ARIGATO*2 | こんな、まいにち。

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まいにちの生活

ARIGATO*1からお読みください。


こちらも引用です。

では、どうぞ。


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タイトル:Operation Arigato!!外伝


マイミクさんから教えていただいたのですが、なんと空軍のパイロットさんが仙台空港前の砂浜にオイラが書いた「ARIGATO」に気づき、それを空軍公式発表のニュースにまでしてくれていました!!!!


4月3日、仙台空港の27番滑走路から800メートルほど離れた砂浜で、松の大木を並べて描かれたARIGATO(ありがとう)のメッセージが見られた。同空港は3月11日の地震と津波により壊滅的被害を受けたが、嘉手納基地から派遣された第353特殊作戦群の支援を受け、3月16日に運用が再開され、人道支援活動の拠点となった。(写真 ロバート・トス米空軍大佐)

"ありがとう"などもったいない。米軍にとって仙台空港の運用再開を支援出来たことは光栄です。


これを知った時は、もう本当に涙ボロボロ、鼻水ダラダラ状態(笑)
「Operation Arigato!!」本文では「そこらじゅうに落ちてる木片を使って、空から見えるようにでっかく「ARIGATO」と書いときました(笑)」とさらりと書きましたが、実はこの「ARIGATO」を書くまで4~5時間くらいかかっているのです。
この時の想いや苦労は、自分の胸だけにしまっておくつもりでした。本当に、詳しく書くつもりはまったくなかったのです。
ですが、その時のことをちゃんと記さなければ、このニュースがオイラにとってどれだけ嬉しいものであるか、ちゃんとわかってもらえないだろうな~と考え直し、発表することにした次第です。よろしければ読んでみてください。

記事では松の木と書いてますが、違うんです。

確かに松の木も一部に使いはしたけど、ほとんどが柱や梁など、家の資材だったものなんです。あと、船の部品とかですね。
まず最初に、2メートルぐらいの手頃な大きさの角材を見つけて、ナスカの地上絵よろしく、線で「ARIGATO」と書きました。幅も深さも10センチくらいです。ここまでかかった時間は1時間くらい。
最初はそれだけでもいいかなと思ったんだけど、周りにべたべた付けた自分の足跡のせいでイマイチ目立ってないし、最初に書いた「A」は早くも風で消え始めてて「これじゃあすぐに消えてしまうじゃないか…」と思い、そこら辺に散らばっている木片を使って、少しでも目立たせることにしたのでした。
空から撮影した写真の下の方に見えている、打ち上げられたものがたくさん溜まっている場所から、使えそうな資材を見つけて、一つづつ運びました。
水を含んだ角材や板切れって想像以上に重かったので、ぶっちゃけた話、結構辛かったです(笑)
おまけに手袋を持ってなくて、素手で持ち続けたもんだから、いつの間にかささくれや釘が刺さって、手が血まみれになってました。
血がボタボタ音を立てて落ちてくし、傷口に砂が入りこんでジョリジョリするし、けど水道なんてどこにもないから流せないし、おまけに嫌でも砂が靴の中に入って、足の裏が文字通りサンドペーパーをかけられたみたいになるし…。
痛くて痛くてたまらなかった。「G」まで書いたあたりで、もうやめようと何度も思いました。
単純に資材がクソ重いからでも、切れた手が痛いからでも、死ぬほど喉が渇いてたからでもなく…。
手にしたカケラの一個一個が、誰かの家で、誰かの幸せで、誰かの思い出がいっぱい詰まっているものだったから。オイラのよく知っている、あの美しい景色を形づくっていたものだったから。
そりゃあ、震災前にもこの砂浜には流木やゴミは打ち上げられていました。
だけど、家の資材や、車の部品や、船の残骸、ましてや非常持ち出し袋やハンドバックや、家族の写真や、何かのトロフィーがそこら中に散らばってるなんてありえなかった。
正直言って、体力的にもきつかったけど、それ以上に気持ちが折れそうでした。
けど、ここで辞めてたまるかと思った。元自衛官舐めんなよ!!なにより、これでも美大生だったんだ!! この手のでっかい「ものづくり」はお手のもんじゃないか!!って、頑張って気持ちを奮い立たせた。最後の方は、


うわああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!
ちくしょおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!
負けてたまるかあああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!


って、ひたすら絶叫しながら、溜まり場から使えそうなものを選んで、下書きした場所に運んで並べて…って作業を続けてました。
誰もいないから叫び放題だったし、誰も見てないから泣き放題だったしね(笑)
すんごくクサい書き方なのはわかってるんだけど、オイラにとってこれは、津波との戦いだったんです。
確かに今回の震災で、幸いにもオイラの家族も家も無事でした。だけどこの津波は、オイラにとって故郷と呼べる場所を何もかもぶち壊してくれたんだ。

その津波との一対一の戦い。
誰もいない。誰も見ていない。
称賛も声援もない。
途中で辞めて非難されることもない。

絶叫しながら一人作業を続けてて、ふとオイラは気がついたのです。

「これは男にとってはこれ以上にない、最高の戦いじゃねえか」って。

古くて熱血漢で単細胞なオイラは、そう気づいた途端に痛みもどっかにすっ飛ぶくらい、心から幸せな気分になっていました(笑)
いまは普通の一市民でしかないオイラには、自分の生活を立て直すのだけで精いっぱい。「るろうに剣心」じゃないけど、せいぜい目の前で困っている人のために、自分が出来ることをやることしか出来ない。みんなのために出来ることなんて何もない。
だけどせめて、復興の手助けをしてくれる人たちに感謝の気持ちを届けるくらいのことは、やり遂げてみせる!!!!
いまのオイラは助けてもらうばっかりで、何にも出来なくたって「ありがとう」と言うことは出来る!!!!
映画でいえばオイラはただのエキストラ。ヒーローでも何でもない。
だけど、ヒーローなんかになれなくたって、ヒーローの力になることは出来る!!!!
例え誰にも気づかれず、オイラ一人の自己満足で終ろうとも…この海に、この砂浜に、この惨劇の跡地に、堂々とオイラの「ありがとう」を刻んでやる!!!!無残な資材たちだって、きっとそれを望んでるはずだ!!!!


よっしゃああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!
やるぞおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!


お昼前ぐらいからはじめて、終わったのは3~4時くらい、夕方だったと思います。とにかく、太陽の光がオレンジがかっていたのは覚えてるので。
とりあえず、完成した時は疲れたのと腹が減ってヘトヘトだったんで、その場に大の字になってぶっ倒れてました(笑)
「燃え尽きたジョー」の気持ちってこんなだろうな~って思うくらい、ここ最近で一番の充実感でいっぱいでした(笑)

クサくて暑苦しいことを散々書きましたが、これが、この「ARIGATO」と書いた時の正直な想いです。だからこそ…このニュースを知った時は涙が止まりませんでした。
オイラが1日に書いた「ARIGATO」はばっちり3日まで残り、パイロットさんに気づいてもらえたんだ!!!!

「ありがとう」とは国や言葉の壁を越えるだけじゃなく、空の上にだって届く!!!!

こんなに嬉しいことはありません!!!!
本当、あの日以来、毎日感動しっぱなしです♪
「ありがとう」と伝えに行った筈なのに、オイラが一番感謝の気持ちでいっぱいになってますよ、まったくもう(笑)
「ありがとうには及びません」ってカッコよ過ぎだこんにゃろう!!!!


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本当に素敵なお話ですよね!