33 エホバの証人教理についてのすべてのまとめ | エホバの証人(JW)について考えるブログ

エホバの証人(JW)について考えるブログ

弁護士。元JW2世。1980年代後半13歳バプテスマ・90年代前半高校生で正規開拓者,18歳奉仕の僕・その後外国語会衆・一時的べテル奉仕・2000年代前半大学進学・自然消滅・JWと決別、その後弁護士という人生です。過去の経験を書き綴り皆さんとJWについて考えていきたいです。

これまで書いてきたとおり、私が「エホバの証人教理は虚偽である」との確信に至ったのは、

 

①自分が経験し、この目で見た「エホバの証人組織内部の偽善」

②大学教育を通じて知ることができた「エホバの証人の教えに多数入っている真っ赤なウソ」

③大学教育を通じて知ることができた「エホバの証人組織の、団体としての極端な不健全さ」

④エホバの証人教理を作っていた側である最高幹部(統治体の元執筆委員)が公表した「エホバの証人教理の根幹にある虚偽」

 

これらの要素が理由でした。

そして、この「エホバの証人教理は虚偽である」という確信が揺らぐことは、今後あり得ないと思います。

 

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そのうえで、現在の自分の視点からの「エホバの証人組織」についてのまとめ、私個人のエホバの証人組織の時系列の流れについての理解は以下のようなものです。

(※事実関係の記載に間違いがあったらご指摘いただければ嬉しいです。あと、この「表」面白いので、今後、充実させていこうかと思っています。)

 

■15世紀:

羅針盤・活版印刷術の発明で「情報革命」が起こると、「聖書そのものに戻ろう」という社会活動が起き、カトリックだけだったキリスト教にプロテスタントが生まれる。

 

■19世紀後半:

産業革命で「さらなる情報革命」が起きると、「聖書そのものに戻ろう」という社会活動の第2派が社会に起こり、この時期にプロテスタントから抜け出し、「聖書を自分で研究し、神との関係を第一にする。そして自分たちだけが救われる。」と教えるキリスト教新宗教がさらにたくさん生まれ始める。

 

■1870年頃

・チャールズ・テイズ・ラッセルは、まさにこの、「当時はやっていた社会的流行の真っただ中」でその流行に乗り、自分も、ほかの非常に多くの類似した宗教指導者と同じように「エホバの証人教理の原型」になる教えに目ざめ、ほかのいくつもの新宗教に共通してみられる教えについて考え始め、「独自の聖書研究」を始める。

・ラッセルは、特にアドベンティスト派に強く惹かれながら聖書研究をスタートさせる。

なお、「キリストの再臨の年が現代に起きる」と設定してそれをふれ告げていたのがアドベンティスト派だった。

※結局のところ、「キリストの臨在が現代に起きる」と最初に教えだしたのは、ラッセルではなく、当時流行していたアイデアだった。

 

■1876年

・ラッセルはアドベンティスト派のネルソン・バーバーと一緒に「キリストは『1874年』に『見えない形』で再臨した」と教えだす。

(19世紀当時の不完全な資料に基づき、年代計算を繰り返して「アダムが神によって創造されてから6000年目が1873年」という根拠だった)

※つまりラッセルは、そもそも最初は1874年がキリストの臨在と教えていた。→のちにエホバの証人組織が撤回

・このネルソン・バーバーが「異邦人の時の終わりは1914年」と設定した。

※最初に「1914年が特別な年」だと言い出したのはラッセルではない。アドベンティスト派のバーバーが言い出したもの。

 

■1879年

・ラッセルはアドベンティスト派と別れて「ものみの塔」を発行しだす。

・ラッセルは、「1881年にこの世が終わり、自分を含む144,000人が霊者として神に取り上げられる」と予言する。

※ラッセルは、今度は「この世の終わりは1881年」、しかも、「その年に自分が霊者になる」と予言していた→予言外れる(1回目)

 

■1881年~1904年頃

・予言が外れたのに、ラッセルはその後も1904年までとても多くの本を書く。そして、ほかのキリスト教からどんどん隔絶してゆく。

・ラッセルはその勢いで、1884年に「ペンシルバニアものみの塔聖書冊子協会」を法人として作る。

・ラッセルは「自分は神の代弁者だ」とか、「聖書を読んでいるだけではだめで、自分が書いた『聖書研究』を読まなければならない」と教えるようになる(ものみの塔1910年9月15日号)。

・また、ラッセルは、自分が「忠実で思慮深い奴隷」であるという考えを否定しなかった。

・ラッセルとその組織は、今度は「1914年にハルマゲドンが来る」「ラッセル達は天に行きキリストの千年統治が開始する」と教える。

※ラッセルとその組織は、「1914年に終わりの日が始まる」ではなく、「その年にハルマゲドンが来て自分たちは霊者になって天に行く」と予言していた。→予言外れる(2回目)

JWは現在、この点についても事実と全く違う印象になる教えをしていて、注意深く聖書を研究していたラッセルとその仲間が「1914年に終わりの日が始まる」と気づき、そうふれ告げていたかのような印象を与えている。

 

■1914年

・ハルマゲドンは来ず、ラッセルとその仲間が霊者になることもなかった。

・それでも第1次世界大戦が勃発すると、ラッセルは意気揚々と「1914年に異邦人の時は終わり今はハルマゲドンの中にいる」、「第1次世界大戦は1918年のハルマゲドンの戦いで終わり、自分たちは天に連れ去られる」と教え始めた。

※ラッセルは、さらに今度は、1918年にハルマゲドンが来て自分たちは霊者になると言い出していた→予言外れる(3回目)

※この予言は外れたばかりか、この予言をしている最中の1916年10月31日にラッセルは汽車の中で普通に病死してしまう。

※第1次世界大戦もハルマゲドンなどには突入せずに、平和的に終了する。

 

■1920年

・2代目会長J・F・ラザフォードが、有名な「現存する万民は死することなし」という本を出版

・ラザフォードとエホバの証人組織は、

「1925年に人類が完全さを取り戻し1000年統治が始まる」

「アブラハム、イサク、ヤコブなどの古代の僕が復活して「現存する万民」と新しい体制で永遠に生きる」と教える。

・実際に、これら間もなく復活してくる人たちのために、ベト・サリムと命名した豪邸をカリフォルニア州サンディエゴに購入。

・兄弟姉妹たちには「進学・結婚・出産・ビジネスはみな遅らせて、1925年の新しい秩序でそれをするように」と強く教える。

※今度はエホバの証人組織は、1925年に「この世の終わり」と「復活」が始まると教えた。→予言外れる(4回目)

 

■1922年

・エホバの証人であれば誰でも、1922年のシーダーポイントの大会でJ・F・ラザフォードが「宣伝し、宣伝し、宣伝しなさい!」と講演したことを知っている。しかし、実際のこの講演は、以下のような文脈でなされた。

 

「聖書の預言は、主が1874年に再び現れることを示しています。」

「成就された預言は、実際に主が1874年に現れたことを疑う余地なく示しています。」

「主は1874年以来臨在しておられるのですから、我々が今目の前にしている事実から考えれば、1874年から1914年までが準備の日であることになります。」

「これは、「終わりの時」が1799年から1914年までだという考えに矛盾するものでは決してありません。」

「1799年から1874年までの期間は準備の日とは言い得ず、これは増しつつある光の日というものです。これを信じますか。栄光の王が臨在しているということ、1874年からずっとそうだということを信じますか?」

では,至高の神の子の皆さん,野外に戻りなさい。…世界は,エホバが神であり,イエス・キリストが王の王,主の主であることを知らねばなりません。今はあらゆる時代のうちで最も重大な時代です。ご覧なさい,王は統治しておられます! あなた方は王のことを広く伝える代理者です。それゆえに,王とその王国を宣伝し,宣伝し,宣伝しなさい!」

※エホバの証人組織は1914年をだいぶ過ぎてなお「1874年からキリストが再臨していることを、宣伝し宣伝し宣伝する」ように教えていた

※エホバの証人組織は、「終わりの時が1799年から始まった」、「1874年がキリストの再臨だ」と教えていた

 

■1931年

・「エホバの証人」に改名

・この頃に、「油注がれた残りの者-天的クラス」と「大群衆-地的クラス」の2階級が考え出される。

 

■1935年

・5月のワシントンDCの大会で、エホバの証人は「油注がれたもの」と「大群衆」の2階級に分かれると教える。

・「1935年で油注がれたものを集める業は基本的に終了した」・「この年以降に油注がれるものは、不忠実になって離れた者の補充である」と永年にわたって教える→後にエホバの証人組織自ら撤回

 

■1941年

・セントルイスの大会で、ラザフォードは5歳から18歳の子供たちを最前席に座らせて、「もうすぐに来るアブラハム、イサク、ヤコブたちの復活の日まで結婚を延ばすように」と教える。

・1941年9月15日のものみの塔誌の記事には「ハルマゲドンまであと数ヶ月」と書かれる。

 

■1942年

・同年1月8日、「復活してきた義人たちのために」といって作らせたベト・サレムはラザフォードの別荘として使われていて、ラザフォードはそこで癌で死ぬ。

※エホバの証人組織は、今度は、1941年に「この世の終わり」と「復活」があると教えた。→予言外れる(5回目)

・この年にネイサン・H・ノアが3代目会長になる。

・ノアは「教理」は苦手だったが、組織編成が得意で、第二次大戦後の爆発的な拡大に貢献する。

(巡回大会・地域大会の確立、ギレアデ聖書学校の創設、排斥処分の確立など)

・教理面を担ったのは、1949年に副会長になったフレデリック・フランズ。あとは意外なことに、大群衆の人たちがいろんな本を書いていた。

 

■1966年

・フレデリック・フランズが『神の自由の子となってうける永遠の生命』を書く。

・その中で、「1975年に人類創造から6000年が終わり千年統治が始まる」という教理の発表

・以後、9年間にわたり1975年の終わりに備えるように信者を扇動。

(例:目ざめよ!1969年8月8日号 15頁

「若い人々はまた、現在のこの事物の体制の下で年配に達することは決してないという事実を直視しなければなりません。どうしてそう言えますか。なぜなら聖書予言の成就という証拠はすべて、この腐敗した体制があと数年のうちに終わることを示しているからです。」)

(例:塔68 8/15 502頁)

「終わりの時」に関する聖書預言の最後の部分は、ここ何年かの間に成就を見、生き残った人類はキリストの栄光ある千年統治の下で解放されるでしょう。)

(例:王国宣教1974年5月号

家や資産を売って、開拓奉仕をしてこの古い体制における自分たちの残りの日々を過ごそうとする兄弟たちのことをよく耳にしますが、確かにそれは、邪悪な世が終わる前に残された短い時間を過ごす優れた方法です。 )

 

■1975年

・終わりは来ず。

・これを受けて、「人類創造は、エバが作られた年を起点にすべきでアダムの創造とエバの創造には少しのタイムラグがある」という教えを押し出し混乱する。

・結局、「1914年の出来事を見た世代が死に絶える前に終わりが来る」という、もともと少し前からあった予言を強調し始める。

・この頃から「高等教育の否定」の傾向が非常に強くなる。

・また、この年に、ネイサン・H・ノアが統治体会議で「1914年、これはよくわからない。我々も1914年の話はずっとしてきている。正しいかもしれないし、そうであってほしいとも思う」という名言を残す。

※エホバの証人組織は、今度は、1975年にハルマゲドンが来ると教えた。→予言外れる(6回目)

 

■1977年

・6月7日にネイサン・H・ノアが脳腫瘍で死亡。

・この年、スウェーデンの熱心な長老カール・オロフ・ジョンソンが「西暦前607年に根拠がなく1914年の教理が間違いである」と論文で指摘。

・統治体の成員レイモンド・フランズは、自分の長年にわたる研究(しかもエホバの証人組織に支持された研究)の結論もこれと同様であったため、この点について検討すべきと打診するが、統治体はこれを無視する

 

■1979年

・それでも、1914年についての教義は根拠がないもので、修正をしないといけないという意識は統治体にあったものと思われる。

実際、この年の11月14日の統治体会議でカール・クラインが、かの有名な、「時々使うこんな手がある。ある教義についてしばらくの間黙っておいて、それから変更を加えるとあまり目立たない。」という発言をする。

 

■1981年

・12月31日、教理の根幹の間違い(西暦前607年の間違いなど)を指摘し続けていたレイモンド・フランズが排斥になる。

・時期を前後してレイモンド・フランズと親しいギレアデの教訓者・元地域監督・元巡回監督・現役ベテル長老たちも大量排斥になる。

・この頃から、排斥者・断絶者・背教者への忌避が非常に強くなる。

 

■1984年

・なぜか、統治体の成員のレオ・グリーンリースが、理由を示さずに統治体を辞任し、辞任の事実も公表されない。

(1979年には別の統治体の成員、エワート・チティーも同じく理由を示さずに統治体を辞任し、辞任の事実も公表されていない。)

・その後、1986年1月1日号のものみの塔「ノアの日のような日」という記事に、「 衝撃的なことですが,エホバの組織内で目立った立場にいたある人々でさえ,同性愛,夫婦交換,子供に対するわいせつ行為などを含む不道徳な習慣に屈してしまいました。」という文章が掲載される。

 

■1986年

・大量の出版物を発行して、組織が拡大に拡大を続けていた時期。

・この年の6月16日付で、マサチューセッツ工科大の教授が、エホバの証人組織が「自分の書いた書面につき彼らの欲しい部分だけを引用して、自分の文章の趣旨を無視したことが明らかである」という趣旨を書面で表明。

・この頃には、「忠実で思慮深い奴隷」とは、「油注がれたクリスチャン全体」であり、「統治体はその代表格である」という教えが確立しており、この教えは非常に長い期間維持された後にエホバの証人組織自ら撤回

 

■1995年

・11月1日号のものみの塔で、「この世代とはキリストの臨在のしるしを見ながらも自分たちの道を改めない地のもろもろの民のことである」と見解を変更。

※「1914年の出来事を認識した世代が死に絶える前に終わりが来る」という教理を放棄。→予言外れる(7回目)

・それまでのエホバの証人組織の見解の流れ・内部事情を考えると、時の流れとともに予言が外れるのが不可避になってきたために、予言を撤回せざるを得なくなったことは明らかとしか考えられない。

 

■1998年

・インターネットの普及(及びこれに伴うエホバの証人情報へのアクセス向上)と呼応するかのように、日本のエホバの証人は減少に転ずる。

 

■2001年

・2001年10月8日、イギリスのガーディアン紙が「エホバの証人組織が国連と提携していた」事実を報道。

・2001年10月9日、エホバの証人側からの要請があったため、国連はエホバの証人との提携を解消。

・この後、2004年3月4日に国際連合NGO課が、「エホバの証人が国連との提携を1991年に申し込み、1992年に認められたこと」、「この提携を受け入れることによりエホバの証人組織は『国連との提携基準』を満たすことに同意したこと」、「この国連との提携基準には、『国連憲章の理念を共有している』・『国連の活動に関する効果的な広報プログラムを運営する決意と手段を持っている』などの基準が含まれる」という内容を回答。

 

■2006年頃

・表彰物にあずかる人(油注がれた残りの者)の数が増加に転じはじめる。

(一番少なかった2005年は8,524人であったのが、2006年から増加し始め、2019年時点で20,526人まで増加。この間、14年間経過しているのに241%の増加。)

 

■2007年

・ものみの塔2007年5月1日号で、「1935年に油注がれた者を集める業は基本的に終了した」という教えを撤回。

「天への希望を抱くようクリスチャンを召すことがいつ終わるかに関して,明確な時を述べることはできないように思われます。」と記載。

 

■2008年

・ものみの塔2008年2月15日号で、「イエスは,『これらのすべての事が起こるまで,この世代は決して過ぎ去りません』と述べた時,弟子たちのことを言っていたに違いありません。」と見解変更

※「この世代」についての教理を再度変更

 

■2009年

・10月3日、年次総会で統治体のジョン・バーが、「これらのすべての事が起こるまで,この世代は決して過ぎ去りません。それは,しるしが1914年に明らかになり始める時に生きている油そそがれた者たちの生涯と,大患難の始まりを見る油そそがれた者たちの生涯とが重なる,という意味であったようです」と見解を変更。

※「この世代」についての説明を再再度変更。

 

2010年

・統治体の成員ジョン・バーとセオドア・ジャラズが死去。

これにより、「旧体制統治体」(1977年以前に任命された統治体で、ふれ告げるの本にリストと顔写真がのっているメンバー)全員が死去。

・旧体制統治体後は、非常に若く、JW経験が浅い人物が突然統治体に任命されるようになっている。

  マーク・サンダーソン:任命当時40代・開拓奉仕開始は1983年

  ジェフリー・ジャクソン:任命当時49か50歳・開拓奉仕開始は1971年

  ケニス・クック:任命当時50代半ばか・開拓奉仕開始は1982年

・統治体の成員よりも「大群衆」の兄弟のほうがよほど高齢でJW経験もはるかに長いというケースが普通になる。

(実際、私の母親よりも開拓者歴が短い統治体メンバーがすでに複数いる。)

・集会や大会の祈りで「高齢の統治体の兄弟を支えてください」というフレーズが聞かれないようになってゆく。

実際、祈っている大群衆の兄弟のほうが、統治体よりずっと高齢でずっと経験が長いというケースが普通のことになる。

 

■.2012年

・この年の6月13日にアメリカでエホバの証人組織に対し、「児童性的虐待」の損害賠償判決(キャンディス・コンティ事件)

(カリフォルニア一審裁判所で、エホバの証人組織が、当時9歳の少女に信者が性的虐待を加えているという事実を知りながら警察へ通報を妨げる結果を引き起こし、児童虐待につき組織的な隠蔽を引き起こしたとの判決がでる。損害賠償金:約21憶円の40%。)

※その後も各国で、児童虐待隠蔽の裁判・報道が相次ぐ

・10月6日、年次総会で統治体のデービッド・スプレーンが、「忠実で思慮深い奴隷とは統治体の8人のみをさす」として、忠実で思慮深い奴隷についての永年の見解を変更

 

■2014年

・ものみの塔2014年1月15日号で、「わたしたちの理解によれば,イエスが言及した「この世代」には,油そそがれたクリスチャンの2つのグループが含まれています。第一のグループは1914年に生存していた人たちで,その年におけるキリストの臨在のしるしをすぐに識別しました。このグループを構成している人たちは,1914年に生きていたというだけでなく,その年に,あるいはそれより前に神の子として霊によって油そそがれていました。 この世代」に含まれる第二のグループを構成する人たちは皆,第一のグループに属する人たちの一部がまだ地上にいる間に生きていて,その期間中に聖霊によって油そそがれた人たちです。」と書き、「この世代」についての見解をさらに詳しく説明。

 

■2015年

・5月号ものみの塔で、 「マゴグのゴグ」は悪魔サタンではなく「諸国家の連合」であるとして、永年の見解を変更

・統治体のデービッド・スプレーンが、妙な表とフレデリック・フランズの例を使って、「イエスが言及した「この世代」には,油そそがれたクリスチャンの2つのグループが含まれている。第一のグループは1914年に生存していた人たち、第二のグループは,第一のグループに属する人たちの一部がまだ地上にいる間に生きていてその期間中に聖霊によって油そそがれた人たち。」という見解をブロードキャスティングで説明する。

 

※以下のサイトを参考にしました。

http://www.jwic.info/

https://www.jwstudy.com/

http://buta.exjw2.org/tactics/tactics2.htm

https://www.stopover.org/lib/translation/NGO/index.html

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この流れだけを見ても、正常な判断能力を持つ人で、新しく「エホバの証人」に関心を持った人がいた場合、「エホバの証人は神に導かれて、現代の時の意味を真に理解した唯一真の宗教だ」と結論付けるまともな人が、はたしているのでしょうか。

 

・エホバの証人組織は、①1881年→②1914年→③1918年→④1925年→⑤1941年→⑥1975年→⑦そして「1914年の出来事を認識した世代が死に絶える前」にハルマゲドンが来ると予言し、そのすべてを外してきました。

しかもその都度、「自分の生活を全て犠牲にしてエホバの証人活動に没頭するよう」信者を強く扇動してきました。

 

・エホバの証人組織は、キリストの臨在についても、「1874年」であると長年にわたり教え、1922年の時点でもこの点を非常に強く強調していました。1914年がキリストの臨在である」との教えに落ち着いたのは、1922年が過ぎて相当の期間が経過した後だったようです

 

・さらにエホバの証人は、忠実で思慮深い奴隷・油注がれたものについての教理も、幾度も変えてきました。

 

これらのエホバの証人教理の信じられないほどの変遷は、すべて、

「自分たちが生きているある特定の時(間近に迫った特定の時)にハルマゲドンが来る」と言って信者を煽るだけ煽り、信者を増やすだけ増やそうとしたこと、

・そして、時が経過するにつれてその教えが間違いであることが明確になった場合、或いは、もはやその教えを維持できないと予想される時点にまで至った場合に、「もう数十年先延ばしにして、引き続き信者の引き留めと拡大を図る」という行為を繰り返してきたこと、

これらの事実を明白にするのではないでしょうか。

 

私個人としては、こうした状況を考えるとき、

①教理の正しさ、一貫性という意味においても、

②組織とその個々の信者が示す人間性・誠実さという意味においても、

この宗教が「神に選ばれた唯一の真の宗教」だとは微塵も思えません。

 

むしろ、この組織は、長い歴史の中で現れては消えていった、「人をコントロールして、宗教指導者の自尊心を満足させるためだけの宗教」であり、その存在は、聖書自体が言うところの「人が人を支配して害を及ぼす」典型であるとしか判断できませんが、

多くの人はどのような判断を下しているのでしょうか。

また、多くの人はそのような判断を下すうえでの正確な情報すべてにアクセスできているのでしょうか。

 

以上が、現時点における、エホバの証人についての私個人の認識・考えです。