コロナでポッカリ空いた時間、皆さんいかがお過ごしでしょうか。人によって違い、状況も様々なので、そんな暇ないって方は読む必要のないブログを書きます。


ポッカリ空いた時間を使って、今までの人生を振り返ってみました。
僕の人生に微塵も興味ない人はマジでどうでも良いと思いますので、別の事に時間を使って下さいね。



私の20代は、2択の連続でした。

dead or alive。
正義か悪か。
良いか悪いか。
〇〇すべき、〇〇するのは間違い。


みたいな判断基準の中で生きてきました。色んなものを捨て、色んなものを置いてきました。

だから今、結構身軽です。
これはそうしたかった訳でなく、気付いたらそうなってました。良さもあるし、若干の寂しさもあります。



しかし、、


30代を迎える頃にあたって、変化が現れました。〇〇すべき、〇〇するのは間違い、、に何か違和感を感じるよになり、

〇〇したい、いや〇〇した方がワクワクする。
とゆう感情が台頭してきました。

なんでこの感情と向き合ってなかったのかなー。


僕は、今考える〇〇すべき論の弊害は大きく2つと考えてます。

1、自分と他人に刃を向ける可能性がある
2、多様性のない狭い世界になる、気がする。


1、自分と他人に刃を向ける可能性がある

〇〇すべきばかり持ちすぎると、ぶつかります。だって〇〇すべきは、すごい攻撃的な感情で、自分だけでなく他人にも刃を向けるからです。

〇〇すべきと言う事で、知らない間に相手を否定していることになりかねません。

例えば、淡路で良くあるのが、
有機農業か慣行農業か、とか
観光産業か地元産業か、とか、、

ここで自分の意見を通そうと〇〇すべきと言い出すと、相手を遠回しに否定してしまいます。オーガニック栽培をすべきで、農薬は一切使うべきではない!
とかなると、こりゃもうケンカに近い話になってしまいます。



だから、、

2、多様性のない狭い世界になる、気がする

そんな気がするんです。二者択一の正義か悪かの世界だけじゃないはずなんです。

あーー!!でも、子どもの頃ウルトラマン見て正義の味方に憧れてたなー。その頃から〇〇すべき論に染まってたのか?!w 

なんて気もしてきます笑
小学校の道徳もそうなのか?!って気もするけど、確かな事は分かりません。

確かに絶対悪はあると思うけど、その悪にも背景がある。なぜ悪が生まれたのかも理由がある。

確実に言える事は、有機農業も慣行農業もどちらも悪ではないよね。

戒めにいつも、
正義の反対は悪じゃなくて、もう一つの正義
って言葉を思い出すようにしてます。


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話は変わりますが、
やっぱり子どもはすごいよね。
きっと最初はみんな、〇〇すべき何て考えてなかったはずなんだろうなって子どもの姿を見て思います。


ほーれ、水たまりダイブ。
4月の写真だぜ?!肌寒いぜ?!
長靴なんて意味ないぜ?!?!

濡れたら後で大変だな、着替え無いし、今日はやめるべき、みたいな感情は元々ないんだろうね。

だから帰り道はスッポンポンよね👶

かっこいいよなぁ。

楽しそうだから入っただけのシンプルな行動。

かっこいいよなぁ。そう在りたいなぁ。

その方が楽しいだろうなぁ。

※そうすべきって話じゃないよ!※

〇〇すべきって言葉を少しずつ手放していきたいなって思う今日、コロナ禍です。


つまり、、
余計なこと考えず、スッポンポンになりたい。
と言うのが、ふざけたようで割と真面目な今の結論です。


海は今日も綺麗です。
目の前の大海原に向かって、自分の心に素直に自由に進んでいって欲しいと願うばかりです。
自分も含めてね。


おわり