考えるということ
経済のこと、MMTのこと、財政のこと、政治のこと
様々な課題があり、色んな優秀な人達が考え議論が起きる
そして、人々は選挙を通して代表を選び
その中でハンドルを誰かにゆだねかじ取りを任す
そのハンドルやアクセル、ブレーキの操作で向かう先を決め前進している
全世界の国で行われている事
その成果が今世界中で起きている事
一国の経済にしても相当蛇行してその先に国家間の紛争や戦争がある
理想的な形とはなっていないだろう
色んなことが複雑に絡み合い分かりにくくなっている
しかし、しかしだ
どんなに複雑な事案でも、ことは簡単な理屈で流れているはずだ
全て個人の問題から始まる
個人から家族、地域社会、国家、そして地球世界
そこから先、宇宙世界と関係が繋がっていく
原点は個人だ
個人の経済が全てに関わってくる
個人の経済とは何か
命を長らえるために衣食住様々な要件を満たす必要が有る
最重要は、食料である
食料とは何か
それは、物(粒子)でありエネルギー(波動)でも有る
ここにも光子(素粒子)の性質が顕れている
これが人間を通して変換される
そのエネルギー(波動)を何に変換して何に使われるかということに尽きるようだ
思いという波動(エネルギー)を起点として、様々な物質(粒子)を活用し自らが食料を作り出すこともできる
もちろん住まいや衣服、様々な生活必需品を作り出せる
要するに価値の変換が思いという波動によってなされるわけだ
波動が様々な価値の生産をして、そこから生れた粒子を活用し、また、新たな波動を喚起して次の粒子(製品やサービス)を生み出す
この地球では波と粒子の変換の流れで価値が変化し、さらなる価値を高めようとしている
その価値が一人の人間の中でも高まるけれど
人と人とのかかわりで、その価値は倍増させることもできる
(もちろん、その価値を奪い合い潰しあうことも可能だ)
基本、それぞれの生み出した価値が人と人との間で交換されることで、その価値を高めようとする
例えば、米作りの得意な人と器づくりの得意な人が居る
それぞれの得意な仕事は効率が良いために、自分が必要とする以上に作ってしまう
そうであるなら、それぞれが余分なものを必要なものと交換できるならベターだ
これら以外に必要とするものは様々に有る
それらを交換できれば、それぞれに自分の得意な分野に専念できる
そこで効率の良い交換手段として貨幣経済が始まっている
その貨幣には信用価値というモノが不可欠だ
金や銀などの希少物質からはじまり今まで変化している
皆が認める信用さえあれば貨幣となりえることになる
ただ、この信用という曖昧なことは誤魔化しダマすことも可能だ
話がそれそうなので元に戻す
人が集まり家族が集まり社会が出来ていくと、この貨幣経済は大きくなる
良い循環をしているとその地域として必要なものに協力してその価値を集め構築していくことで、さらなる発展をすることになる
橋や道路など皆が必要なものは協力して作る必要が有る
その皆で力を集めることの恩恵から組織が出来て、その組織が継続することの恩恵から村や町や国家もできていく
ただ、その組織が大きくなると皆が産み出し集めた価値が無駄に使われたり効率が悪くなり、それぞれがやった方が良い場合も出来てくる
公営(国営)でやった方が良い場合と民間でやった方が良い場合とがある
大きな問題となるのは、国家組織に治安維持や国防のためのパワーを備えると、その使い道によっては暴走も起こす
司法とか立法とかもコントロールされるようになると、公的機関に従事する人たちの恣意的な行動で全体が牛耳られることになる
そこでハンドルを握る人たちやそれを選ぶ人たちの民度が落ちれば、その悪循環は最悪になって行くだろう
どうやら、世界中、おかしくなっている原因は単純に言うならば、一人一人の価値観が狂い、どこにその価値を振り向けるべきなのか、要するに善悪の基準が狂っているところに有る
価値観の狂いは、本当には「考えて」いない
考えていないとは、言い方を変えるなら、次の図が頭の中に無いせいだ
別の言い方をすれば「なぜ」「どうして」という問いかけをおろそかにしている
上の方の表面的な「結果」に関するところばかりを考えている
考えているのではなく反応してイメージしているだけだ
このタテ軸の思考図の中で、深く掘り下げて見る必要が有るということだ
原因のその奥の原因は、深く掘り下げたところに有る
どうやれば、いい目ができるか、得することが出来るかという「行い」レベルで浅く考えている人たちが増えている
左脳的な所にだけ優秀な人が増えている
その人たちにだけハンドルを任せておくべきではない
より深く考え議論するべきなのだ
結局は、信仰心に関わってくる
唯物論、無神論では、深く考えようとするのではなくて、要領よくあろうとするだけだ