2016年12月読書メモ | あざみの効用

あざみの効用

或いは共生新党残党が棲まう地

中村吉右衛門による鬼平終幕―。

法治主義ではなく人治主義の極地だが、誰が治めるかという観点で哲人政治ではないが結局鬼平の清濁併せ呑む、否積極的に罪人の心を奪う姿が粋で惹かれざるをえない。粋が通じない人間は斬あるのみ。

今年も社畜絶賛ロングラン上映中(クリボチどころか、会社ボチで16時間クレーム処理労働)ショックなうさぎにつき、読書が進むこと進むこと〆て323冊。むかしは竹林の賢人とか籠って読書しているだけで知識人として崇められるなんて敷居低かったんだなという荒んだ気持ちに―。

今年のベスト3は「道徳感情はなぜ人を誤らせるのか」「心という難問」カナヘイきらきら

 

 

そして今月から1冊。

これは大きく世界観が揺さぶられたため今年度のベスト3入り。有機、マクロビetcな意識高い系ライフスタイルに嫌悪感を抱いていたけれど素直に脱帽。Keyは進化理論を適用して世界を眺めるのは生物の極一部に当て嵌まる法則に過ぎないということ。生物種の大部分は古細菌や細菌(ウイルスは現段に於いては除外しても)であるだけでなく、恐らく生命の根源も彼らの水平伝播(遺伝物質の種を超えた交換)による多細胞生物化によるもの。つまり、動植物の「進化」以前に細菌類のシンビオジェネシスが主たるという考え方…これはこれまでに読んだ名著群「赤の女王」「自我の起原」などの点が線に繋がる感覚が得られた幸せな読書経験。

細菌類を中心に世界を理解すると、「遺伝子の乗り物」では決してなく「細胞の籠」に過ぎず土も内蔵も繋がるというのが書のタイトルの意味で腑に落ちる。直観だが心はどこにあるかという議論の無限後退の先には結局、脳が体内随所にある生物の存在、脳が反応する以前に身体が動く先行時間の存在…踏まえると脳は所詮は多細胞生物の議会・集合的無意識のようなもの、汎「心」論に行き着くのではないか。その意味で「人間大事なのは中身」というけれど、けだし名言で本当に大切なものは大腸にあるカナヘイ!?

 

世界は憑き物に満ちているという発想は世界を豊穣にする―。ただ怪バリエーションの豊富さからもやはり「飢餓」への恐怖は地方を問わずと分かる。個人的なお気に入りは「妖怪宅地」と「牛蒡種」。

仏教、儒教、道教ひっくるめて宗教ではなく思想・哲学それも相互の類縁関係から理解するという西洋思想史理解のテクニックをフル活用した一冊。…世界最後の日に頼るよすがは親鸞の思想という結論に同意する(大学時代に一時席を置いた哲学研究会の結論もそうだったことを懐かしく思い起こした)。