ここまでについて | エホバの証人(JW)について考えるブログ

エホバの証人(JW)について考えるブログ

弁護士。元JW2世。1980年代後半13歳バプテスマ・90年代前半高校生で正規開拓者,18歳奉仕の僕・その後外国語会衆・一時的べテル奉仕・2000年代前半大学進学・自然消滅・JWと決別、その後弁護士という人生です。過去の経験を書き綴り皆さんとJWについて考えていきたいです。

私がブログを始めたときに「書きたい」と思っていた内容はここまでです。

 

大学2年目を過ぎるころには、私はエホバの証人とは完全に決別するようになり、生活においても自分の考え方においても、エホバの証人とは全く関係のない生活をするようになりました。

 

その後、大学院に行き、大学院修了後にすぐに司法修習に行き、そのまま弁護士になり今に至りますが、この間に失った人間関係を立て直し、家族や親戚との関係を立てなおしましたし、自分自身の生き方・人生そのものを取り戻そうと必死に生きてきました。

 

いつしか、自分が開拓奉仕をしていた期間よりも、この世での弁護士としての期間のほうがずっと長くなり、自分にとってエホバの証人との関係は全くと言って良いほどなくなってゆき、自分の思いの中からもいつの頃からかエホバの証人のことが消えてゆくようになりました。

 

しかしある時、まだ比較的若かった親しい友人が突然続けて亡くなったことがあり、その人たちのお葬式に出た際に、「人間は死んでしまったら本当に終わりだし、もしこのまま自分が死んだとしたら、自分がエホバの証人について知っていること、エホバの証人組織の中で見聞きしたことやその時感じた思いは、誰にも知られずに消えてゆくのか」と考えるようになりました。

 

そのような折、すでに書いた通り、K君が巡回監督になったという話を聞き、さらにいろいろ考えるようになりました。

 

また、現役のエホバの証人であるごく親しい親族が大量出血し、「輸血を受けて生きるか、輸血拒否をして死ぬか」の完全なる2択を医師から求められるという、まさか自分にそうしたことが起こるとは予想もしなかった事態に直面もしました。

その親族と、救急車の中で二人だけで向かい合って長時間救急搬送されている間も、いろんなことを考えました。

 

レイモンド・フランズは、『良心の危機』の一番最初を、「人の命ははかないもので、死んでしまえば知っていることも消えてしまう。しかし生きているうちに伝えることもできる」という言葉で書き始めていました。

 

私は、この言葉は本当に真実だと思いましたし、レイモンド・フランズの書き残した内容に比べてしまえば、あまりにちっぽけであまりに取るに足りない内容ですが、それでもなお、自分が実際に見聞きしたこと・自分が実際に経験したことを、どこかに書き残しておくべきではないか、そのようにして書き残しておけば、どこかの誰かに何かの役に立つのではないかと思い、このブログを作成しました。

 

当初書きたいと思っていた内容は、大枠だけではありますがなにがしかの形で書き終えることができたので、このままこのブログは終わりにして、何か方法でどこかに放置・保存しておこうかと考えていました。

 

ただ、すでに以前書いた通り、何人かの方に、「神はいると思うかどうか」についてお尋ねをいただきました。

私は現在のところ、「神はいない」と考えており、よほどのことがない限りこの考えは一生変わらないと思っています。

そして、そのような考えるに至ったのには、これもまたそれなりの、あまり人が経験しないであろう経験が強い根拠となっていますので、その点について、次回以降、書いてみたいと思います。

 

また、「剣道拒否事件判決」について弁護士としてどう思うかというお尋ねもいただきましたので、ペースが落ちるかもしれませんが、この点についても書いてみたいと思っています。

 

これらの点を書き終えれば、書きたいと思っているテーマは本当に終わってしまいますので、特に何かを書く理由がなければ、ブログは更新しなくなると思います。

もし何か、これらの点以外にも「こういう内容を書いてはどうか」というご意見をいただければ、なるべくいただいたご意見にそって内容を更新していこうと考えておりますので、そうした意見をお伝えいただければとても嬉しく思います。