

496は、完全数の一つで古代ギリシア時代、天地創造と関係があると崇められていた数値です。その数が一斉に表れたと言う事は、数式の中で広大な宇宙とミクロの世界が美しく調和しているという事を意味していたのです。そして、超弦理論から一般相対性理論と素粒子の数式が矛盾なく導き出されました(後文略/Google・クリック 検索 ⇒ https://tvmatome.net/archives/5567 神の数式2「超弦理論」~宇宙はなぜ生まれたのか~|NHKスペシャル

 

 

 

ちなみに、【日本建国・創建史】とは、『ホツマツタヱ』文書の事です

 

★… 『ホツマツタヱ』文書・URL(クリック検索) ⇒  http://gejirin.com/

 

…(筆者・作図/1萬年枠 日本建国創建史)…

 

 

…『現存・日本書記』(国史大系1)の底本である『ホツマツタヱ』文書は、基本的には黙示文書(預言書)とされる【ダニエル書】(BC2世紀前半頃成立)の【秘儀数値】(ゲマトリア数値を含む)を土台として構築されています。日本建国としての定義付けは、長髄彦討伐を以てタケヒト(後に言う神武天皇)の即位年(天鈴暦58年/AD1年・辛酉)を皇歴元年として定義した事に発生します。

 

…長髄彦討伐開始年(BC7年)時に言う天文学的な秘儀数値、即ち…「179萬2470年」(天照大神・生誕年から計算された年数/日本カミ代物語の歴年史は300萬年で終焉す)数値の出自は、先述に言う黙示書(ダニエル書)に記載された【秘儀数値】(2300+1335+50/割り当ての地に立=3685と、【モ-セ・5書】の創世記(ベラシト)タイトル文字のゲマトリア数値3910に起因します。

 

…【日本建国史】(ホツマツタヱ&ミカサフミ文書の意)文書作成に当っては先ず観念的【1萬年枠】を設定し、更にその1萬枠内に【千年枠】を設定した。そして、観念的【千年枠】内に、皇歴年設定物語(後に言う「初代・神武天皇~第12代・景行天皇迄)の在位通歴790年迄を組み込み文書化したのが、【日本建国・創建史】として位置付た【ホツマツタヱ】(秀真伝)と【ミカサフミ】(散逸書/ミカサフミ)文書です。

 

…ちなみに、皇歴在位通歴年(790年間)設定に当たっては、【完全数・496古代ギリシア時代、天地創造と関係が在ると崇められていた数字)を、【千=496/504】として分割し、分割した片側数値(504)の中に、日本人の聖書(Bible)としての【ホツマツタヱ】と【ミカサフミ】文書)を用い、【ワカヤマト・ネコヒコ】(後に言う/第9代・開化天皇)~【ヲシロワケ】(後に言う/第12代・景行天皇)迄の在位通歴790年迄の歴年史として書き込んだ。何故、此の【在位通歴・790年】迄で【日本人の聖書】(Bible)的文書を終焉さたのかと言えば、それは、観念的【1萬年枠】頂点に位置する「千木の語元数値・1160」(枠数値1000+ピピ160=満11590+AL31+クムランクムラン大地震年(8810=1萬年枠数値)に関連します。

 

…つまり、【エノク書】(1萬年)に言う…「罪の日数が満ちる迄の期間=1萬年」の終焉を意味表します…

 

★…【フトマニ・図】設定方式

 

…『ホツマツタヱ』(姉妹書=ミカサフミ)文書は、基本的には…「1160(千木の語元/千年枠の設置)-790(ナコソ=勿来/ホツマツタヱ終焉年)=370(天御中主の語元)」…と成す【秘儀数値・370】を以て、【アメ・ナカヌシ】(天・中主)と言う。つまり、【ミ】(数値・3の意)の数値言語文字が無い名称(呼称)が元義であった。その後、【フトマニ・図】を完成させ、その中心に【ア・ウ・ワ】三位一体のカミを配置するを以て、始めて…《アメ・【】ナカ(中)ヌシ(主)》…として命名された。ちなみに、此処フトマニに言う「アメ・ミナカヌシ」に対する【】の語意は【御】の意ではありません。 

 

…【フトマニ】の語元(語源の意ではありません)は、【ワイタメ】(ホツマ・2章)の字元に起因するヘブル語【ヨッド/YVD】(10+6+4=20)が語元であった。従って…「千木の語元数値・1000-790・ナコソ(景行天皇崩御年)=210・フトマニの語元数値」(20の三角数)…と言う図式を組み込んだ『ホツマツタヱ』(姉妹書・ミカサフミ)文書が作成された。そして、皇歴年の施行に当っては、観念的【千年枠】を設定し、尚、皇歴設定カレンダ-(コヨミ/暦)の設定に当っては…ノアの嫡男である「セムの1年目=2007年」(アダム始点歴/暦)数値と「千木の語元数値・1160」を繋ぐ【秘儀数値・847】(2007-1160=847)を、【千年枠・頂点数値】に内接する【フトマニ数値・210】を経た値点から過去の世界へ引き下ろし、【暫定的・アスズコヨミ】(天鈴暦/暫定的847年間のコヨミ)として設定した。そして、此の暫定的【天鈴暦・58年】(幻の西暦1年目)の年を以て【タケヒト(神武)・即位1年目】と定義し…「かん(カミ)よりにな(名)も、かんやまと(カミ・【ヰヤ=58】マト)、いはわれひこ(言われる彦/蘖)の、あまきみと、あまねくふれて、としさなと(天鈴暦58年)…』(秀真伝・29章)と明記されました。

 

…【フトマニ】語元数値【20】に言う三角数(和算=俵積算・210)と千木の語元数値【160】(千年枠外の160=ピピ/此の聖書写本文字はクムランで発見)とを合算した【秘儀数値・210+160=370】(ア・ウ・ワ=367+文字数3=370mも同義語数値)を用い、始めて「ナカヌシ」(交わり成れる)と命名されました。此の語意の始まりは、ヘブル語による「マクロプロソプスの370の頭髪=巻髪」(ヘブル語・22字+10・ヨッド+5・ALHHMの文字数=37×10セフィロト数=370)と成す髪先の言語数値(OSh/アウシュ=形成・行動・創造=370)の意であった。従って【髪】、及び【上】の語意に対し、「元初・ヤマト言葉」(大和言葉の意ではありません)による造語に至っては、「ギリシア語の文字配列順」に対応せたギリシア文字配列方式のゲマトリア数値を用い、【カ・ミ】(ホツマ文字配列・2番目&10番目文字/58+22=80/八十平瓮/平皿)と命名されました。

 

…つまり… 「秀真伝29章…カクヤマ(香具山)の、ハニ(埴)の平手(平皿=平瓮)に、ヒモロケと、【カ・ミ】(倭文字58+ヘブル文字22=80)の教えに成さんんとす」…と記された文言に起因する。 

 

…【フトマニ・図】作成に当っては、先日に言う【物理学・超弦理論】から導き出された【神の数式・496】(3番目の完全数)。その次の4番目【完全数・8128】の取り込みを以て、占いに用いる【ヤチマタ】(八衢)&【128・歌】(占い用/5・7調の祝詞歌)の数値に別けた図表を完成せた。その完成図表が【フトマニ・図】である。何故、その当時(BC5世紀頃)に発見されていた【完全数】(①・6…②・28…③・496…④・8128)の中の【8128】が、占い図の作成に取り込まれたのかと言えば、それは…【万物は数なり】…と考えたピタゴラスが名付けた数の一つである事」に由来する」(Google・検索/引用)。

 

…エゼキエルの預言に始まる理想郷とする【ヤマト】(日本)創建に在っては、日本独自のGodを確立させる必要があった。然し、それはユダヤ教の唯一神(Yahweh/ヤハウェ)の流れを引き継ぐ必要がある。それで…「万物は数なり」(ピタゴラスの言葉)の語意を取り込み、その当時としては最後に当る【完全数・8128】と、【ノア・昇天年=2242】を合算した数値、即ち、「8128+2242=1萬370」と成す数値を導き出し、尚、その数値を【1萬】(ヨロズ)と、【370】(Yahwehの頭髪に対するゲマトリア数値)とに別けられた。それが、倭語数値【ヨロズ】(1萬)であり、【アメ・ナカヌシ】((天・御中主)の語元(語源の意ではありません)である。 

 

…そして、【完全数・8128】は、「8000」(ヤチ)と「128」に分解し、【フトマニ・図】(八衢&128歌/8000+128=4番目の完全数8128)の図形に取り込んだ。その図形の中心に【ア・ウ・ワ】(三位一体・カミ/ヨソコのカミを構成)のカミを配置するを以て、始めて此処に…《【ミ=3】・ナカ(中)・ヌシ(主)》…と呼び、我が国最初の【カミ】(58)に対する名称(呼称)を誕生させましたした。尚、その【フトマニ】の語元(語源の意ではありません)を更に分解すればふと】(20)・【】(Ε動詞/汝は存在する)・【】(ヨッド/Υ=カミ形)》…と言う図式で構成されている事が解ります。…(★以上/フトマニ図の解説をおわります)。

 

 

★…《書かれざる【カバラ】(口伝)》

 

…《書かれざる【カバラ】(口伝・律法)》とは、《書かれた【カバラ】(文書化・律法/タルム-ド)》以前に言う口伝(受け容れる意)律法の事とです。従って、現在に言う【カバラ】とは、文書化された、即ち、【書かれた・カバラ】(AD1世紀中頃~後半頃のラビ・アキバに起因する)の事に成ります。書かれたカバラは何時、誰が誰が書いたのかと言えば、【エルサレム・第2神殿陥落】(AD70年)以降、タルム-ドに多数の人達が先ず記入しました。その後、【Zohar】(ゾハール/光輝の書)として纏めたのはタンナ(学者)の「シメオン・ベン・ヨハイ(AD2世紀頃の人)とされています。従って、我が【日本建国・創建史】文書(ホツマツタヱ&ミカサフミ/文書)を作成するに当っては、その…《書かれざる【カバラ】(口伝)》を身に付けていた【クムラン・秘儀教義宗団】トップグル-プ子孫の人達、つまり、【ΙΑΩ】(大阪府八尾市の語元)の【AL(アラ)ヒト】宗団(サドク系及びレビ族)の人達が持ち込み、【元初・ヤマト言葉】作成時に於いて、そのゲマトリアを組み込みました。

 

…ちなみに、【カバラ】教義は、脱ユダヤ教(元始・キリスト教)思想者達が、ギリシア語訳聖書(72人訳)作成時に取り込みました。尚、【ト-ラ】(モ-セ5書)重視のユダヤ教の人達は採用していません。

 

…【脱・ユダヤ教】を目指し、【大陽の国】創建に向けた新た成る聖書(ホツマツタヱ/ミカサフミ・文書)作成に於いては…観念的【1萬年枠】を想定し、【1萬=満・8809/1191】として分割した。その分割された片方の【秘儀数値・1191】の出自は、【ダニエル書】(5・25)に記す…「Mene,Mene,Tekel,U・pharsin」(メネ、メネ、テケル・ウ・パルシン/誰も読めなかった文字)…と記す文言文字のゲマトリア数値が取り込まれました。又、その反対側に位置する【秘儀数値・8810】(満・8809)は、「エノク10週・4900年+創世記/ΒΡΑΣΙΤ・ 3910=8810」と成す秘儀数値で構成されています。その分割設定の基点値としては、【カミ(上)の顕現】年として定義(God・manifest/ ゴッド・マニフェスト)された【Qumran・大地震】(BC31年)の年を以て分割(過去/満・8809年&未来1191年)されました。そして、その「未来・1191年」に対しては、「1191-31(カミの数値/建国準備近年)=1160」 として、尚、「1160-160(千木の語元)= 1000(千年枠数値)」として分割しました。その観念的【千年枠】の中に「皇歴年設定物語」(神武天皇~景行天皇・崩御年/在位通歴・790年迄)を組み込みました。

 

 

…【超弦理論】(物理学/宇宙の始まりを解明する理論)で導き出された【完全数・496】(宇宙/ブラックホ-ルの無限を悉く打ち消した数値)を、その遙か昔(BC1世紀)の【クムラン・秘儀教義宗団】トップグル-プの人達は、既に【God・manifest】(ゴッド・マニフェスト=クムラン宗団・公約)の中に取り込んでいた。

 

…その証拠と成るのが、「イエスの十字架刑」の年AD31年に関連(31×2=62×2×2×2=完全数・496)する数値です。つまり、我が国に於いても、その「イエス・十字架刑の年」を同じくして、【皇歴年施行/初代・タケヒト】(後に言う神武天皇)即位後としては始めてに当る【国見】(御幸)行事を行い、「ミコトノリ」(詔)が発せられています(★ 次に日本書紀の詔文面を記す)…

 

★…神武天皇のミコトノリ(詔)…「(前文略)/姸哉乎國之獲矣。姸哉、此云鞅奈珥夜。雖內木錦之眞迮國、猶如蜻蛉之臀呫焉。由是、始有秋津洲之號也。昔、伊弉諾尊目、此國曰、日本者浦安國、細戈千足國、磯輪上秀眞國」(秀眞國、此伝袍圖莽句爾/ホ此れ言うホツマクニ)」(後文略/日本書紀31年条/ホツマツタヱ文書を漢字に変換した文言です)と記述されています。

 

…つまり、【日本建国・創建史】(日本人の聖書/Bible)文書枠を構成するに当っては、【カミ=上】(髪/AL=31)の顕現年数値【31】(God・manifest数値)に従って、【Qumran・大地震】年から31年後を新た成る理想郷の創建年とする事を定義した。そして、エノク書に記された…罪の日数が満ちる迄の期間=1萬年」を用い、【1萬=満・8809/1191】として分割した。そして、マニフェストに従い…「1191からカミの御名数値(31)を年数に換算」し、その数値年(31年)を用い新な国造に向けた準備期間年と考え、【クムラン・秘儀宗団】トップグル-プの人達は極東方面へと移動し、辿り着いた極東の島に先ずレビ族に言う御親カミ、即ち、【ΙΑΩ】(ヤオ/大阪府・八尾市の語元)を祀った。そして、その祭祀地(現在の大阪府八尾市竹渕/竹渕神社建立地)に対し【タコチ】(秘儀数値・1000/千を意味表す言語)と命名された。

 

…此のマニフェストに取り込まれた【秘儀数値・31】の年数を経過した翌年に対し、「タケヒト(神武天皇)・即位1年目」(幻の西暦1年目)と定義するを事を以て、「皇歴年・施行始点年」として設定する。従って、観念的【千年枠】(千=496/504)分割数値の始点としては、【皇歴年・物語】(神武天皇~景行天皇期迄/在位通歴790年迄)の始点として設定されています。従って、此の値点を以て【日本人の正典/Bible】としての【ホツマツタヱ】と【ミカサフミ】文書が作成されました。   

 

…此の【完全数・496】(物理学/超弦理論で導き出された神の数式・数値)の取り込みを以て、【幻の西暦・496年】(第4番目の完全数)と定義し、それが【第1回目・式年遷宮年】(雄略天皇・21年=477年~満19年/仁賢天皇・9年)に当たります。此の、【幻の西暦1年目・設定方式】は、【死海文書】(1947年発見)に書かれている、つまり預言的…【幻を書き記せ】(ハバクク書2・2/注解・ペシェル)…と言う文言に起因する。

 

  

【追記】(2018/03/29)…【アメ(天)の所在地】設定方式

 

…【カカンノンテン】とは、【1萬20】(:ゲマトリア=カカン・4120+ノン・420+テン・580=1萬20/ヨロズ&太占の語元数値)と成す秘儀数値の意です。つまり…「カカンノンテン、揃う時」…とは、エノク書に記す「ツミ(倭語のゲマトリア/121)の日数が満ちる迄の期間を1萬年」と定義されている。従って、「カカンノンテン」文言は、先述の【1萬】と【フトマニ】(太占)の語元数値【20】(倭語=【ふと】/フソと同義語)であり、その双方の数値を言い表す言語でもある。

 

…『ホツマツタヱ』14章いかすりうちの をにやらひ かかんのんてん そろふときホ14   Google・クリック 検索によると…

 

…上記…「カカンノンテン(121)、揃う時」…に続く文言の次の文言もゲマトリア数値言語で訳せば…「アとワ(301)に別けてアイウエオ(455)、ウツホカセホとミツハニ(901/合計・1657/セムの世代・シェマ=聞けイスラエル)の、五つ交わりてヒト(39)と成る、アメナカヌシ(太占図/あうわ=367)の、カミ(58)は此れ(39+367+58=464/ダビデのゲマトリア数値)と成る。つまり、【秘儀数・1657】(ノア期・大洪水年の翌年/セムの世代)+【秘儀数値・464】(ダビデ数値)=【2121】と成ります。

 

…そして、その双方の【合計数値・2121】(1657+464)を念頭に置いて成す物部の【鎮魂祝詞】…即ち…「イタムコト、アラバ ヒフミヨ、ヰムナヤコ、迄数えて(8+13+10+ 5+19+15+4+23+22+2= 121)震え唯、ユラユラ震え、斯くなせば、既に罷るも蘇る、振るの事ぞとミコトノリ(詔)。

 

…上記の文言数値、つまり、それは【秘儀数値・121】を強調する文言であると同時に、尚、「カカンノンン」に秘められた【秘儀数値・2121】との合算数値「2121+121=2242」(此の数値はギリシア語訳聖書記載によるノア昇天値)を示唆する文言でありました。此の【ノア昇天年・2242】(秘儀数値)の取り込みが意味する処は、ユダヤ教の聖書(ト-ラ/モ-セ5書)に対し、本格的なゲマトア(文字&数値転換・解読方式)方式が、【元初・ヤマト言葉】の中に組み込まれている事を意味表しています。

 

…然し、トーラ(モーセ・五書)記載の、「ノア・死去年は2006年」(アダム歴=満1056~2006年/満950歳)として記されています。ちなみに、【嫡男・セムの生誕年は「アダム歴・1556年」(ノア・満500歳の時に誕生)である。

 

…そのノアの嫡男(三兄弟=①・セム/②・ハム/③・ヤペテ)である【①・セム】(ギリシア語的派生=Σημ/セーム)の御名を用い…(申命記6・4)「Shema Yisrael」(聞け・イスラエル/シェマ-・イスラエル)…と言う、諸部族の礼拝祭儀が行われる場の会衆に向けた呼びかけの文言(申命記)とされています。  

 

★…【申命記6・4】…「Shema(シェマ-/ 聞きなさい)、Israel(イスラエル)。主は私たちのカミ(AL=31)。主はただ一人で在る」…

「第 6 章1~4」

1… 此れは貴方がたの神、主が貴方がたに教えよと命じられた命令と、定めと、掟であって、貴方がたは渡って行って獲る地で、此れを行わなければならない。 
 

2… 此れは貴方が子や孫と共に、貴方の生きながらえる日の間、常に貴方の神、主を恐れて、私が命じる諸々の定めと、命令とを守らせる為、又、貴方が長く命を保つ事のできる為である。 
 

3… それ故、イスラエルよ、聞いて、それを守り行え。そうすれば、貴方は幸を得、貴方の先祖の神、主が貴方に言われたように、乳と蜜の流れる国で、大いに増すであろう。 
 

4…イスラエルよ聞け。我々の神、主はただ一の主である。

…秘密裏数価(ゲマトリアは文字の数価総合計で意味を解す教義)が秘められた文言~「生シマと、足ル島四方のミカキ守り、ヰカ(5日)スリ内の鬼ヤラヒ、カカンノンテン揃ふ時(ホツマ14章)。つまり~「千木数価1000+ツ66+ミ55=121=1121×2(カカンノンテン揃う時)=ノア昇天年数価2242」数価2242はギリシア語訳聖書に記載在り)。

【日本人の聖書】(Bible=ホツマツタヱ&ミカサフミ文書)を作成するに当っては、「生シマと、足ル島四方のミカキ守り、ヰカスリ(1年循環365最後の5日の事/坐摩=ヰカスリ・神社は大阪市中央区久太郎町四丁目渡辺に存在する)内の、オニヤラヒ、カカンノンテン揃ふ時(ホツマ14章)と在り、それは、【2242】(ノア・昇天値/大洪水阻止祈祷文版設置値)と成る倭語(元始・ヤマト言葉)数価を抽出し、新に再設定したノア昇天値2242と【完全数8128】を合致させて成る【1萬370】の秘儀数値を新に抽出する事でもあった。

 

   そしてし、元来は【Macro prosopus】(マクロ プロソプス)の頭髪(巻毛の語意数)数値(370)と、【エノク書】(1萬年/罪の日数が満ちる迄の期間)定義されてたが、【ホツマツタヱ】(姉妹書・ミカサフミ)文書作成に当っては、改めて倭語(ヤマト・言葉)数値を用い再設定する必要を以て【1萬370=1萬&370に分解】として分割し、【ヨロズ】(御親・カミ)と【アメ・ミナカヌシ】を誕生させました。

 

…此の上記の秘儀数構図が、其の後に完成させた【フトマニ・図】(太占・図)に当たります。つまり、【アメ】(天)の所在値点とは、【フトマニ・図】(太占・図)の中心(アウワ/3+367=370)で在り、【千木の語元数値・値点】(1160)と「景行天皇・崩御年/在位通歴790年)との空間/370=天御中主の数値)値点でもあります。

 

…此の続きは後日と致します…

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日本の夜明け(建国始点)は、我が国最初に造語された地名【ゐまり】(IBASILH=イェバ・シローの語元数価358/創世記49・9~10カバラ数価が伊万里市の語元となる)に始まりました。

それは、紀元前1年(庚申)に極東列島に辿り着いた建国創建者(サドク系大祭司)が良質の黒曜石の産地を「ゐまり」(ミナトと同義語)と命名し、世界に向けた表玄関港(松浦郡の語元に起因する)と位置付けたからでした。その港を開いた人物はハテツミ(海神ワダツミは住吉氏族の祖)です。その人に仕えていた與止姫(肥前風土記逸文)が佐賀県の語元となった賢姫です。そしてその王の娘が豊玉姫(神武天皇の父方の祖母/母方の伯母)であり、伝説上の山幸彦(彦火火出見尊の后)の后でした~

何故、正月(元旦)に対し、年賀状に「オメデトウ」(芽出タイ)と書かれるのかと言えば、それはその昔の旧暦正月の名残です。つまり、旧暦正月は立春正月(現在の2月4日頃)であり、植物の芽が出る季節が巡って来た事を示唆する文言だからでした。

又、何故、正月前の大晦日(オオツゴモリ)に🎍角松が設置されるのかと言えば、それは1年循環に於ける四季の動きを、当時の暦の設定者は四角形図的(アセンダント=太陽の道の天体が昇ってくる上昇点)に考えていたからです。従って、冬の終りの角(翌日は立春の元旦に当る)で、立春正月を「始めと終り」の角で待つ(角松🎍)と言う事を示唆した物体として暦の設定者が設置した事に始まりました(年中行事)~😀

又、我が国では年末に「シメナワ」(閉め縄)を張る意味は、それは「新年365日」と「旧年365」との間に、少し時間の誤差(閏年に関連する)が生じます。それで、その隙間を「閉め引き塞ぐ」事で、その隙間から旧年の終えものが入らないように閉め引き塞ぐと定義し、設定されました。
★「あれ鬼モノお破るなら、空這う児(倭天使/3歳の稚児・天使)にて招き入れ、閉め引き渡しミソギなせ、鬼カミ縛る器物=閉め縄」(ホツマ12章)~

我が国ヤマト(日ノ本)民族としての歴史発祥始点地は、伊万里の腰岳から産出された良質黒曜石に起因します。それは、先ず筑紫(語元は身を尽くし生む国の意=当時は九州全体を指す呼称だった)の国造りに始りました。その国造りの王とは、有明海北西部(徐福上陸地域)を居住地としていた海人(アマ=ハデツミ王は魏志倭人伝に記す末廬国の祖/松浦の語元であり後の住吉氏族の祖でもある)の娘である豊玉姫を娶った山幸彦(後に言う彦ホホデミノ尊)です。その子孫タケヒトが後に言う神武天皇です~

因みに「ゐまり」(伊万里)の語元は、創世記49・9~10に記す「遂にはシロ(メシア)が来て国々の民は彼に従う」(そのフレーズ文言IBAΣΛH=イエバ.シロー)の秘儀数価「358」が、神武天皇即位元年設定方式(金印【漢委奴国王】授与年に関連す)となっています~

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我が国ヤマト(日ノ本)民族としての歴史発祥始点地は、伊万里の腰岳から産出された良質黒曜石に起因します。それは、先ず筑紫(語元は身を尽くし生む国の意=当時は九州全体を指す呼称だった)の国造りに始りました。その国造りの王とは、有明海北西部(徐福上陸地域)を居住地としていた海人(アマ=ハデツミ王は魏志倭人伝に記す末廬国の祖/松浦の語元であり後の住吉氏族の祖)の娘である豊玉姫を娶った山幸彦(後に言う彦ホホデミノ尊)です。その子孫タケヒトが後に言う神武天皇です~

因みに「ゐまり」(伊万里)の語元は、創世記49・9~10に記す「遂にはシロ(メシア)が来て国々の民は彼に従う」(そのフレーズ文言IBAΣΛH=イエバ.シロー)の秘儀数価「358」が、神武天皇即位元年設定方式(金印【漢委奴国王】授与年に関連す)となっています~

◆地名【ゐまり】伊万里市の語元)の地名発祥(物事の起こり始め)は、ユダヤ捕囚時代初頭頃(紀元前586年)に祭祀者だったエゼキエルは預言者と成り、極東方面に対する崇拝思想文言~「イスラエルのカミの栄光は東の方から来た」(エキエル書43・1~2)に起因する。そして、極東への移動に対しては、エゼキエルが課した罪咎(バビロン捕囚の原因)に対する【悔い改め期間430年】(エゼキエル書4・4~5)を全うした後(紀元前156年頃)、死海西岸に位置すクムラン地域に隠れ住みながら結成した秘儀教義宗団トップグループの人達は、理想郷の地(極東方面)に新たな国を創建する研究を行っていた。

そして,ヘロデ王第7年(紀元前31年)にユダヤ国を襲った巨大地震(1947年発見【死海文書】の研究者に因ると~クムランの秘儀教義宗団の集会所も紀元前31の大地震で破壊されたと言う)に対し、それはエゼキエルが予言していたカミの顕現エピファニー/エゼキエル書38・18~20…★その日には必ずイスラエルの地に大きな地震が起こる)と捉え、それを契機として極東を目指しクムラン地域を脱出し、アクスム王国イエメンのサバの女王系サマリア人【海の民】の船で紅海から東に向かう。又、サドク系の祭祀者等一行はダマスコからチベット経由~前漢国を経由(魏略に記載在り)し、呉の会稽で【海の民】の船に合流するを以て紀元前1年頃に、その昔に徐福が辿り着いた地(有明海北西部)に到着する。

つまり、【ゐまり】(世界史的日本の表玄関港/良質黒曜石の産出地/伊万里市の語元)とは、創世記の預言文言、つまり創世記49・9~10「ユダヤの指導者シロー(セム系の大祭司メシア)が来るであろう」と言うフレーズ文言の秘儀数価【358】(IBA.ShILH/イエバ.シローのカバラ数価~10+2+1+300+10+30+5=358)を用い、我が国の国語【ヤマト言葉】による我が国最初の地名単語として造語されました。

因みに、ヤマト言葉の基本48文字に秘められたゲマトリア数価(予め各々の単語文字に与えられた数価の合計で意味を解す方式)設定方式は、ギリシア語の母音「a.ア・e.エ・i.イ・0.オ・y.ウ」を「ア.イ.ウ.エ.オ」に並べ替えた。そして、その子音文字配置「ア.カ.ハナ.マ」等に並べて24文字ずつに区切り(24字+24字=484文字)、イオニア式ギリシア文字配列に組み込みました(画像在り)。

因みに、その幾何学的文字【チ】と【キ】の合字(モノグラム)形が、神明様式「伊勢神宮」の【角刺・千木】の形状であり、【チキ=千木】の語元です~!!

◆母音と子音記号に分けて組み合わせた文字方式は「古典エチオピア文字」が初出です。後年(紀元前3世紀頃)、その形式を用いて作成されたのが印度のカロッシュティー文字、及び、ブラーフミ文字(22文字/カルデア語・アラム文字をルーツとする)です。然し、その本家本元のサマリア系【海の民】(海人=アマは住吉氏族の祖)の人達は、新たなヤマト(ヤマトの語元はクムラン祭祀方式1巡年数価294を語元とする)の国の文字として【物部文字】(後に対馬文字が朝鮮のハングル文字として取り込まれた)や【ホツマ文字】(画像の文字)を作成しました!!

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★(大同2年=807年初版)『古語拾遺』(齋部廣成・著)には【神代文字】文書にしか記載が無い部分(ホツマ7章)、つまり、天照大御神が磐戸(岩戸)から出現した時の様子を漢字で記述しています。仮名に直せば~「アハレ、アナオモシロ、アナタノシ、アナサヤケ、オケ、サヤケ~」(後文略す)。

★因みに、齋部廣成が言ったとする文言(前文略す)~「上古の世、未だ文字有らざるとき、貴賤老少、口々に相伝へ、前言往行、存して忘れず」(後文略す)と言う意は、ヤマト国家の創建に着手した当時(AD1世初頭)には未だ漢字が無かったと言う事です。

 

★因みに、ヤマトの国の創建者達は極東への移動(紀元前1年/王莽が政権を簒奪した頃)以前、既に作成済の象形文字(母音と子音文字との合字・サバの女王系エチオピア文字をルーツとする物部文字&ホツマ文字)を持っていました。つまり、齋部廣成は神代文字文書にしか記載が無い文面を漢字で~「阿波礼・阿那於茂志呂・阿那多能志・阿那佐夜憩・飫憩」(アハレ ・アナオモシロ ・アナタノシ ・アナサヤケ ・オケ/後文略す)と記していたのです。従って、その後年に於いて、その語意を肯定する文書を忌部政通(インベマサミチは齋部廣成の子孫)は【神代巻口訣】文書を用い~「神代文字は象形也」と言い、推古天皇の御代に至り聖徳太子が古来からの象形文字(ホツマ文字)に漢字を当てた(『先代旧事本紀大成経72巻本の完成/その後、その文書の中の旧事等を抜き出すを以て『日本書紀』の底本と成る)等と記している。

★早い話が、齋部廣成時代(古語拾遺初版・大同2年=807年)以前(765~767年/孝謙&称徳女帝時代)に、弓削の道鏡が神代文字を焚書にしていた。当時、その事に異を唱えた三輪氏の赤坂比古は自害し、子の代々彦は「和仁估」と改称するを以て淡州菅浦(滋賀県)に蟄居し『ホツマツタヱ』文書を隠し置く。それが現在のホツマ文書のルーツです。因みに、齋部廣成はそれから約40後の人でした。

★因みに「天照オン神」のルーツは、聖書地名で古代エジブトの【太陽の町ヘーリオポリスに祀られた【ON=オン】(オンとはGodエロヒムの御魂の別称/ギリシア神話ではヘリオス=太陽光線の意)でした。又、その数価(ONの御魂数価300+倭語カミ数価58=358)は、創世記の最初の預言文言のカルデア語(アラム語)「イエバシロー」(日本語訳~シロが来るであろう/創世記49・9~10)。更に要約すれば「メシアが来るであろう」と言うフレーズ文字(IBASILH/イエバシロー)数価【358】と文言と同義語となる。

★つまり、【ホツマツタヱ】文書の本質は、エルサレム第二神殿陥落(AD70年/以後、ユダヤの人々は亡国の民となる)の翌年を間接的、聖書的に日本の歴年史に接続(ホツマ最後の景行天皇の即位年は意図的にAD71年に成るように設定)させる為に編輯された文書と言う事になります~

★要約すればホツマ文書のミマキイリヒコ(崇神)12年=AD351年(八尾のアラヒトの詔=ハツクニ知らすミマキの代)の年から、メシア来臨数価358年過去へ遡った紀元前7年に行き、その年を反逆者の長髄彦討伐開始年(甲寅・天鈴暦51年)としてハルマゲドン的最終6年戦争(死海文書の【戦いの書】に記す)物語を挿入する。つまり、6年戦争を勝利した神武(タケヒト)の即位元年はクムラン大地震年ヘロデ王の第7年)から数えGodエロヒム数価「31年目」(AL=31)の年(幻の西暦1年目・辛酉年/天鈴暦58年)と定義するするを以て【ホツマツタヱ】(景行天皇迄の日本最古の歴年史)と題し、それ迄の歴年史は書き換えられ(卑弥呼の宗女「壹与・13歳」は第6代考安天皇の后オシ姫に当たる)、再設定されました~

「景行天皇(ヲシロワケ)の即位元年設定方式」は、世界史的に後漢の歴年史に照合して設定されています~因みに、「景行天皇28年・唐の章和帝12年」(太神宮諸雑事記第一の景行天皇条)とは、後漢の和帝時代の事。従って「和帝の章和元年=AD87年+和帝12年=AD98年-景行天皇28年=AD71年」は、Jerusalem第二神殿陥落の翌年に合致する。その著【太神宮諸雑事記第一】とは、「伊勢神宮の創建~平安末期」迄の主要事項を編年体で記し、それは皇大神宮の禰宜の荒木田一族の手で書き継がれた文書ある~

 

◆カミ代文字で書かれた『ホツマツタヱ』(秀真伝)を偽書と言うのは「本末転倒」である!!

因みに、日本最古の歴史書とされる現存『日本書紀』とは、養老四年(AD720年)に元正女性天皇に奏上された【日本ギ】(ギ→紀/現在は逸書となっている)の下書き文書が、早速、その翌年に行われた【日本紀】の講筵(講義)にテクスト的に使用(例会は康保2年=965年頃迄ほぼ30年に1回宮中で行われていた)された、その下書き文書を、明治時代に経済雑誌社が編輯し刊行した本。つまり『日本書紀』(ヤマトフミ)とは、【日本紀】(逸書・日本紀)の下書き写本伝承本だった。

つまり、講筵の例会で使用されていた【日本紀】の下書き文書の写本伝承文書(佐々木旧蔵本・田中本・岩崎本)等、多々ある文書が、明治30年(1897年)~明治34年(1901年)に『日本書紀』(ヤマトフミ/黒板勝美・校訂)と題し、尚、他の本を合せた17冊を国史大系として経済雑誌社が刊行した本である。

その昔、隠されていた土笥(ハニハコ/カミ代文字文書に因るカミ代の時代~景行天皇迄の春日氏文書【ミカサフミ】を保存していた埴土の箱)。その50笥(箱)を小野妹子が平岡宮(枚岡ではない/神津嶽本宮=平岡表記は『先代旧事本紀大成経・72巻』本に記載/現在地は東大阪市出雲井町7番16号)から。又、秦の河勝も四国の泡(アワ)輪(ノ)宮から三輪氏文書【ホツマツタヱ】をそれぞれ「聖徳太子」(厩戸皇子)が探し出し、両名に命じてカミ代の文字で書かれた文書を持ち帰えらせた。此れを以てカミ代と先史(神武天皇~景行天皇迄/AD1世紀~AD4世紀末頃迄)の事が明るみになる。そして尚、隠されていた【6家】(吾道=アチ・物部・忌部・卜部・出雲・三輪)文書、及び中臣御食子の文書。又、推古女性天皇歴年文書等を合せ、漢字編輯に因る『先代旧事本紀大成経』(72巻本)を聖徳太子が完成させました。後年、その「72巻本」の中の「天皇紀」(帝紀)や「宮廷内物語」(旧辞?)等の文章を底本として取り込み書かれたのが明治時代に書かれた『日本書紀』の元本であった【日本紀】(ニホンギ文書は現在逸書だが扶桑略記・名文抄にはカミ代の年代部分が取り込まれ保存済み)である。

… 

★【日本紀】(養老四年=AD720年に元正天皇に奏上)が完成し、元正女性天皇(第44代/元明女性天皇​の譲位に因る)に奏上された翌年(AD721年)、早速、宮中で「講筵」(こうえん/講義)が行われた時、【日本紀】の下書き文書がテクスト的に用いられ、その後もその【講筵】(例会)は康保2年=965年頃迄ほぼ30年に1回行われていた。早い話が、現存『日本書紀』(黒板勝美・校訂)とは、逸書【日本紀】の下書き文書の編輯本である。従って、現存『日本書紀』に在るはずの系図が抜けているのである。然し、その文書の一部分は「名文抄」(続群書類従書/雑部・巻第886)として、少なくともカミ代の系図に関する暦年(鈴木暦/スズキコヨミ)が、鸕鷀草葺不合尊迄で「179萬2476歳」(『神道五部書・倭姫命世記』とほぼ同じ)として保存されています。 

【古事記】(フルゴトフミ/口述の文書化)は、歴史書でないので、此処では言及致しません~

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