で,今年の第九 | 季節の横顔

季節の横顔

昭和10年に刊行された祖父の随筆集『季節の横顔』によって,昭和初期という時代に生きた人々の様子,また時代を超えて共通する想いなどについて語るブログとしてスタート。
・・・今では単なるつぶやきノートです。

去年はた~ぴんの受験やらなにやらで
一昨年は合唱隊のコンサートと重なるからとかで
2年連続で第九に参加しなかったのですが,
今年は地元出身の方が指揮者とうことで,
参加してみることにしたのであります。


合唱団をやめ,レッスンにもいかなくなってはや5年ほど。
そりゃ,声も出なくなりますわな。

た~ぴんと初めて一緒にでた2009年の記事を読んでみたら
そのときすでにひいひいいっていただから
無理もないです。

そんなわけで,歌えるところだけがんばるというスタイルで
参加してみました。
ま,アルトにまわればよかったのだけれど
一緒に参加したお友達がソプラノなので
隣でパクパクしていようかと・・・・(^▽^;)


で。

前の投稿にも書いたのだけれど,
達成感がなかったんですよね。
ただただ疲労感だけ。


確かに年はとりました。
朝からずーっと団員席に座りっぱなしはきつかった。
それに寒かったし。

でも原因はたぶんそれじゃないと思うのです。


きっとね,本番が始まる前に終わっちゃってたのだと思うのです。

第九は第二部で
第一部はそのマエストロが地元の子どもたちのオーケストラを指揮してのステージ。
ベト7にキャンディード組曲,そして「主よみもとに近づかん」の賛美歌。
とってもよかったのです。
間に,そのマエストロの熱い想いが語られて,
もうなんていうか,それだけで演奏会が完結しちゃったという感じ。
めいっぱい感動してしまったので,
肝心の自分の出番では非常に冷めてしまって・・・・。

こころのペース配分ができてなかったのね,きっと。

演奏も良かったし,いろいろ想いの込められたステージだったとは思うのです。

オケの配置も違ってたんじゃないかな。
詳しくは分からないけれどいつもと違ってました。
ティンパニが上手側。
弦バスは真ん中の最後列。
第二ヴァイオリンは指揮者をはさんで第一ヴァイオリンと向き合う。
そのせいなのか,聴こえ方が違ったような。
慣れた音でなかったので,出のタイミングがとりづらいように感じることもあったけれど,
マエストロがおっしゃるには
ベートーヴェンの初演にこだわったんだとかなんだとか・・・。
(よく聞こえなかったけど)

例えばソリストの登場も,
よくある3楽章のところで登場というのではなく
4楽章ががーーーっと始まって,
例のあのメロディ
「ふぁ♯ーそら らそふぁ♯み れーみふぁ♯ ふぁ♯ーみみー」が
低く弦バスで奏でられる辺りで,しずしずとバリトンが登場。
次の声部が重なるところで,テノールとアルトがしずしず・・。
ヴァイオリンが加わったところでソプラノがしずしず・・とステージにという
ちょっと感動的な登場だったのです。

ソプラノのソリストさんが美しい金髪をなびかせて
すーっと歩いてくるところはなんだかドラマのようでした。

別に金髪コンプレックスじゃないけど,
日本人がパツキンをなびかせてでてきてもきっとこうはいかない(爆)。

とにかく,非常にメッセージ性のある登場の仕方でした。

そう,メッセージ。

マエストロは今回の故郷での第九に
とても深い想いをこめ,メッセージをこめたかったのだろうと思うのです。
それと同様に,いやむしろそれ以上に,
若い世代へ伝えたい想いが強かったんだろうなぁ。

それで,前半部分はすっかりお客さん気分でいた私は
そのステージに感動して,おなかいっぱいになっちゃったんだと思うのです。

いいんだか どうなんだか・・・。

めっちゃ疲れた・・というのが正直な感想で,
その疲れが心地良い疲れでなかったのは
これは私の練習不足,出来の悪さゆえのことだからしょうがないけれど。

来年はどうなるかな。
また歌いたくなるかな,私。

昔の記事を読むと,本当に本当に感動でいっぱいだったのに。

もし惰性で感度が鈍くなってるんだったら
いかんな。


と,なんとも不完全燃焼な今年の第九だったわけです。