「うちの子は、もうやめなさいっていうまで勉強するんですよ〜。あんまり夜遅いと心配で〜。

 え!時間ですか、それが・・・夜はご飯食べた後は四時間くらいかしら?子供だけ起こしておくわけにはいかないから、私も付き添って起きてるけど、私の方が眠くなっちゃって」
・・・みたいな話、周りにいたりしませんか?
「(↑)こんなこと言われたんだけど、本当なんなの?マウント取らないで欲しいよね」みたいな話を最近聞いたところなんですが、実際に勉強をやめない子っているものみたいなんですよ。
 というのも、なにげに進学校な小学校にいた私なのですが、忘れもしない小五の面談の時でした、
「親になにか言われることある?」と担任に言われたので、無難な回答だと思って「勉強しろって言われます」と答えてみたら、
「え!君以外は、みんな勉強やめなさいって言われることに悩んでるみたいだよ?」と驚かれ、、からの、衝撃!
【何をそんなに毎日、何のために勉強してるんだろう?】純粋に不思議だったのですが、大人になってみると子供は子供なりに色々背負っていたな〜。とかしみじみします。
 
・・・でも、その話はまた別の話。
 
 大人になってその話を思い出したとき、考えるのは、勉強時間の長さについてだったりします。
 よく勉強をする。受験をする。そんな場面で見かけたり、そうでなくても家庭学習計画とかによく載っている、【家での勉強時間】という項目がありますが、あれって聞いてなにをしたいんだろうか?という不思議。
 というのも、
 20分という時間があったとして、たとえば漢字練習をする時に、1文字を丁寧に30秒くらいかけて書いてゆく子と、5秒くらいで書き殴る子がいたとしたら、どちらがよいかはおいておいたとして、その文字数の差は40文字と240文字という風に差がつくわけです。
 物理的な差が知識にイコールとして反映されるかはまた違う問題があるわけですが、個人に差があることには変わりない気がしてしまうわけで。
 まだ入塾シートくらいならわかるんです、何時間も勉強しているって書いてあるわりに出来ないなとか、やってないと書いてあるわりにできると思っていたけど、飲み込みが早いのか!とか、利益のある生徒の割り出しに参考になるというのもわかるから。
 でもその他の、不特定多数に発信される一般的な情報として【時間】を扱う場面はわりと多くある。何故教育現場は、単元に対する習得時間を聞かないで、時間で換算するのか?と考えると、格差社会のだよねーと思い、いわゆる【受験】はやっぱりビジネスなんだなと納得するわけです。
 どういうことかというと【御三家に受かった手記、息子の場合。→平日の勉強時間は四時間でした】とあると、四時間勉強すれば受験に受かると思ってしまう感覚にとらわれることが、一瞬でもあったりしない?っていう話だったりしまして。質量ではからず曖昧な尺度を取り入れることによって、勉強当たりが出来ない子供の親に対しても期待を持たせているんじゃないか?!とかも考えられるよねー。っていう話。
 我が子に対する夢や希望はだれにでもあって、より良くしたいと願うわけで。受験がビジネスとしての旨味があるのは、人間の欲求や夢に対する課金だけど、【子育て】という【大義名分】があるから、言い方次第でいくらでも搾取しやすいところだよねーー。とか思ったりします。
 じゃあ、勉強で大事なのって何だろうと思うときいわゆる一般的に高学歴な知り合いは、基本的な自分に対する厳しさだったり、やっぱり集中力が違う気がします。当たり前のハードルが違うというのでしょうか。
 たとえば集中力について、
 大学の頃でしょうか、知り合った友達となんかのきっかけで一緒に張りぼてかなんかを作ることになったんですが、最上位女子高に通っていた友達は、とにかく黙々集中力が続き休憩とかはあったものの、たぶんその時間は5時間くらい。の一方で、地方の偏差値40代の高校出身の友達は始めてから2分経たずに歌い始めたんですよ。
 2分!!!
 なんか、ここ10年数年くらいでしょうか、ゴールデンタイムのテレビ番組のコーナーって短めな構成が多いじゃないですか。あれって、途中から見ても参加しやすいからかな?とか最初は思っていたんですが、もしや集中力の平均!!!って思い返すとなるわけで。

 ・・・と、話がそれましたが、

 受験って、自分のことじゃなくて子供のことだからこそ、気を抜くタイミングや冷静さが欠けがちになりますよね。
 お受験はビジネス!
 そして今のところうちの子は搾取される側!
 いい話には騙されない!
 今のうちの子の課題はまさに集中力!!
 それを肝に銘じて、塾選びを本格化したいと思います。